2024/03/31 17:30
2024年3月 カバー絵画の画家・金谷真さんからの電話

サンガ新社の佐藤由樹です。先日、親しみのある、少し懐かしいような声の電話がありました。

「由樹さん? こんにちは。金谷です」

電話の向こう側の声は金谷真さん。『ダンマパダ法話全集』のカバーの蓮画を描かれている秋田県能代市の画家です。

「こんにちは、金谷さん。どうしました?」
「『ダンマパダ法話全集』の絵なんですけど、僕のSNSでも書影を掲載して紹介していいですかね?」
「もちろんですよ。どうぞどうぞ、ぜひお願いします!」
「いやあ、娘がね。『掲載する前にご連絡したほうがいんじゃない』って言っていて、電話をしたところだったんですよ」
「そうですか、わざわざありとうございます。でもこうして、金谷さんの声を聞けて嬉しいです」

電話の向こう側から聞こえる、律儀さとフランクさが共にあるような金谷さんの温かな声。

ふと、以前も同じような気持ちになったことを思い出します。それは約4年前、金谷さんと最初に電話で話したときーーそのときから、そんな気持ちが芽生えていたのかもしれません。


『ダンマパダ法話全集』全十巻シリーズのカバー絵画

2024年5月にアルボムッレ・スマナサーラ長老の著書『ダンマパダ法話全集』の『第七巻』を刊行します。

アルボムッレ・スマナサーラ[著]
『ダンマパダ法話全集 第七巻 第十九 法行者の章 第二十 道の章』

サンガ新社[刊]/A5判/上製/2024年5月上旬発売予定
カバー絵画 金谷真( makotokanaya.com )

この『ダンマパダ法話全集』は全十巻のシリーズとして刊行しています。全十巻は、最終章からさかのぼって刊行し、これまで『第十巻』『第九巻』『第八巻』が完成しています。

振り返ってみると、『ダンマパダ法話全集』のシリーズの刊行が決まったのは2019年でした。

お釈迦様の教えが423の偈・全26章で構成されている『ダンマパダ』を、全十巻シリーズで刊行するという壮大な計画を立てるのは難しかったのですが、全十巻のカバーデザインを最初に決めたことで、そのビジョンが開けていったのだと思います。

そのカバーデザインが誕生した、金谷真さんとの忘れられない一日があります。


2019年冬、『ダンマパダ法話全集』シリーズ誕生前夜

2019年12月。当時、私は株式会社サンガの編集長として、これから刊行がはじまる『ダンマパダ法話全集』の編集作業に取り組んでいました。仙台本社と東京オフィスを毎週行ったり来たりする日々を送っていました。

そして、『ダンマパダ法話全集』をどのようなシリーズにすればよいのか、全体像がなかなか描けず悩んでいました。

シリーズの書籍を制作するときに、編集で考えなければいけないことはたくさんあるのですが、なかでも重要なのが「カバーデザイン」です。

十巻シリーズとして、統一感を持ちながらも、それぞれが際立っているようなデザイン。それが理想的ではあるのですが、なかなか簡単ではありません。

そんなとき、『ダンマパダ法話全集』の連載原稿をスマナサーラ長老と共に制作されてきた日本テーラワーダ仏教協会編集局長の佐藤哲朗さんより、

「装丁にはぜひ、金谷真さんの蓮の絵をドカーン!と使ってほしいです」

というメッセージが届きました。

金谷真さん――。

はじめて聞くお名前だったのでネットで調べてみると、今まで経験したことのない鮮やかな蓮の絵が目に飛び込んできました。

金谷真さんホームページ makotokanaya.com

蓮の花から溢れ出す光が空気を躍らせるような躍動感は、心の色を一瞬で変えてくれます。

聞けば、佐藤哲朗さんが金谷真さんの蓮の絵を知ったのは、写真家・編集者の都築響一さんのメルマガに、金谷真さんが紹介されていたことがきっかけだったそうです。

この蓮の絵はすごいと感じ、サンガのみんなや、デザイナーの鰹谷英利さんとも話し合い、この『ダンマパダ法話全集』のカバーは金谷さんの蓮の絵画でいこうということになりました。

絵画の画像データはあるか?

