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高校生が世界を仲間と旅して、旅から学ぶ『タビ高等学院』を開校します!

高校生が世界を仲間と旅して、旅から学ぶタビ高等学院(タビ高)を2025年4月に開校予定。生徒は行きたい国を年1カ国以上選んで、クラスメイトと一緒に1週間旅して現地で各国の文化、歴史、芸術、言語を学びます。生徒が大学にも進学できるように高認資格、英検取得、進路コーチングもオンラインで支援します。

現在の支援総額

0

0%

目標金額は1,200,000円

支援者数

0

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/03/05に募集を開始し、 2025/05/13に募集を終了しました

高校生が世界を仲間と旅して、旅から学ぶ『タビ高等学院』を開校します!

現在の支援総額

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終了

目標金額1,200,000

支援者数0

このプロジェクトは、2025/03/05に募集を開始し、 2025/05/13に募集を終了しました

高校生が世界を仲間と旅して、旅から学ぶタビ高等学院(タビ高)を2025年4月に開校予定。生徒は行きたい国を年1カ国以上選んで、クラスメイトと一緒に1週間旅して現地で各国の文化、歴史、芸術、言語を学びます。生徒が大学にも進学できるように高認資格、英検取得、進路コーチングもオンラインで支援します。

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本プロジェクトの実行者ご紹介

皆様、こんにちは。合同会社タビ高等学院、~旅する高校生~ 
代表の西出貴司と申します。
昨年2024年1月にIT系企業を退職し、同年4月に合同会社タビ高等学院を設立。現在4月のタビ高等学院、通称「タビ高」の開校準備を進めています。


私がこの年で、これまでのキャリアを捨てて、さらには過去一度も教育関連の仕事に携わったこともないのに、なぜタビ高を開校したいのか、また私という人間を少々ご理解頂きたいため、少し長くなりますが自己紹介をさせていただきます。


【プロフィール】
1971年、東京銀座にマクドナルド第一号店が出店され、アメリカンカルチャーの新しい波が日本に押し寄せていた頃、銀座からはるか遠く離れた鹿児島県鹿児島市で私は生まれました。父は会社員、母は公務員でした。両親は現在は引退し、父は現在アルツハイマーを発症し闘病中ですが、なぜか遠い石川県から若い頃に鹿児島に流れてきて、看護師の母に出会い、私が生まれたのでした。

