2024/03/20 18:32


13年前、東北の震災を東京で迎えました。木々の緑が激しく揺れ、近くのマンションも大きく揺れていました。暫くしてからその発生源が東北であることを知りました。それとほぼ同時に東北沿岸地域に津波が押し寄せ、多くの方々が海に飲み込まれたことを知りました。またフクイチが大変な事故を起こし、エダノさんがテレビで嘘の放送をしていました。
東京西荻のパン屋では多くの資材を東北から入手しており、これではパン屋で使用する資材は一切入手できない、私たちは震災による「被害者」だと思いました。1か月くらいが過ぎ、自分らが「被害者」ではなく「加害者」になっていく恐怖を感じました。降り注ぐ放射能が大気に充満し、店で使用する機械、資材、包装材料にまで付着していると思うとこのままパン屋を続けていくことが召し上がるお客様に対する「加害者」になて行くことを感じました。
その時、一人の僧侶が吹雪の中お経をあげている姿がマスコミによって知らされました。今、廣瀬にできることは何かを考え、とりあえず安全な材料を探しに日本国中、そして世界中を飛び回りました。材料の問題は時とともに解決しました。しかし私は「パン屋として今何ができるのか」を深く問い詰めることに成ったのです。ちょうどその時、テレビを通して被災した方々が避難所でカップ麺やレトルトのご飯を食べているところが映し出されました。
東京でのお店は閉店するまでに6年近くを要しました。経営していていた6店舗、そしてそこに働く仲間を見捨てる訳には参りません。その方々の新たな職場を見つけ出し、同時に私も放射能の影響が少ない山梨に移住し、皆様のご協力の元あらたにパン屋をし始めました。山梨では幸いにも暖かい方々に恵まれ、皆様から旧知の仲のように良くして頂きました。本当に山梨の方々は暖かく優しく穏やかに私を迎え入れて下さったのです。
でも良くして頂けば良くして頂くほど、私の心の中はあの「被災者」の方々の食事風景でした。今、自分は暖かいところで起居し、厚くも暖かい方々のもとで生活しているが、被災者であったあの方々はどうしていらっしゃるか、そして深く冷たい海に飲み込まれた方々が、どういう思いでいらっしゃるか?特に犠牲になった小さなお子様のお心を考えたとき、ずっと考えていた「長期保存可能な無添加パン」を完成させることが急務ではないかと考えました。
そして今年1月1日の能登での震災。特に避難所で食事をされている老齢のご婦人に目が釘付けになりました。亡くなった母にそっくりだったのです。母は暴君だった父に、亡くなる直前までDV
を受けこの世から去りました。その「おばあさん」の姿を見たとき、涙が止まりませんでした。泣き続けました。
その時です。
「長期間保存可能な無添加パン」を発表する時が来たと、強く思いました。長期間という割には無添加ですので何年もというわけには参りません。まだまだ開発の途中です。現在37種類のテストを繰り返していますが、ある商品は二か月、でもある商品は三年持っています。ただ単に3年間ではなく、現在美味しく召し上がれるのです。
パンをよく召し上がる方ならばご存知でしょう。買ってきたパンは3~5日でカビが出ます。私共の「長期保存可能な・・・」パンは最低6~8週間賞味期限です。食品添加物が「無添加」ということと「長期保存」が全く矛盾することはご理解いただけると思います。
被災した方々がよりパワーをつけねばいけない時に、食品添加物満載のものを召し上がる、ということは本当に辛い、悲しい、惨めなことです。
吹雪の中で裸足でお経をあげている雲水の方が、供養をなさるこことは素晴らしい事です。ですがパン屋として、パン職人としてのお経の上げ方は、「長期保存可能な無添加パン」をより精度が高く完成させることにあると思います。



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