しかし、大きな不安がありました。絵画は素晴らしくても、実際、カバーに使用するためには、高い品質の「画像データ」が必要です。

この背丈を越えるほどの大きな絵画を撮影した画像データがあるかどうか。

また、画像データがない場合は、絵画を撮影しなければならないのですが、絵画の写真撮影は、非常に難易度の高い作業でもあります。

しかも、金谷さんのお住まいは秋田県能代市。私は仙台に住んでいるものの、簡単にカメラマンを連れていける距離でもありません。

しかし、聞いてみないと何も始まらないので、とにかく金谷さんにオファーの連絡をしました。

金谷真さんとの初めての電話

金谷さんには、蓮の絵画を、スマナサーラ長老の『ダンパマダ法話全集』のカバーに使用させていただくことで、日本の歴史に残る全集を制作したいという想いを綴り、メールをお送りしました。

すると後日、東京にいた私の携帯電話に金谷さんから電話があり、初めてお話することができました。

「金谷です。メールをいただいて、どうもありがとうございます。全集に使っていただけるなんて、とても光栄です」

昔からの知り合いのような親しみのある声で、そうおっしゃってくれた金谷さんは続けます。

「それで、使用はもちろんOKなのですが、そのまま使えるような解像度の高い画像データはたぶんないですよ。どうしましょうか……?」

やはり、最初に予想していた壁がありました。

カバー制作に立ちはだかる壁

その後、金谷さんと何度かやり取りをしましたが、あらためて絵画を撮影する必要がありそうです。

その日は12月13日(金)。カバーの入稿日は12月23日(月)なので、10日間で、撮影はもちろん、カバーデザインまで完成させなければなりません。時間に余裕はありませんでした。

そこで私は、胸の奥にしまっていた一つのアイデアを金谷さんに打ち明けました。

「実は、私も少しは写真を撮影するのですが、絵画の撮影は難しいので、うまく撮影できるかどうか、正直、不安です。ただ、今の状況だと、私がカメラや三脚などの撮影機材を持っていって、能代で撮影させていただくのがよいような気がします。撮影に時間がかかるかもしれませんが、条件を変えてたくさん撮影すれば、使用できる画像が撮影できるのではないかと思うんです」

画家にとって、撮影された写真の品質は生命線なので、私が撮影するなんて失礼ではないか―ーそういう思いを抱えながら伝えると、金谷さんの晴れやかな声が聞こえてきました。

「それだったら、一緒に協力して、撮影してみましょうよ。二人で力を合わせて写真をとれば、何とかなるような気がします。大丈夫ですよ!」

金谷さんの力強い言葉に背中を押され、12月16日(月)に、能代で撮影をすることに決まったのです。

秋田県能代市へ――撮影の旅

仙台から東能代へ。

交通手段を調べてみると、秋田新幹線を使って日帰りで行くよりも、高速バスを使って、秋田で前泊したほうが、費用も抑えられ、滞在時間も長く確保できることがわかり、

私は前日の夜に秋田入りすることにしました。

12月15日(日)に、仙台から秋田へ、高速バスで3時間半。
そして、16日(月)に、秋田駅から東能代駅へ、電車で1時間の移動です。

12月15日夜に高速バスで秋田駅に到着。駅の構内を歩く

秋田犬がお出迎え








12月16日、朝のテレビの天気予報。能代の最高気温は9℃。真冬の秋田にしては少し暖かい

12月16日、秋田駅から東能代へ向かうJR奥羽本線に乗り込む

10時半ごろに待ち合わせの東能代駅に到着すると、金谷真さんが改札口で待っていてくれました。

「由樹さん? 今日はよろしくお願いします。金谷です」

最初からファーストネームで呼んでくれて、心を開いてくれているのが一瞬でわかり、とても嬉しくなりました。

金谷さんが運転する車に乗りこむと、ご自宅のアトリエに向かう途中に、いろいろなお話をしてくれました。

「僕は70年代にニューヨークに住んでいて、ある絵を描いていたときがあるんだ。知り合いになった詩人が、その絵をたまたま見て、『今、ちょうど『PUNK Magazine』という雑誌でグラフィティコンテストをやっているんだけど、この絵を応募したほうがいいよ』と勧められて、言われるままに応募したんだ。
しかも、締め切り当日になっちゃったから、郵送ではなく、編集部に直接持ち込んで。そうしたら、それがチャンピオンに選ばれちゃって。その詩人が応募を勧めてくれなかったら、チャンピオンにも選ばれなかったし、なんか人との出会いって不思議ですよね」

