昨日の活動報告で、盲学校での「みんなとつながる上毛かるた」体験会を通じて触察の豊かさについて書きました。触ることで世界を認識し、それを共有しあう体験が、多様な人が暮らすこの社会を考える上で大事なのではないか、と考えました。
今日はまた、もう少しその辺を掘り下げてみたいと思います。
世界の認識の仕方として、「見ること」は圧倒的な情報量があります。また、一瞬で多くの情報を得ることができます。それに対して、他の感覚で何かを認識しようとすると、情報を得るために時間がかかったり、慎重になったり、感覚を研ぎ澄ますような集中が必要だったりします。
今は情報化社会で、大量の情報を日々消化しなくてはならなくて、「見ること」を酷使している人も多いことでしょう。でも、そうして大量の情報を処理することばかりだと、心が痩せてしまうような気持ちになる時がないでしょうか。
見ること以外の感覚を使うことで、世界を「感じる」体験は、心を豊かにし、世界を、より深いところで認識できるようにも思うのです。
特に触れる体験は、対象との距離が一番近く、単に形の認識だけでなく、手触りや、質感や温度といった、複合的な感覚が同時に立ち上がって、世界を文字通りより身近に感じる体験です。また、材質によっては、自分の体温が伝わったり、少しへこんだり、押し返されたり、と言った相互作用がある感覚です。より複雑で豊かな感覚でもあります。
美しいものを見ることで心が豊かになる、ということもありますが、触れることで喚起される様々な複雑な感覚をお互いに伝え合うことには、また違った美しさや豊かさが、そして何より、ゆっくり考えるという大事なことが含まれるように思うのです。
盲学校の子どもたちと一緒にかるたを触りながら、おしゃべりをしていて、そんな思いを強く持ちました。
ちょっと難しい話になってしまいました。明日は、収録したてのラジオを公開します!