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平和への伝言「ベトナムのドクさん/日本兵の祈り」を歌に! CD制作プロジェクト

〜平和への伝言〜ベトナムのドクさんの願い,帰還できなかった日本兵の祈りを歌うCD制作プロジェクト。ドクさんの詩を歌にしたCDを制作して、ドクさんと共に世界平和を祈り、平和を語り継ぐコンサートの語り部の体験を冊子にします。

現在の支援総額

1,053,000

52%

目標金額は2,000,000円

支援者数

128

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/04/24に募集を開始し、 128人の支援により 1,053,000円の資金を集め、 2024/07/11に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,053,000

52%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数128

このプロジェクトは、2024/04/24に募集を開始し、 128人の支援により 1,053,000円の資金を集め、 2024/07/11に募集を終了しました

〜平和への伝言〜ベトナムのドクさんの願い,帰還できなかった日本兵の祈りを歌うCD制作プロジェクト。ドクさんの詩を歌にしたCDを制作して、ドクさんと共に世界平和を祈り、平和を語り継ぐコンサートの語り部の体験を冊子にします。

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2024/07/09 07:12
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この写真は10年前にベトナムに行き、ツーヅー病院にて、ドクさんと初めて会った時の写真です、真ん中の年配の方は

その頃交流をさせていただいていて、

美地の平和を語り継ぐコンサートで戦争語り部をしてくれた

上松輝昭さんです。

平和祈りの旅もベトナム。カンボジアとご一緒に参加してくださいました。

次の企画、スリランカの頃体調をくずされ参加できず、

お空の人になってしまいました。

昨年NHKファミリーヒストリーで

近藤はるなさんの出演の時に

おじいさんが少年飛行兵だったという話しから、どなたかでないかな?と思っていました。

(はるなさんの祖父の敏明。成績優秀で中学進学を望んだが、経済的理由で断念。昭和18年、敏明は陸軍少年飛行兵に志願して合格した。大津陸軍少年飛行兵学校を経て、所沢陸軍航空整備学校へ。整備兵の道を歩んだ。昭和20年、印旛飛行場で陸軍飛行第23戦隊に配属。印旛飛行場は米軍の標的になり、同期は戦死したという。ほどなくして終戦。敏明は、人生の目標を失ったような複雑な気持ちだったと綴っている。)


大津で訓練生だったという事で

だれか17期少年飛行兵の方がでるのでは?と思いましたら

17期の佐藤昭さんと金さんが

インタビューを受けていました。

昨日、佐藤さんと電話で話しました。

このプロジェクトの

私の平和を語り継ぐコンサートの語り部さんのお話しを纏めるために

少年飛行兵祈念の会 で残した冊子を参考にしたいと思い、アドバイスを受けました。

みなさまとても体力がなくなり

以前は、毎月17日に集まって飲食を共にしていて、私はそこで歌ったり

お話しを聞いていたのですが、

今はご高齢化でその集いもなくなりました。

このプロジェクトも時間をかけてはいられません。

 ◆ 陸軍少年飛行兵学校 =昭和初期、若い志願者の中から、戦闘機などの操縦や通信、整備を行う飛行兵を養成することを目的に設立された。現在の武蔵村山市、大分市、滋賀県大津市に学校があった。「少飛」と略称される。14、15歳の少年が入学し、終戦までに約4万4000人が卒業した。卒業生のうち約4500人が戦死し、その1割は特別攻撃隊によるものとされる。


今回 制作のCD

『僕は唱歌が下手でした』の詩を

遺された

ジャワ島、獄中で亡くなった

佐藤源治さんのヒストリーも

調べています。



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