外資系IT企業時代

【3年連続学級委員長、サッカー部部長、成績優秀だった中学時代】
生まれてから大病もせず、保育園では何度も塀を乗り越えて園を脱走し駄菓子屋に行き、勝手にお菓子を食べ、先生を困らせておりました。今考えると退園をいわれても仕方がないと思います。大変おおらかな時代でよかったです。小学校時代はドッジボールがとても得意な元気な子供でした。そして中学校時代は私の人生で一番真面目で成績も優秀で、毎年学級委員長に選出されました。運動も得意でサッカー部に所属し(当時は同好会)3年生の時は部長で鹿児島市の選抜チームメンバーにも選出されました。そのまま真面目に生きればよかったかもしれません。
【ダメダメの高校時代】
県立の一応進学校に進み、入学当初は漠然と東京の大学に進学することを望んでいました。当時は鹿児島の進学校生というとだいたい鹿児島国立大か東京の私大を志望する訳です。しかし、私はだんだんと授業についていけなくなりました。言い訳をしますと、中学で学んだ同じような科目をやることがとてもつまらなく思えたのも理由です。いま思うと中学ではまあまあ成績が良かったものの、高校の最初の中間テストではたいして成績優秀というわけでもなかったことも大きく影響したと思います。高校1年が終わる頃の私の成績は下から数えたほうがはやいという状況でした。東京の大学どころか県内の私大ですら難しい状況となっていました。
【そうだ!留学しよう。】
明るい希望に満ちた将来に暗雲が漂い始めた頃のある日、私は街の本屋で一冊の本に出会いました。それは落合信彦著、「アメリカよ、あめりかよ、」という本でした。ノンフィクション作家で国際ジャーナリストの落合氏の生い立ちから米国留学時代のストーリーでしたが、私は貧乏な日本の留学生が1ドル360円の当時にフルブライト奨学金を満額得てアメリカの大学を卒業しオイルビジネスで成功したサクセスストーリーにいたく感動し、どういう訳か、私にもできるのではないか?と思ったのです。それから私の一人海外留学調査が始まりました。まだインターネットが無い時代、高校の図書館で留学に関する本を借り、本屋で留学関連の本を購入し、TOEFLの模擬試験本を買いました。なにしろ当時私は地方の新設高校1期生であり、アメリカに留学などした先輩など無く、進路指導で担任の教師に相談したら「おまえは何を夢見ているのか?おまえがその成績でアメリカの大学に行けるわけがないだろ」と鼻で笑われたのでした。しかし、それでも当時の私はアメリカの大学に入学できさえすればあとはなんとかなるだろう、と考えていました。なぜなら米国の大学制度には受験というものはなく、高校時代のテストの成績とその他地域ボランティア活動や部活動、先生からの推薦状と英語の入学テストで入学が決まると本に書いてあったからです。また外国人留学生は高校の成績表とTOEFLの点数で入学の合否が決まると書いていました。高校の成績で落とされるのはもはや仕方がない、しかしTOEFLなら大丈夫だろうと思っていました。このTOEFL試験合格のみの希望に賭けたのでした。とはいえ、英語の成績も相当悪かったのです。そこで私は高校2年生から英語を猛勉強し、高3では普通科ではなく、99%女子の英語科に入り一日8時間くらい朝から晩まで英語だけ勉強しました。土曜日はレンタルビデオを借りて字幕部分を新聞紙で隠して観て、日曜日は朝から晩まで街の映画館で1日2-3回、同じハリウッド映画を繰り返し観てました。そしてTOEFLの試験も受け、一回目は300点代でしたが、二回目で450点ほどになりました。当時4年制の米国大学入学基準の英語力はTOEFL500点から550点といわれていました。
【そして黄金のジョージア時代】
1990年3月に高校をなんとか卒業させて頂いた私は、ジョージア州立ジョージア南大学入学が課す英語の試験合格を条件に入学ができる旨の通知を得て、同年夏に初めて渡米しました。いまでもジョージア州アトランタのグレイハウンド・バスターミナル構内のコインが入らない公衆電話、ベンディングマシーン(自動販売機)裸足の女性、上半身裸の男性が歩くケオスっぷりをよく覚えています。9月入学の目標より遅れたものの、同年12月に大学入学基準の英語の試験にパスし、1991年1月、私はついに米国の州立大学に入学したのでした。地獄のような教養課程を終えた1993年、当時遊んでいたGSUの仲間達に別れを告げ、ニューヨークに行き、マンハッタン23丁目の高層ビルの中のニューヨーク市立大学バルーク校マクロ経済学部に編入したのでした。(ここでも英語の編入試験があったが一発パス!)実は私には高校生の頃から世界一の都市、ニューヨークの大学を卒業する、という夢があったのでした。

超個性的な友達がたくさんいて楽しすぎたジョージア時代。一番右が私。

【またまたダメダメのニューヨーク時代】
ハリウッド映画のような世界の大都会ニューヨーク・マンハッタンにあるニューヨーク市立大に無事編入した私は大学がある23丁目に52丁目から地下鉄で毎朝通っていたのですが、ここでも私は大きく挫折してしまいます。GSUでは日本人留学生もいっぱいましたし、アメリカ人ルームメイトもいて、週末はパーティーで寂しい思いは全くなかったのですが、マンハッタンの高層ビルの大学では学生は授業が終わるとさっさと実家に帰宅、またはアルバイトに行ってしまい、友人をつくる機会など全くありませんでした。同年夏の頃には大学に通うのがつまらなくなり、授業にも行かず、友達もなく、紀伊国屋書店近くのスターバックスコーヒーで一人寂しくコーヒーを呑んでいたのでした。

【再びジョージア】
1994年の冬、朝はアパート近くのカフェでウェイター、夜はバーでウェイターとして働き、留学生くずれの不法滞在移民となりかけていた私は、このまま終わって帰国したら両親に大変申し訳ないと思い、ジョージアに戻ることを決めたのでした。
【夢のまた夢、だった米国大学を卒業】
NYからGAに戻ってからはパーティーもせず、卒業のストレスで蕁麻疹を出しながらも懸命に勉強し、1997年の夏、私はついにGSU経営学部アントレプレナーシップコースを卒業したのでした。当時のことを思うとGSU留学時代、私はほんとうに多くの個性的な友人に恵まれ、とても楽しい留学生活を送ったのでした。

