みなさん、こんにちは。先日8月20日に私たちブータン青少年交流協会のメンバーと、半田ジュニアブラスバンドが現地へ渡り、小型救急車の寄贈式典が執り行われました。多くのみなさんからのご支援により、小型救急車の購入が実現し、無事にお渡しできたことを、心から感謝しております。今日はそのご報告をさせていただきます。ウェルカムパーティでのDawaさん(右端)まず、ブータンでは車を購入した際は写真にあるような安全祈願儀式を執り行うそうです。寄贈式典では、初めに目録の贈呈とトークンキーの贈呈を行いました。そして、ブータン脳卒中財団代表のJamTshoさんからお礼の挨拶があり、事務局長Dawaさんから小型救急車寄贈に至る経緯の説明がありました。事務局長Dawaさんその後、お礼の品として「タンカ」=友情の印の旗を受けとりました。最後に歓迎のダンスをご披露いただき、その後はみなさんと会食という流れで、親交がより一層深まる時間を過ごさせていただきました。これから返礼品のお届けはもちろん、動画などでのご報告もできればと思っておりますので、いましばらくお待ちください。引き続きよろしくお願いいたします。スタッフ一同
【ブータン小型救急車寄贈プロジェクト】プロジェクトオーナーの榊原・高木・松石です。この度は、ブータン支援のための応援をしていただき、誠にありがとうございました。皆さまのおかげで最後まで力を合わせることができました。支援の締め切り時間まで、皆さまには大変ご心配をおかけしましたが、「せめて100万円は超えたい!」と心から祈り続け、どうにかゴールすることができました。残念ながら目標金額には届きませんでしたが、最終的に84人の方々からご支援をいただき総額1,014,500円となりました。この支援金はプロジェクト遂行のために大切に使わせていただき、改めてご報告させていただきます。また支援者の皆様へ順次リターンのご対応をさせていただきます。時期は9月を目処に予定しております。引き続きよろしくお願いいたします。榊原・高木・松石
みなさん、こんにちは。今日はこのクラファンプロジェクトのきっかけとなったダワさんについてご紹介したいと思います。ダワさんは「ブータン脳卒中財団」の創設者であり事務局長です。かなり長くなりますが、ダワさんがなぜこの活動をしているのか、よかったらご一読ください。ある日突然、意識を失った妻本サイトのほうでも書きましたが、ダワさんの妻は突然、34歳の若さで脳卒中により意識を失い、危篤状態になりました。その後もしばらく重症で長いリハビリが必要な試練に直面。そのため、現地や日本の医師らと連携して「ブータン脳卒中財団」を立ち上げることになったのだそうです。わたし自身も昨年、同居の実母が脳内出血で緊急入院となったため、人ごととは思えないエピソードに胸が締め付けられました。幸せだった人生が急転それまでダワさんは妻と2人の子どもと、比較的順調な人生を送っていました。▲ダワ ツエリング(39歳)さんと妻リンチェン ペルモ(34歳)さん、そして子ども達けれども突如、妻の脳卒中やその後の自宅ケアなどで家族全体を大きく揺るがす辛い状況に追い込まれたダワさん。後に決心した組織設立の際も、簡単にはいかず、投げ出したいほどの困難があったといいます。「最悪の場合の覚悟をするように」ダワさんの妻リンチェンさんが、突然ダワさんの目の前で意識を失い地面に倒れたのは2019年。妻は34歳の若さでした。妻を抱えて病院に駆けつけたダワさん。リンチェンさんはICUに入り生命維持装置につながれました。医師はダワさんにこう告げたそうです。「最悪の場合の覚悟をするように」と。その後1週間以上、意識が戻らなかったリンチェンさん。ダワさんは、脳卒中とは何なのか、どうしたら治るのか、友人を通して情報を集めました。くわしい医師、タシ氏の論文に行き着き、連絡を取ったといいます。今の日本は、スマホで検索すればあらゆる病気や怪我の状況、効果的な手術方法、薬、リハビリの方法などがわかりますし、わたしの母が入院した際も、「こういう手術をして1週間後には退院できます」と書類を渡されたため、それがわかっただけでも、巨大な不安が取り除かれたのを覚えています。けれども当時ブータンには、脳卒中について正しい情報が一般市民には行き渡っていなかったのです。