[2024.7.17 追記]
募集終了の7月31日まで、残りわずかとなりました
この度は私のプロジェクトに大きなご支援をいただき、本当にありがとうございます。皆さまからの暖かいお心遣い、励ましのお言葉もいただき、父もますます頑張って仕事に励んでおります。
輪島市内では家屋の解体撤去も各所で始まっていますが、数が多いのでまだまだ先は長そうです。1日も早く地域の皆さんが安心して暮らせるよう、私も父をサポートして一緒に頑張りたいと思っています。
5月に始めたこのクラウドファンディングも期限は7月31日まで、あと残りわずかとなりました。目標達成に向けて、どうか最後まで暖かいご支援をいただけますよう、心よりお願い申し上げます。
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プロジェクト立ち上げの背景
初めまして、私は石川県輪島市に住む戸前宏治と申します。このページをご覧いただきありがとうございます。
元日に発生した能登半島地震は、能登全域に甚大な被害をもたらしました。大工をしている私の父の作業場も大きく損壊して、仕事ができない状態になってしまいました。
地震から5ヶ月近く経った現在も、町は未だ無惨につぶれてしまった家や今にも倒壊しそうな家であふれています。そんな中、父も大工の腕を活かして少しでも早く地域の皆さんの復興のお役に立ちたいとの思いを募らせているのですが、作業場が使えない状態では思うように仕事もできず、この状況を早急に変えたいという強い思いから今回クラウドファンディングに挑戦することといたしました。
私の父について
私の父は1950年に生まれ、57年間この輪島の地で独立した大工として働いてきました。長年地元の皆さんのために、主に住宅を中心に長く住みやすい家を建てることを念頭に、一生懸命仕事をしてきました。根っからの仕事好きで、おかげさまでこれまで依頼も途切れることがなく、74歳になった今も現役で元気に活動しています。
能登半島地震の大きな被害
今回の能登半島地震は、能登全域に大変な被害をもたらしました。輪島市でも町中に倒壊した家屋があふれ、倒れたビルや、大規模な火災で焼け野原になってしまった朝市通りの光景には大変なショックを受けました。犠牲者は245人を数え、私の知人にも亡くなった方もおられて本当に心が痛みます。この地震で犠牲になられた方へ心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
地震から5ヶ月近く経った今、輪島市では少しずつ倒壊した家屋の撤去は始まっていますが、まだまだ手付かずのところが多く、街の景色は元日から大きく変わっていません。ニュースで取り上げられることも少なくなりましたが、復興しているという実感はあまりありません。他所から能登に来て街の様子を見た人が、「まるで昨日地震が起きたようだ」と感想をもらすような、そんな光景です。
父の自宅と作業場は市街地から少し離れた山あいの集落にあるのですが、地震のひどい揺れで自宅も作業場も大きく損壊し、自宅は全く住める状態ではなくなりました。また作業場も大きく傾いて室内の工作機械も倒れて使えなくなり、道具や材料も散乱してどこから手をつけていいのかわからない状態で、呆然として途方に暮れてしまいました。
また電気や水道も完全に止まり、自宅周辺の道も崩落や陥没のため当初はまともに通行できる状態ではありませんでした。電気はなんとか復旧しましたが、断水は地震から5ヶ月ほど経った今も解消されていません。
傷んだ家屋の応急修理へ奔走した3ヶ月
そんな厳しい状況でしたが、地震発生直後から父は大工として市内各所の傷んだ家屋の応急修理に奔走してきました。なんとか取り出せた道具を使い、あちこちの家の屋根に登って雨漏りを防ぎ、余震が来ても危険がないように補強工事をし…と、余震も多い中休みなく作業を続けてきました。息子の私は輪島塗の職人なのですが、ろくに休みも取らない父を少しでも助けたいと思い、仕事の合間を縫っては屋根に登って父の仕事を手伝いました。
また、父が建てて以前私が住んでいた家が郊外にあるのですが、その家は被害が少なかったので、地震のすぐ後から自主避難所として使いました。父も私の家族もその家に移り、その後父を頼って自宅に住めなくなった親戚も加わり、多いときには15人もの人間がこの家で避難生活を送りました。
私の母、つまり父にとっては妻になるのですが、もう30年も前に若くして病気で亡くなっております。一人暮らしをするようになってからも生活全般なんでも器用にこなし、こんな歳になるまで弱音を吐くのも聞いたことがありません。寡黙で仕事熱心な父ですが、世話好きでもあり、身内や周囲の人たちからも頼りにされてきました。仕事はきちんと真面目にするものだ、という姿勢は、父が背中で教えてくれたと思っています。