この雑誌『PUNK Magazine』のタイトルが「PUNK」が誕生するきっかけにもなったということでした。

また、金谷さんは1977年、雑誌『POPEYE』の創刊と同時に専属イラストレーターになったそうです。

「あの頃は、みんなでワイワイ雑誌を作って、僕も朝から晩まで、すごくたくさんイラストを描いたね。今回、由樹さんから連絡があって、先週末に電話したと思ったら、もう月曜に能代に来てくれたでしょ。そういうスピード感で物事が進んでいくのが、雑誌を作っていた頃を思い出して、なんか懐かしいんですよ」

そんな話をしながら、金谷さんのアトリエがある一軒家に到着しました。

たくさんの蓮の絵を夢中で撮影する

二階のアトリエに登ると、たくさんの蓮の絵が並んでいました。

「最初はどちらかというと、蓮の絵を普通に描いていたんだけど、写真みたいに描いても、それだったら写真で撮影すればいいから、絵でしか表現できない蓮を描いたほうがいいなと思い始めたんです」

大きな作品の裏には、漢字とアルファベットの作品名が記されています。

  





「作品名は、仏教に関連する名前にしているけど、直感でつけているね」

私はカメラを三脚に設置して準備をし、金谷さんは作品を正面に掲げていきます。






1冊品ごとに数十枚、写真を撮影し、「これでOKです」と言うと、また金谷さんが別の作品を正面に掲げ、2人で位置を確認しあって撮影する。そうやって丁寧に撮影を続けました。

人生で一番美味しい「舞茸ごはん」

10作品ほど撮影した13時ごろ、金谷さんは、

「由樹さん、舞茸ごはんを作っておいたから、一緒にお昼を食べましょうよ」

そう言ってくれて、一階で昼食をとりました。

1階の座敷に座り、2人でテーブルを囲むと、そこで出していただいた舞茸ごはんは、今まで食べた中で一番というくらい美味しい舞茸ごはんで、

「どうしてこんなに美味しいのですか?」
と聞くと、
「スーパーで売ってる舞茸じゃないからね」
と金谷さんは嬉しそうに微笑みました。

あまりに美味しかったのでおかわりをすると、
「お、なかなかの大食だね」
と、追加の舞茸ごはんを皿に盛ってくれました。

「由樹さんは、何時に帰るの?」
「16時25分、東能代駅発の電車に乗りたいです」

撮影する絵画はまだ半分以上残っていました。

「急いで撮影すれば間に合うペースかな。デザートのりんごもあるんだけど、それはあきらめて撮影しようか」と、午後の撮影に入りました。

濃密な一日の終わりと別れ

撮影の流れもつかんできたので、後半の撮影のスピードは上がりました。ずっと作業を共にしてきたパートナーのような気分で、夢中になって撮影を続けました。










終わってみると、午後に15作品、合計25作品の撮影が終わりました。

そして金谷さんから、

「由樹さん、せっかくだから最後に、一緒に記念撮影しようよ」

とのお言葉をいただき、絵画をバックにセルフタイマーで撮影をしました。


あとは急いで機材を片付け、金谷さんの車に乗り込み、東能代駅へ急いで向かいます。金谷さんは、

「今日はなんか、すごく楽しかったです。案内したいところもたくさんあるから、今度は仕事とは別に、ぜひまた遊びに来てくださいよ」

と言ってくれました。もちろん、私も、同じ気持ちでした。

 

『ダンマパダ』理解を一新する全十巻のカバーデザイン

そうして撮影したたくさんの写真から作品を選定し、デザイナーの鰹谷英利さんの手によって制作された全十巻のカバーデザインがこちらです。


あの能代での撮影から約4年。当時のサンガは、サンガ新社に生まれ変わりました。そして『ダンマパダ法話全集』は、多くの方々からのクラウドファンディングのご支援によって、2024年5月に第七巻〜第十巻の4冊が店頭に並びます。

全十巻が揃うのはもう少し先になりますが、私たちの『ダンマパダ』理解を一新し、日本の歴史に刻まれていくスマナサーラ長老の法話全集が、金谷真さんのカバー絵画で刊行されていくことを楽しみにお待ちいただければ嬉しいです。


〈おまけ〉金谷真さんの新作「サンガ」も誕生!

2019年の撮影の数日後、金谷さんから電話がありました。

「撮影が終わった後、作品を整理していたんですけど、ひとつ、名前を付けていなかった作品があったんですよ。それで、その作品を『サンガ』と名付けることにしました」

なんと嬉しいことでしょうか!

その作品「SANGA」は金谷さんのホームページに掲載されています。どうぞご覧になってみてください。