ダワさんや子どもたちは、どれだけ不安な日々を送ったことか……。妻を負ぶって、あらゆるところへリンチェンさんが倒れて3週間後。彼女は意識を取り戻しましたが、「失語症」の後遺症があり、全く話すことができませんでした。しかも半身不随で寝たきり。ほどんど何もできなかったそうです。ただ、ダワさんが「水が欲しいか、果物がほしいか」と尋ねると、目のまばたきで意志を伝えられるくらいでした。入院23日後には退院して自宅に戻ったそうですが、この時からダワさんの家庭には社会的にも経済的にも重圧がのしかかってきました。我が家の場合も、母に後遺症が残るかもしれないと言われていたため、多少の覚悟はしましたが、「様々なリハビリを試せば良くなる可能性もあるし、いざとなったらプロのケアや、家事代行を検討しよう」「自分の仕事と両立できる方法を考えよう」という希望や選択肢がありました。けれどブータンでは当時、脳卒中患者が退院した後のリハビリテーションや在宅ケアは皆無。政府の予算や人材は不足し、公的支援もほぼ皆無。また脳卒中に関して迷信も多かったと言います。ダワさんは休職し、妻を背におんぶして、病院や寺など、あらゆるところへ行き、回復を試みたそうです。▲ダワさんの妻リンチェンさん「ブータン脳卒中協会」設立への動き寝たきりだったリンチェンさんがなんとか自力で歩けるようになったのは1年半後。その背景には、タシ医師の支えや導き、日本人医師・藤原茂氏の協力が大きかったといいます。タシ医師は、その頃、脳卒中患者を支援するフォーラムを作りたいが医師という立場や当時の医療の仕組みではできないため、ダワさんにそれを作ってほしいと打診し、アドバイス。それにより2019年、ブータン脳卒中協会の任意団体が設立されました。藤原先生の支援その頃、藤原先生はダワさん一家の窮状と、組織設立の動きを知り、ブータンまではるばる駆けつけたそうです。そして5日間に渡り、リンチェンさんにリハビリを施し、何をしたらいいかを指導。その日から彼女の様子は大きく改善しました。「涙がこぼれてしかたなかった」とダワさん。またダワさんは当時、どのように組織を立ち上げたらいいか、またリハビリのために何をどうしたらいいか分からなかったそうですが、それについても藤原先生に背中を押してもらい、前進したそうです。日本のリハビリ施設やJICAの支援その後、ブータン人の青年たちが日本のリハビリ施設「夢のみずうみ村」で研修を受け、ブータンディケアセンターの企画・運営に関わり、基盤を作ることができたといいます。ただ、設立には資金という難題がありました。それにはJICA基金の支援が大きな役割を果たしたそうです。(JICAのサイトには、2011年にJICAが救急車を贈与した記録も載っています。ぜひご覧ください)https://www.jica.go.jp/oda/project/1060740/index.html藤原先生による必死の遠隔指導藤原先生は帰国後、1週間準備して作ったビデオ画像や、ZOOMを使い、ブータンのチームにゼロからリハビリを指導。限られた時間や画面では細かいところが伝わらないうえ、言葉と文化と国民性の違いに、「そうじゃない、そうじゃない」と地団駄を踏むことが何度もあったという藤原先生。ZOOM後、参加者はみなグッタリし、藤原先生は「投げ出したいけど投げ出さない」とぼやくこともあったのだそう。そんななか、藤原先生が体調を崩すという危機も発生。身体的にも精神的にも経済的にもギリギリのところで進んできたといいます。けれどもこうした姿勢が、希望を失い無意に過ごしてきた脳卒中の患者さん自信を励まし、受け身の姿勢に火をつけたと関係者は語っています。ディケアセンターと事務所の開設さて、そうこうしてダワさんはデイケアセンターと、組織の事務所を2021年に開設することになりました。ダワさんは必死に頑張って街中のアパートの1階に物件を見つけ、「夢のみずうみ村」の研修生だったメンバーや、ボランティア3名、リンチェンさんや脳卒中患者さんたちと一丸になって掃除。友人・知人から寄付で募った中古のテーブルや椅子、机、本棚を運び込んだそうです。ちなみにその頃、ブータンの国の予算はコロナ対策にほとんど使われてしまっていたと言います。