リターン協力者|したひら鮮魚店の奥様にお話しを伺いました!
世界農業遺産認定の町、能登町宇出津にある「したひら鮮魚店」さんは1912年に創業し、地元の宇出津港で毎朝仕入れる新鮮な魚を全国にお届けしている魚屋さんです。
私は、訪問看護師でありながら能登の海を愛し、能登町で海女さんになりたい夢をもっており、少しの間、宇出津港の朝の競り場に足を運んでいた日がありました。
その時にメラメラとオーラを放ち、水揚げされた魚やイカ、タコ、貝類を的確に目利きし競り落とす「したひら鮮魚店」の親子に出会いました。次から次へと目利きした美しい魚を競り落とす3代目の下平勝則さん。そして競り落とした魚を、黙々とひとり、迅速かつ丁寧にその場で神経締めや、血抜きをしていく4代目の真澄さん。ただ海が好きなだけの素人の私でもわかる112年の長い歴史を感じるものが「したひら鮮魚店」さんにはありました。
そして、今回お話しを伺ったのは、4代目の真澄さんの奥さんである扇さんです。
扇さんは、元気の塊のような人で、震災後もインスタグラムを通して、水道が出ない中での暮らしの工夫や、それでも明るく元気に「したひら鮮魚店」を再開したこと、移動販売で少し離れた山間地や僻地の方を応援してくれていました。
そんな扇さんに今回はお話しを伺いましたのでご紹介致します!
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「なぜか能登町で生きていく未来しか想像できませんでした」
震災時、家族で出かけていて能登町にいなかった私たちは一刻も早く能登町に帰ろうと車を走らせましたが地割れに阻まれて能登町に帰ることができず県内の親戚の家に数日泊めてもらい、生業にしている魚屋を営業することも、生活していくことも困難なのではと思い、夫婦で話し合いました。そして余震が続く中で夫ひとりが先にぐちゃぐちゃになった自宅に戻り、その数日後に子供2人と私も自宅に戻ったのは、2024年1月13日のことです。発災から13日、能登は変わり果て、自宅も傷だらけ。それでも帰ってくると「やるしかない」という気持ちになりました。なぜか能登町で生きていく未来しか想像できませんでした。それが私たちの能登なんです。とても不思議なんですが能登町で生きていくことを決めた理由はあるようでないのかもしれません。ただ、暮らしの続きを始めようと思っただけかもしれません。皆さんに生まれ故郷、育ててもらった故郷があるように能登町という土地に育ててもらった私たちの故郷に恩返しをしたい。傷だらけの能登町に元気を吹き込み、誰からも愛される能登町になるように私たちは魚屋として頑張ります。
「私の母親も看護師をしていました」
私が小さいころから、具合が悪くなった人を見ると真っ先に助けに行く母でした。見ず知らずの人に寄り添って介抱している母の姿を何度も見たことがあります。地震で母が住む家も柱が傾き、床も抜け、住める状態ではなくなりました。そんな中、大事な物だけ家から出すときに「パルスオキシメーター(動脈血酸素飽和度を測定する装置)どこいった!」と探していたんです。その時私は思わず笑ってしまいましたが母の「看護師」の姿を見せられたようでした。
能登町は限界集落と言われ、さらに被災し過疎が加速して助け合える人も減りました。
二次避難されている高齢者や医療を必要とする方は能登町に帰ってくることが難しくなり困っています。
田中美穂さんは、私の「親友」と呼びたい大切な人です。田中美穂さんは本気で看護の気持ちを持っている方です。彼女は本気です。人見知りな彼女が、ここまで熱い気持ちを持ってクラウドファンディングに挑戦すると決め、今も不安と闘いながら頑張っています。彼女は訪問看護ステーションを立ち上げて能登町で生きると決めた人たちに寄り添いたい一心なんです。能登町で訪問看護や在宅医療を必要とする方に寄り添いたい彼女に、今は皆さんが寄り添ってあげてほしい。彼女のためにも、能登町のためにも、皆さんのご支援が必要です。
能登町で安心して「生きる場所」と「最期の場所」を自由に選択できるようになりますように。
そして能登町にご家族がいる方は、どうか田中美穂を信じてください。
皆さんの大切な人が救われますように。
したひら鮮魚店 下平 扇
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▼したひら鮮魚店さんのお刺身が食べられるリターン商品
〈食べて応援!能登のお刺身盛り合わせ〉
・2人前:15000円のご支援を頂いた方へのリターンとしてご用意致します。
・4人前:25000円のご支援を頂いた方へのリターンとしてご用意致します。
・6人前:35000円のご支援を頂いた方へのリターンとしてご用意致します。
皆様のお力添え賜りますようお願い申し上げます。