                 1997年GSU夏の卒業式。中央が私。

【教育の仕事に過去一度も携わったこともない、53歳のおっさんが、なぜタビ高?!】
↑ということをよく聞かれます。または思われていることでしょう。GSUを卒業してから2024年1月までほぼIT系の会社で働いてきました。私の留学時代は何にも代えがたい人生の黄金時代でした。貧乏学生だった私に黙ってアルバイトをさせてくれたイラク人のカフェマネージャー、難しい物理の宿題を丁寧に教えてくれたマレーシア人留学生、卒論指導をしてくれたアメリカ人英文学部の学生、毎日明るく楽しい、なにかと笑わせてくれるトルコ人ルームメイト達、当時びっくりするほど個性的で現在では立派に会社のリーダー的立場になっているかつての日本人留学生達、サンクスギビングやクリスマスで寂しい外国人留学生の私を実家に招待してくれた優しく寛容なアメリカ人の学生、ジョージアからオハイオまでのソロバイク旅行の途中でテントに泊めてくれた年老いたベトナム戦争帰還兵達、そしてGSUの大学教授陣と留学生担当職員、これらの友情とサポートなくして私の米国大学卒業は不可能でした。学校というのは一緒にバカをやる友人(とにかくいつも一緒にいる人)生徒を暖かく見守りながら指導する先生、そしてもちろん親や兄弟の無償の愛なくして、卒業は難しいと思います。経験上、一人で学ぶって、相当厳しいことです。

このプロジェクトで実現したいこと
私は高校生が仲間と一緒に世界数カ国を旅して学ぶタビ高等学院(タビ高)を2025年4月に開校します。タビ高の生徒は行きたい国を1年で最低1カ国選んでクラスメイトと一緒に旅して各国の文化、歴史、芸術、言語を学びます。タビ高の生徒は旅から多くを感じとって、教養と知識深め、自ら調べて深く考える、国際社会のリーダーとなってほしいと思います。
近年、通信制高校に通う高校生が年々増加しています。全高校生の12人に1人が通信制高校を選択しているという統計があります。クラスの1人または2人が通信制高校に通う事になります。生徒数約3万人、先進的なオンラインカリキュラムを展開しているN高S高のように好きなこと、自分がやりたい事に全力集中しながら高校を卒業したい高校生が今後益々増えていくと確信しています。


なぜタビ高なのか?
【通信制高校の課題①:全日制高校のように3年間で友達と一緒に卒業することはかなり難しい】
サポート校や塾の支援なしに3年で通信制高校を卒業できる生徒の割合は全体の約20%といわれています。多くの通信制高校卒業生が高校内にある卒業支援、または提携しているサポート校の支援またはそれ以外の塾や予備校から支援を受けながら3年以上かかって高校を卒業しているのが現状です。親御さんは同級生と同じ時期にきちんと卒業できるのか、と危惧されますが、入学から3年間で74単位を取得し、全日制高校生と同時期に卒業する為には相当な努力と強いモチベーションが必要です。
【通信制高校の課題②:友達があまりできない】
通信制高校は実は全日制高校のように週5日通える学校もありますが、最寄りのサテライトキャンパスに通う学習するスタイルではなかなか友達ができないという声をよく聞きます。高校時代の友達ができないというのがもっとも大きな課題と思うのですが、高校の時期に友達が全くできなかったというのは悲しいことと思います。
【旅だけではない、大学に進学する為の学校
タビ高は世界を旅して学ぶ学校です。生徒はクラスメイトと一緒に世界スクーリングに行き、現地の歴史、文化、言語を学びます。旅から帰ったら生徒は旅のレポートを作成します。タビ校は旅をとおして日本とは異なる価値観に触れ、文化や人々の暮らしを生で見るという、自分だけの特別な体験を提供します。クラスメイトと一緒に旅をするので、友達もできます。そして、さらに私の想いとしては、旅で学んだタビ高卒業生が将来、社会におけるリーダーとなってほしいと思っています。またタビ高のプログラムには①高等学校卒業程度認定資格取得オンラインコースと②英検1級取得コースがあります。どちらも大学進学及び社会人になる際にとても重要かつ有益な資格です。高等学校卒業程度認定資格(高認)取得後は高校を卒業していなくても大学受験ができる永久的に有効な国家資格です。タビ高はほとんどの生徒が3年以内に資格取得できると考えています。タビ高では旅をしながら資格取得の勉強をして、資格を取得したら大学や専門学校に進学してほしいと思います。大学は4年間、社会人という自立した大人になるための準備期間であり、より高度な学問的知識を得る貴重な場所であり、長期の旅が自由にできる時間であります。高校生は旅をして学び、大学では自分で選んだ自由な旅をしてまた学びを深めてほしいです。

