こんにちは、藍子です。
7月5、6日
能登町宇出津であばれ祭が開催されました。
あばれ祭りは宇出津にある酒垂神社と白山神社が、須佐之男命を祀る八坂神社に奉仕する形で毎年行われる荒々しい祭りです。
https://abarematsuri.jp/
能登町は復旧途中のところも多々あり、宿泊施設や駐車場が足りないため、観光は控えていただき「町民のための復興を願う祭り」として開催されました。
3月時点では震災でそれどころじゃないと、開催を反対する声が8割。開催まで辿り着くには、大きな葛藤、努力、復旧がありました。
関係者やたくさんの人の尽力で開催できたあばれ祭。
私はすごいものを見てしまったと、1週間経った今も思い返しては、余韻に浸っています。
お祭りの内容については、後日動画でみなさまに改めてシェアできればと思います。
祭りに参加してキリコを担いでいた人、神輿頭に選ばれ、あばれ神輿を担ぐ人、神輿をつくる人、見ている人、みんなすごくイキイキしていい顔をしていました。
あばれ神輿の担ぎ手達は、ここでこの町の厄を祓い切らんという迫力で、完膚なきまでにあばれ回り、神様を喜ばせていました。
みんなが心から能登の復興を願っていたと感じるいい祭りでした。震災があって町が壊れ、復興を願って祭りをして、こんなに命が滾るようなことは、なかなか無いです。
特筆すべきと思ったことは、心の復興です。
あばれ祭りが行われた能登町宇出津というところは、お爺ちゃんお婆ちゃんが住んでいて、子供たちは家族で県外や金沢など県南に住んでいることが多く、正月やお盆に帰らず祭りには必ず帰ってくる。そして祭りでコミュニティを繋いできた土地です。
震災があり、1月以降、能登に住む人々と能登を出て生活する人、祭りをやりたい人と反対する人など、目には見えないけれど、どこか分断の空気感がありました。
それが皆で今までのように祭りをして、一度外れかけた繋がりを繋ぎ直した、すごい出来事でした。
それだけでなく、「宇出津の祭りの熱量に背中を押された」「元気をもらった」「自分の地区もこれに繋げたい」など、周りの市町の人々からも前向きな言葉があがり、あばれ祭をしたことが、私たちの心の復興が大きく前進した出来事だと確信しています。
奥能登だけで、キリコ祭りは200種類(!)もあるそうです。
能登の人々にとって祭りは人生の一部であり季節が巡るように当たり前の事。
苦しい状況下にあっても、自分たちを鼓舞し神様を喜ばせるキリコ祭りという存在は、能登の人々の魂なのだと。
私たちの町内会は被害がひどく、人手も足りないためキリコを巡行することはしませんでしたが、神社の境内にキリコを組み立て、太鼓を叩きながらみんなで宴会をし、来年こそはと決意を固めました。
クラウドファンディングにご協力いただいたQINOチームもご招待し、あばれ祭を一緒に体験してもらいました。発災から復興ボランティアを続けてくださっている支援団体の皆さんもたくさん祭りに参加してくださいました。
初めてのあばれ祭に感動した、言葉にできない思いがあった、来年も来たい、もうすでにやりたいと皆さんそれぞれ感じるところがあり、能登町宇出津の人々が祭りにかける熱量が伝わったようで嬉しいです。
あばれ祭りは町民の皆さんの強い、強い想いで開催にこぎつけましたが、あばれ祭以外の地区では祭りができない、今後続けていけるかすらわからないところも多々あります。
やらない選択をするのは簡単です。大変でも、やると決めて今年祭りができたことに感謝しかありません。
祭りができたからといって復興できているかと言われれば、そうではありません。
地盤が隆起した輪島や珠洲と対照的に、酒垂神社の下の港は、地震による地盤沈下で道路が海より低くなり、常に冠水してしまうようになりました。
この辺りに住む人々は家の中でも長靴で移動しないといけない状況。今後一帯の道路のかさ上げをしたり大規模で長期的な復旧が見込まれます。
もしこの活動報告を見ている方で、いつかあばれ祭に行ってみたいな、能登に行ってみたいけどいつか、と思っている方がいましたら。是非すぐに計画を立てることをオススメします!
町も文化も景色も、永遠に変わらずそこにあるわけではないからです。
今は主要な道も舗装されてよくなり、再開している飲食店もたくさんあります。ボランティアしよう、と気張らずに能登の人々が前向きにがんばっている姿を見に来てくださるのもありがたいです。
今一度、能登のことを思い出してくださると幸いです。
一年のうちの大仕事である祭りがひと段落したので、私たちはあばれ祭りでもらったパワーを胸に、気持ち新たに復興・再建にフォーカスしていきます。