2018/06/11 10:32

本日は、4人目薩摩スチューデント紹介をさせて頂きます!

【氏名、年齢】

畠山義成  (はたけやま よしなり)

22歳(薩摩藩留学生当時)

 

【生まれ~薩摩英国留学生になるまで】

鹿児島城下平之馬場(現在の鹿児島市平之町)に生まれる。

留学当時、当番頭。「一所持格」の出身。留学生第一次グループ選抜者から3人が辞退したため、後の候補として選ばれた。当初反対したが、藩主父の島津に説得されて留学生に加わったとされる。

 

【薩摩藩の留学生として海外へ渡る】  

通訳として、イギリスへ渡る。

鹿児島を出発してから、ロンドン到着直後の様子のわかる「畠山義成洋行日記」を遺した人。また、留学して一年ほどたった慶応2年(1866)夏には、朝倉・中村のいるフランス単独旅行に出かけ、見聞を広めている。1868年9月にニュージャージー州のラトガース大学に入学。また、この時留学生管理役、財政管理役となる。

ヨーロッパで学制視察をしながら、帰国を命じられる。

その後「岩倉使節団」に合流し、アメリカへ戻る。書記官として合流。岩倉具視と共に各国を訪問。1873年9月使節団とともに帰国。

 

【帰国後の活躍について】 

帰国後は文部省に出仕し、東京開成学校(東京大学の前身)校長、東京外国語学校(東京外国語大学の前身)の校長に就任。東京書籍館(国立国会図書館の前身の一つ)・東京博物館(国立科学博物館および小石川植物園の前身)の館長を兼務する。明治9年(1876)10月20日フィラデルフィア万博視察で渡米するが病のため帰国する船中、34歳で死去。

 

日本の教育を創った人物であった。