今回わたしはそれを知って、日本の医療環境やリハビリ施設がいかに恵まれているか思い知らされました。また、ダワさん一家を救ったタシ医師や藤原先生もそうですが、母の手術・入院に関わってくださった医療関係者の方々の姿を見聞きすると、本当に頭が下がるばかりです。リンチェンさんや他の当事者も元気にダワさんたちが作ったデイケアセンターを通して、リンチェンさんや他の脳卒中患者さんたちは、とても元気になっていきました。当事者や家族は、その様子を積極的に発信。そして皆さんがメッセンジャーグループをつくってやりとりするなど、セルフヘルプの仲間づくりや、コミュニティづくりに発展していったといいます。一時は休職せざるを得なかったダワさんですが、ダワさん自身もこうした活動の結果、重要な委員に選ばれるなど、リーダーとして成長していったのだそうです。(参考資料:https://www.jica.go.jp/Resource/partner/private/kifu/ku57pq00002o2qok-att/09_2020_02.pdf)この好循環を絶やさず広げるために日本で脳に損傷を負ったわたしの母の場合、30分以内に車でスムーズに大きな病院に行くことができ、その日に手術がサッと終わり、術後のケアも確立されていました。そのおかげもあってか、幸いなことに後遺症は出ませんでした。我が家の暮らしは比較的すぐ元通りになり、日常のありがたさを噛み締めました。日本はこれまで、あらゆる面で医療体制が進歩してきたからでしょう。でもブータンでは、車も大きな病院も少なく、道路は未舗装の山道が続きます。そのため脳卒中になると死亡率も後遺症になる率も高く、当事者や家族のダメージは計り知れません。脳卒中は早く対応すれば重い事態が防げるとわかっているだけに、歯がゆい状況です。けれども、ダワさん、タシ医師、藤原先生、「夢のみずうみ村」の研修生メンバー、当事者とその家族が、懸命に幾多の苦難を乗り越え、一歩ずつ一歩ずつ改善させてきました。そのダワさんの活動や想いが、私たちの長年の友人イシェ(ティンプーロータリークラブの元クラブ幹事)に伝わり、イシェから私たち「半田ブータン青少年交流協会」に伝わりました。そのタスキをつなぐべく、私たちは今回クラファンを立ち上げたのです。この想いのタスキを小型救急車へいまブータンに必要な小型救急車を購入し、ブータンの脳卒中患者の死亡者や後遺症になる患者を減らすことが、今回のゴールです。そのためのご協力をどうかお願いいたします。この投稿を書いている時点では、残り8日間でまだ目標金額250万円の半分にも到達していませんが、諦めずに粘りたいと思っています。藤原先生は「一人では何もできない。しかし一人が始めなければ何も始まらない」とよく口癖で言っておられるそうです。この言葉を胸に刻み、私たちも支援のタスキをつないでいきます。ラストスパートへの応援として、拡散やご支援を何卒お願いいたします!半田ブータン青少年交流会スタッフ
ご支援いただいたみなさん、ご興味を持っていただいたみなさん、今日はブータン王国のGNH(国民総幸福量)についてご紹介させてください。いま国内外でスタンダードになってきた「SDGs」にも通じるサステナブルな取り組みなので、改めて注目し、伝え、広めていければと思っています。GNH(国民総幸福量)って、どんなもの?以前、「世界幸福度ランキング」で世界8位にランクインしたことがあるブータン。私たちが現地の人に「幸せですか」と質問すると、かつては多くの人が「はい」と返事をしてくれていました。それはブータンの人々が、物質的なものより精神的・体験的なものに重きを置いてきたからに他なりません。ブータンは長年、鎖国政策をとってきていたのですが、1971年からは国連に加盟。その後、「GDPよりGNH」を基本とした国づくりをしてきたのです。・GDPとは、経済用語で「国内総生産」(Gross Domestic Product)のこと。・GNHとは、ブータン独自の概念で「国民総幸福量」(Gross National Happiness)のことを指しています。「GNHはGDPより重要だ」と発言し、国民の幸福度を上げる社会づくりをスタートしたのは、第4代国王のジクメ・センゲ・ワンチュック氏。