困難な作業場の再建
地震後、全国からもたくさんの方々が能登に入り、多方面にわたってご支援、復旧作業にあたっていただいております。本当に感謝しかありません。ですが、今回の地震は被害規模が大きすぎて、未だに元日のまま崩れて手付かずの場所があまりに多く、先が見えません。傷んで不安のある家でも修理して住まざるを得ない方も多いです。
応急作業はほぼ一段落したものの、これからは膨大な量の建築作業をしていかなければなりません。しかし、圧倒的に大工の数が足りておらず、街並みが整うにはこの先何年かかるかわかりません。
長年大工として仕事をしてきた父は、地元のために住宅の再建や修理に貢献したいと考えています。建物の修理依頼や新築の相談もたくさんいただいており、梅雨も近いので1日も早く仕事に取り掛かりたいと思っています。
しかし現在、前述の通り今の作業場は建物が傾いて全く使える状態ではなく、倒壊の危険もあるのでここで作業をするのは不可能です。大工の作業場は、柱や梁など家の部材となる木材を加工するために不可欠な場所で、本格的に仕事を行うためにはどうしても必要なものです。
そこで、今の作業場よりも町に近い場所に自由に使える空きスペースがあるので、そこに簡易な作業場を設け、修理した機械と道具を移して新たな拠点としたいと考えました。しかし、現作業場の撤去や傷んだ機械と道具類の修理、また失った材料の確保などを考えると、そのための資金はどうしても不足しています。計画はあっても自分の力だけではどうにもならず、この先どうしたものかと途方にくれておりました。
クラウドファンディングへの挑戦
家族でもああでもないこうでもないといろいろと話をしたのですが、なかなか結論は出ません。そんな中、私がクラウドファンディングのことを話してみましたら、父はそういうことに疎い上に、昔の人間なので人様にお金を支援していただくことにも少し抵抗があったようで、最初はあまり乗り気ではありませんでした。しかし、地元のために早く仕事を始めることを何よりも第1に考えたら、どんなことでも頑張ってやらんとな...と、初めてのことで不安はありますが、挑戦してみようか、ということになりました。
もしご支援をいただけたら、新たな作業場の設置と、傷んだ機械と道具の修理、地震のため失った材料の調達に充てたいと考えています。
リターン品について
この状況ではなかなか凝ったものはできませんが、能登の特産のアテの木(ヒバ、あすなろ)で作った「本漆拭き」の鍋敷とカトラリー置き、コースターを用意しようと考えています。ちょうど私が輪島塗の職人をやっておりますので、父の作った木地に私が拭漆をして、親子の合作で作ろうと思っています。簡単なものですが、ご支援いただいた方へのせめてもの御礼に、「アテ」と「漆」という能登の香りを感じていただけたらと思います。
最後に
ここまで読んでくださりありがとうございます。
父がこの先大工としていつまでバリバリ働けるかわかりませんが、それ故に一刻も早く作業できる場所を作り、復興に最大限の力を振り絞って貢献したいと考えております。一人でも多くの皆様の手を借りて、再び地域の人々が安心して生活できる環境を作り出すことが父の願いです。このプロジェクトに心を寄せていただけると幸いです。
最新の活動報告
もっと見る壊れてしまったホゾ取り機です
2024/06/08 19:19ご支援いただいた皆様、本当にありがとうございます。近況をご報告いたします。こちらは損壊した作業場から先日運び出した機械のうちの一つ、「ホゾ取り機」というものです。今回の地震で倒れて、丸ノコ部分を上下させるためのゼンマイが割れてしまいました。この機械はもう50年ほど使ってきたもので、今はゼンマイを使っているようなものはありません。そうそう買い替えできる値段のものでもないので、何度か修理しながら大事に使ってきたものですが、さすがに今回はダメージが大きくて修理も難しそうです。 もっと見る
機械を一部運び出しました
2024/05/28 17:34先日、損壊した作業場から機械を一部運び出しました。天気の良い日に機械屋さんのユニック車をチャーターして、傾いた建物に注意しながら何台かの機械を取り出し、運んでもらいました。この後、修理が可能なものは整備してもらって、新しい作業場に設置したいと思います。 もっと見る
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