2024/07/12 15:17
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原発事故に向き合う=私のカルマ
竹内亜紀です。
今日はなぜ私が当プロジェクトをやるのか、お伝えしたいと思います。
長いですがどうか聞いて下さい。
その時私は中学生。
私の実家は度々外国人のショートステイを受け入れる家庭でした。
その時はポーランドのワルシャワ大学からの留学生。
若きパパでした。
その晩、テレビで突然現れたのは遠い国の出来事。
チェルノブイリ原発が爆発している!
私の母が叫びました。
『ロベルトさん‼︎
家にいる奥さんに今すぐ電話しなさい‼︎』
ベラルーシ・ウクライナの西に接するポーランド。
混乱の中、ロベルトさんが私には全く分からない言葉で、早口で奥さんに話しています。
事故の事は全く知らずにいた奥さんは、生まれたばかりの子どもとお留守番。
事の重大さが分からない私には、この光景だけが残っています。
それから5年後。
私は大学3年生。
大学で何気なく見つけたボランティア募集ちらし。
『チェルノブイリの子ども達と遊ぶボランティア募集』
あ、ロベルトさんの時の話だ。
何か惹きつけられるものを感じ、応募しました。
それは、横浜の金沢文庫の一軒家を借りた女性達が、夏休みにチェルノブイリの子ども達を1ヶ月受け入れているプロジェクト。
夏のある日。
湿気が半端ない金沢文庫の住宅街を私は妹と共に歩いていました。
確か『ひまわりの家』という名前だったと思います。
私の想像の中では、青白い顔をして痩せ細った、弱々しい子ども達がいるんだろうな。
次の瞬間、その想像が見事に打ち破られました。
出てきたのは疲れ切ったおばちゃん達と、もう、体力が有り余っていて、今にも外に駆け出して行きたい、本当にうるさいチェルノブイリの小学生の5人の子ども達。
なんじゃこりゃ‼︎
めちゃくちゃ元気やん‼︎
それが第一印象でした。
「とにかく何でもいいから公園で遊ばせて来て」
元気過ぎる子ども達に散々振り回されていたのでしょう。
疲れ切ったおばちゃん達が、妹と私に5人の子ども達を託しました。
ブランコで遊びまくる子ども達。
それを見守る妹と私。
当時私の妹は歯に矯正をしていて、笑うと矯正器具が光ります。
愛想笑いを振り撒く妹の口を見て、子ども達が「ヒィー‼︎」って驚いています。
この、どうでもいい光景が焼き付いています。
それから20年後。
3.11。
福島原発が空焚きになってる!
2歳、4歳、6歳の子ども達を育てていた私には、これはとうてい逃げられない問題でした。
6歳の息子には、直径1センチの口内炎。
福島の子ども達には見えない放射能が降っている。
同じ日本人として何もやらないではいられませんでした。
それで保養受け入れ団体『母ちゃんず』を立ち上げたのです。
一回のキャンプで45名、多い時は70名の福島の親子を受け入れてきたこのキャンプ。
ママ友仲間と始めたこの活動。
自分達も子育てしながらのわやくちゃの活動でした。
もう、大変すぎて何が何だか分からない。
その時私は金沢文庫のおばちゃん達を本当によく思い出していました。
日本人の親子を受け入れるのだってこんなに大変なんだから、外国人の子ども達を受け入れていた彼女達は、自分達の100倍大変だったんだろうな。
保養する事で迷惑すぎるくらい元気になっていた、チェルノブイリの子ども達と疲れた日本のおばちゃん達。
彼らはずっと私の脳裏にいました。
その意味が強烈に分かったのは、自分が母になった時だったのです。
私の人生の中でこうして触れて来た原発事故。
それが私のカルマとして、この世の中に生まれた自分の宿命だと勝手に感じて、今私がここにいます。
私は自分の人生をかけてこのプロジェクトをしています。
どうかお力をお貸し下さい。
クラウドファンディングしています。
拡散のご協力、どうぞよろしくお願い申し上げます。