これまでの活動と準備状況

2024年4月からにタビ高等学院開校の準備を進めてきましたが、残念ながら入学を希望する生徒がまだ募集できておりません。現在新入生募集の為の宣伝広告資金(主にSNSでの宣伝広告費)が不足しています。それで今回クラウド・ファンディングにてご支援をお願いしたいのです。

リターンについて

「タビ高等学院」発足にご支援いただいた皆様には、お礼のメールはもとより、タビ校学校説明会(お食事会)へのご招待や学校名ロゴ入りTシャツなどのリターンをご用意致します。

実施スケジュール

2025年4月の「タビ高等学院」開校に向けて、日々準備を進めております。皆さまのご支援をいただければより一層のスピード感で開校に向けて進めることができます。3月から開校初めの70日間の期間におきましてご支援をお願いしたいと存じます。

最後に・・・

最後までお読みいただいた皆様、誠にありがとうございます。
ChatGPT4oのようなAIが出てきた今日、これから社会に出る若者に必要なことは多くの知識を素早く暗記するだけの能力ではなく、他者にはない自分だけのユニークな体験を持ち、好きなことをひたすらやり続ける情熱があることではないでしょうか。旅を通して、旅から学んだタビ高生達が、自らのエンジンで未来を切り開いていく姿を私は想像します。私自身、旅から多くを学び、友達を得て、多くを学びました。

そして、また私はタビ高という旅に出ました。

皆様の熱いご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます!


支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 広報/宣伝費

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

支援に関するよくある質問

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このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください

最新の活動報告

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  • 2024年1月に会社を退職し、現在まで私が何をしてきたか、ご報告致します。私のタビがはじまった。2024年1月2024年1月1日に私は羽田からパリ、シャルル・ドゴール空港に飛び立った。1月1日は能登半島地震があり、2日は羽田空港でJAL航空機と自衛隊機が激突し大惨事となりました。パリのカフェでウェイターさんが「テレビを観ろ。東京の空港で飛行機が燃えているよ」って教えてくれた。私は1日に出発したので幸運でした。当時私はまだ会社(神奈川県川崎市にあるIT系企業の営業職)を辞めるつもりはなく、タビ高のアイデアすらなかった。なぜパリに行ったかというと、トルコで鯖サンドをボスポラス海峡でたべる、という長年の夢を果たす為でした。ボスポラス海峡はイスタンブールにあるトルコのヨーロッパ地区とアジア地区(Orient)を隔てる海峡でまさしくヨーロッパとアジアの境目である。両岸にはトルコ最大の都市イスタンブールがある。トルコに行くのなら途中でパリに寄ろう。さらに途中でスペインのサン・セバスチャンでバル巡りをしよう、というのが目的でした。イスタンブール、エジプシャンマーケット。グリーンジャケットは大学時代の友人、エユップイスタンブールの街は野良犬が多い。しかし、チップで管理されているから安心。夢のボスポラス海峡に立つ。この後鯖サンドを食べたが、思ったよりおいしくなくて残念。パリの街角には素敵なオープンカフェがたくさん。コンビニはない。水もカフェで購入する。さすが日本のサムライ。エッフェル塔、シャンゼリゼ、凱旋門、ノートルダム大聖堂を弾丸タクシーで周る。スペイン、バスク地方は独特の国。サンセバスチャンのバル街は世界中から観光客が来ていた。私は念願のイスタンブール、パリ、バスク旅行から帰国。短い旅だったけど自分で計画したわりに特にトラブルもなく良い旅だった。米国留学時代のルームメイトに30年ぶりの奇跡の再会もよかった!そして、また2024年も辛い満員電車通勤が始まったのでした。 もっと見る

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