第5代国王になった現在も、政策はすべてGNHの理念に裏付けられていなければならない、とされています。なぜ“世界一幸せな国”で有名になったの?上記の取り組みもあってか、ブータンは2013年、国連が毎年発表する「世界幸福度ランキング」で世界8位にランクインしたのです。▼参考記事http://www.japan-un-friendship-associations.org/bhutan/news/202110_4/index.html発展途上国なのに北欧諸国に続いて8位ということで、多くのメディアから注目が集まりました。日本では、2011年に東日本大震災が起こったあと、いち早く国王夫妻が被災地を訪問したことで、ブータンはすでに有名になっていました。その麗しい姿や、日本を思う数々の温かい言葉が今も鮮明に残っている、という日本人はきっと多いのではないでしょうか。▼第5代国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク氏のインスタグラムhttps://www.instagram.com/kingjigmekhesar▼ジェツン・ペマ王妃のインスタグラムhttps://www.instagram.com/queenjetsunpema子供達にも伝えたいGNHの考え方ブータンには、幸福のための基本方針や、国勢調査で幸福度を測る項目があるので、見てみましょう。例えばブータン政府はGNHについて4つの柱を掲げています。(1)公正な社会経済発展(2)環境の保全(3)文化保存(4)よい政治。それぞれ、このような考え方が軸になっています。●経済発展は大事だが、国民の間に大きな生活格差をもたらすことのないようにする●生態系を守り大切にする●長年かけて培ってきたブータン社会の文化を大切にする●人々が意思決定に参加できるような政治のしくみを持つことを基本にするさらに、以下の9つのGNH指数が設定され、値の推移がチェックされています。(1)暮らし向き、(2)体の健康、(3)心の健康、(4)教育、(5)環境、(6)文化、(7)時間の使い方、(8)コミュニティーの活力、(9)よい政治▲4つの柱と9つの指数を図にしてみましたただし近代化、グローバリゼーションや、スマホによる情報の波による影響と、GNHの向上、その両立を叶えるのは課題が多くあり、近年のブータンの「世界幸福度ランキング」はかなり下がっているようで、考えさせられます。それでも現地を訪れると、穏やかな表情の人々にたくさん出会えました。コロナ禍を経て、久しぶりにこの夏ブータンへ訪れますが、現地の人々がどんな思いで暮らしているか、ふたたび交流できればと思っています。そして、一緒に行く半田ジュニアブラスバンドの中高生メンバーは、どんなことを感じるのか……このコーナーなどでご報告したいと思います。長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。6月末の期限まで、できる限りの活動や発信を続けますので、応援よろしくお願いいたします!半田ブータン青少年交流会スタッフ
みなさんは、愛・地球博の「ブータン館」の展示品が、三重県で見られるのをご存知でしょうか?その場所は「樋口友好ミュージアム」。愛・地球博の会期後に、歯科医・樋口良三氏が展示品を個人で購入、自宅近くに建設した私設博物館で、一般公開しておられるのです。❖━━━━━━━━━━━❖場所などの概要はこちらをご覧ください。https://iko-yo.net/facilities/160280*開館日は木曜日と日曜日のみ。木曜日は予約が必要なので、事前に電話にてお問い合わせください。❖━━━━━━━━━━━❖「樋口友好ミュージアム」で検索すると、訪れた方のブログなどでも様子がわかるのですが、私も早速行ってみたくなってしまいました!他にも「ラオス館」の展示や、「オーストラアリア館」で人気を博した巨大カモノハシも見ることができるそうですよ。さて先日、このミュージアムを運営する樋口先生にご連絡したところ、チラシの配布にご協力いただけることになりました。樋口先生ありがとうございます!みなさまの中でも「チラシ配布や設置OK」という方がいらしたらぜひご連絡ください。支援の輪が広がるように、ぜひともよろしくお願いいたします。スタッフ一同