はじめまして、NPO法人ボランティアネットです。茨城県の県南・県西地域の僧侶(真宗大谷派)仲間と、2011年3月11日東日本大震災以降、定期的に被災地に身を運び、物資の運搬や炊き出しを行ってきました。スタッフは僧侶で結成しており、現在は能登半島地震災害の支援活動をしています。2024年1月から毎月能登半島へ向かい、避難所への炊き出しを中心に物資の支援などの活動を行っています。
半年が経過し、徐々に仮設住宅への移住が始まりつつありますが、まだまだ復興とは程遠く、街並みや家屋の状況は地震当時とあまり変わっていません。
息の長い支援が必要だと感じております。
目 次
◆ これまでの支援活動内容 ◆
◆ なぜ炊き出しをつづけるのか? ◆
◆ キッチンカーの目的・役割・予算 ◆
◆ このプロジェクトで実現したいこと ◆
◆ リターンについて ◆
◆ 代表挨拶 ◆
◆ これまでの支援活動内容 ◆
◎発足のきっかけ
2011年3月11日に発生した「東日本大震災」。
発生後の3月末、宮城県南三陸町と石巻市の避難所に、茨城県の僧侶数名で物資を届けました。
現場の光景は言葉を失うほどの凄まじさでした。町と道路は崩壊し、車や瓦礫が散乱し、そしてあたり一面のヘドロと油と浜の匂いが混じり合い、何とも言えない悪臭が漂っていました。
ガソリンスタンドには何キロにもわたる車の列、破壊した町で何かを探している人々の姿、自衛隊の行方不明者捜索活動。
それらは、全てに希望を失ってしまいそうな光景でした。
直接避難所を訪ねました。
そこには、家族を失い、住む場所を失い、職を失った方々がおられましたが、私たちはひと言の声すらかけられませんでした。
何が必要か、どんな支援が出来るのかといろいろ模索するなか、お一人の被災者の声がありました。
「温かいものが食べたい」と。
このお一人の声が炊き出しの支援につながり、そうして「東日本大震災被災者を支援する会」(発足時の名称)を発足し、長期にわたり被災者の支援活動を行うことになりました。
◎2011年4月支援活動スタート
炊き出しに必要な器材・寸胴・大鍋などを集め、何とか炊き出しの準備が整いました。
当日の避難所で、鍋の配置や手順、湯を沸かす時間などで混乱しないよう、予行演習も行いました。
何とか形が出来て本格的なうどんの炊き出しになりました。
2011年4月19日に炊き出しの器材や物資の積み込みをし、東北自動車道をひたすら走りました。
途中やはり道路状況が悪く、仙台市を過ぎたあたりからだんだん車が渋滞しはじめ、11時30分石巻中学校に到着しました。
急ぎ炊き出しの準備。風が冷たく少し曇りの天候のため、風除けのためにテントの周りをシートなどで囲みました。
12時30からいよいよ開始。大勢の方々が並びました。
うどんを運ぶのはダンボールで作った手製のおぼん。具沢山のうどんは初めてだそうで、皆さんとても美味しそうに食べていただきました。
◆ なぜ炊き出しをつづけるのか? ◆
◎これまでの炊き出し支援活動を通して
我々はそれ以降、宮城県をはじめ福島県(2011年 東日本大震災)・岩手県(2011年 東日本大震災)・茨城県(2015年 常総市鬼怒川水害)・熊本県(2016年 熊本地震)・長野県(2019年 千曲川水害)など、炊き出しを支援活動の主軸とし、活動を継続していきました。
・被災者の声「忘れないでください」
私たちが特に注意したのは、ただ食事を提供するだけではなく、食を囲んだコミュニティ(共同体)づくりを大切にしていこうとしてきた点です。
被災された方から「皆さんの顔をみると元気がもらえる」と書かれた御礼の手紙をもらいました。
私たちのしていることは小さな事かもしれないが、「自分たち(被災された方々)の事を見ていてくれている人がいる」「見捨てないでいてくれる人がいる」ということが、震災にあった方たちとっては生きていく力になるのだと感じています。
「忘れないでください」、この言葉は被災地で何度も耳にしてきた言葉です。
被災地に足を運び、継続して関わりをもつということがとても大切だと感じています。
・被災者の声に耳を傾ける
被災された方々は、大切な人やものを多く失いました。家・家族・故郷・友人・学校等々。
「津波で死んでしまった方がよかったのではないかと考えると、眠れない時がある」と何度もお聞きしてきました。
海や大地とともに生きてきた方たちにとって、海から遠く離れた仮設住宅での暮らしは、住み慣れた風景を失った暮らしでもあります。
人それぞれ大切なものは違いますが、喪失体験の中で、自暴自棄になったり、ふさぎ込んでしまう傾向もあるように思います。
大切な人を亡くした経験から、なかなか前向きなれない方も大勢いらっしゃいます。
そうした様々な喪失体験に耳を傾けることが必要だと思っています。
・炊き出しは食を囲んだコミュニティ
私たちの活動が主に炊き出しなのは、その目的を食を囲んだコミュニティ(共同体)づくりにおいているからです。
