今回は実際の帰国から半年間のリハビリの様子を短い動画で紹介します!https://youtube.com/shorts/NT7z0C26Y48?si=_UsdWRhKHEN5TWtq↑こちらのYoutube動画をクリックしてください2023年8月~2024年2月のリハビリの様子です。このおよそ半年間でご覧のように出来る形にはなりましたが、まだ右アキレス腱周りの筋肉は70%程に満たず。加えて左腰の不調が元々あり、さらに最近は右腕と左膝にも違和感を感じるようになりました。一筋縄にはいかないものですね…。原因を探りながらのリハビリを継続しております。これらもまた身体を知るとてもいい機会だと、リハビリを受けながら感じております。完全復帰に向けて引き続き頑張っていきたいと思います!
前回記事の続きです!お陰様でツアーを終え無事に帰国した数日後、友人の紹介でリハビリ施設のある病院に。神奈川県川崎のSOL整形外科スポーツクリニックで診察を受け、リハビリを開始しました!ここはプロのアスリートも受け持つクリニックで、施設も充実し先生やトレーナーの知識経験も豊富で安心して受けました!ケガの原因はツアー先の疲労や年齢など様々な要因が考えられますが、身体の使い方がとても勉強になりました。足、腰、尻、体幹、身体の連動ーーそして身体のクセや得意不得意な箇所ーー40歳を過ぎて身体と向き合う時期でもあり、そして改めて自分のやっていることは一般的な人の動きを超えた「パフォーマー」なんだという意識を感じさせられました。自分の身体を知り、学ぶ事。今まさに自身が必要としている機会。良いタイミングだったと思います。
今回は昨年ツアー中のアキレス腱断裂の受傷から帰国までの一ヶ月間をお話しします。2023/06/21にスペイン・バルセロナにてパフォーマンス動画をロケ撮影中に受傷。その三日前に出演したイベントのスタッフの方がその日偶然撮影を見に来てくれていたので対応してくださり、現地大学病院で応急処置を受けました。その後にエコー検査を受けた結果手術が決まり、1週間後に手術。その1週間後の経過観察で医師の許可を得て更に1週間後にツアーに戻り、受傷3週間後でフランスとクロアチアで椅子を使ったボイスパフォーマンスを果たしました。スペインでは治療と生活と移動と沢山の方に助けられ、フランスとクロアチアでは沢山の方がパフォーマンスをサポートしてくださいました。また、今回は殺陣集団の刀屋壱とのコラボレーションツアーだったのですが、刀屋壱の皆さんには特に大変お世話になりました…!一人ではなし得ることなど到底出来なかったパフォーマンス。本当に感謝です。ダメージが大きかった分、とても貴重な経験をしたと思っています…!しかしこの怪我はそれからが大変です…。次回は帰国からのリハビリの様子をお話しします!
今回は、私が表現の主軸としているボイパについてもう少しお話ししたいと思います。ボイパの出来る事とは何か?「人間の口だけで楽器の音が出せる」というエンターテインメント性から25年ほど前に注目され始めました。口があればどこでも出来る、マイクがあればどんなに広い空間でも使える利便性。そして一番の強みは音楽の普遍的価値。言葉を必要とせず色んな人と仲良くなれることです。元々昔から人と話すことの苦手な自分は幼少期も友達が少なかった。そんな自分でも、ボイパに出会ってから音楽を通じてそれまで想像できないくらい沢山の仲間が出来ました!さらに海外では、カンボジア学校公演で英語も通じないなか子どもたちと仲良くなれたこと、まさに究極の体現でした。また、ボイスパーカッションはその特殊性から難しいと思われがちですが、実は4つくらいの音が出せれば十分多彩な音楽を奏でられるんです。難しいことをしなくても口だけで楽器と肩を並べ、個性的でかっこ良いセッションが出来る。気軽に出来て且つ奥深く、様々な音や音楽ジャンルの可能性へ広がる面白さがあります。
前回に引き続き、自己紹介として今の表現に至るまでのこれまでの活動と経緯を時系列に沿ってエピソードに分け綴っていきます![エピソード4] ボイパに表現の可能性を感じ、脱サラしソロ活動開始ボイパは元々あくまでアカペラというアンサンブルの中でリズムを担う、バンドのドラムやパーカッションの様な1つの演奏パートです。しかしボイパにはまだ表現の可能性があるのではないか?と思うようになります。ポップスやジャズやヒップホップに限らず、もっと様々なジャンルの音楽が演奏出来るのでは?例えばアフリカ音楽や和太鼓のようにボイパだけのリズムだけの作品が作れるのでは?さらに環境音や効果音をただ模倣するのではなく、人間の呼吸からなるからこそ歌声の様に感情を乗せたら?ボイパの歴史の浅さは伸びしろしかなく、可能性に満ちていると思うようになります。そこで自分が出来ることを考え、ボイパをツールに自分ならではのアートを創るようになっていきます。[エピソード5] 和の出逢い・和風ボイスパーカッションの始まり兼ねてから現代音楽の根幹にあるリズムにはどのジャンルも本場外国人への劣等感を実感していました。そこで自分の強みや好みを見直した時に、和楽器奏者や殺陣集団との出逢いにより通ずるものを感じる様になります。幼少期に習っていた剣道、何より育まれてきた日本の環境に“和”という自分のカラーを見出しました。しかし古来の和ではなくあくまで現代のミックス性も根付いていると感じ、「和風ボイスパーカッション」と結論。表現の方向性が定まってゆきました。[エピソード6] 武術とボイスパーカッションの融合和アート集団の出演をきっかけに海外イベントの進出が決まると、剣道経験で意識していた和風ボイパ演奏時の動きを見た演出家から、実際に刀を持った表現を提案され、挑戦。手応えを得ます。そして芸能としての剣さばきを会得するため、殺陣道場に入門し基礎を学びました。―こうして様々な経験と挫折を経て、自分のスタイルを見出すようになりました。さいごに、この表現と活動の根幹となる考え方を幼少期のエピソードを踏まえてお話しします。[エピソード0] 幼い頃からの死生観が今の生き方に繋がる 幼い頃から剣道の先生に生命の有限さを教わり、死に対する恐怖に苛まれてきました。と共に、生命について考えるようになりました。音楽や絵の興味も自然や情景や心に関したものばかりでした。消極的な性格から社会人になるまで堅実な道を歩いて来ましたが、社会が分かるようになると昔からの憧れであった“芸術家”が浮かびました。限りある人生であるからこその挑戦心と、ボイパというツールから生命を表現出来るんじゃないかという発想が合致し、脱サラに至るようになったのです。