当時、2011年7月以降、被災者の方々は徐々に避難所から仮設へ移られました。
避難所から仮設住宅に移る時に、コミュニティが維持できるようにすればよかったのですが、当時行政は「平等」という名目でクジを引かせて、順番に仮設への入居を始めました。そのため、避難所の中で築かれたコミュニティを解体してしまったのです。
仮設住宅で生活されている方々は、集える場を望んでいました。
炊き出しは、食事を食べれるとともに、仮設住宅内の人たちが集まって会話ができると、みなさん喜んで来てくださいました。夕食の炊き出しに人が一番集まるのですが、お互い知り合い同士と久しぶりに会ったり、初めて自己紹介をしたりして、温かい人間関係がそこに生まれます。
夏などは、子供たち向けに焼きそばや・かき氷などお祭り風の炊き出しもおこないました。
また、一方で問題になっていた事は、仮設住宅から外出せず、人と会わなくなり引きこもってしまったり、失業や家族を亡くした方々がやる気を失いアルコールに依存してしまうケースも徐々に増えつつありましたが、そうした状況の方でも夜の炊き出しには顔を出してくれていました。
・うどんからラーメンへ
避難所では、野菜不足ということもありけんちん汁のそば・うどんを炊き出していましたが、その後仮設には子供さんも多かった事もあり、ラーメンへ切り替えました。それ以降ずっとラーメンです。
「どこのラーメン屋さんですか」と尋ねられるほどになりました。
◆ キッチンカーの目的・役割・予算 ◆
~活動を継続するための課題
資金・人員・時間・炊き出し用具すべての条件を満たさなければ、活動の継続は難しくなります。
そこで次の二つに、大きく舵取りをしました。
・組織のNPO化
2013年7月にNPOを設立。それまでの非公式な団体「東日本大震災被災者を支援する会」から、公式団体「NPO法人災害ボランティアネット(現在・NPO法人ボランティアネット)」となることで、募金や活動支援金を大規模かつ効率よく行えるようになり、当面の資金不足が解消されました。
・キッチンカーの確保
2014年10月にキッチンカーを購入。
炊き出しに必要な炊事用具・電気・水すべてを兼ね備えたキッチンカーにより、少人数での活動が容易になり、またどんな場所でも短時間で準備が可能になり、より多くの温かい炊き出しが可能となりました。
・2011年3月 東日本大震災(2014年より活動)[1往復800㎞]
・2015年9月 地元茨城県常総市鬼怒川水害 [茨城地元のため長距離走行せず]
・2016年4月 熊本地震[1往復2600㎞]
・2019年令和元年台風 千曲川氾濫 [1往復540km]
・2024年1月 能登半島地震 [1往復1160km]
走行距離は約55000km 10年間にわたる活躍をみせてくれました。
◆ このプロジェクトで実現したいこと ◆
◎炊き出しキッチンカー新車へ購入目的
2011年~2024年にかけて、宮城県・岩手県・福島県・茨城県・熊本県・長野県・石川県へと、支援活動はつづきました。現在も能登半島地震への支援を続けております。
10年にわたり活躍してくれたキッチンカーですが、車体は2006年の製造であり、だいぶ老朽化が進んでいます。外装を奇麗にするために、2023年10月にはピンクからブルーへ全塗装しました。
このキッチンカーは、食事を販売していた車を中古で購入しました。そのため長距離走行を考慮した造りではなく、エンジンパワーは強くありません。備えつけられている炊事機材の重量もかさみ、元々2トントラックなのですが、それ以上の重量となってしまっています。
被災地へむかうときは毎回高速道路を走りますが、途中ちょっとした坂道では、速度が時速50キロしか出ない時も多々あります。
被災地の道路状況はたいてい悪いため、車体の足回りにかかる負担は大きくなり、修理・修繕もたびたび行わなければなりません。
今回の能登半島地震では、キッチンカーが走る距離は茨城県――石川県珠洲市となり、片道約580㎞の長距離となります。特に今回は道路状況がひどく、車両にはかなりダメージをうけています。
下回りにも錆がひどく、発電機の燃料タンクも破損しており、応急修理でなんとかしのいでいる始末です。
これらの状況を考え安全に支援活動を継続していくために、炊き出し用キッチンカーを新車で製造することに決めました。
◎総予算額
新車2tトラック費用約500万円 キッチン改造費用約500万円
製造期間約1年
◎さらなる願い
・ラーメンを中心に麺類の炊き出し機材ですが、今度は焼き物やご飯類もできるように機材を装備し、ご飯ものも炊き出していきたいと考えています。
・ボランティア活動で児童障碍者施設へラーメン提供を行ったこともあるので、ラーメン以外のほかの食事も施設で提供していきたいと考えています。
・ご飯類も提供できるような、移動式子供食堂も視野に入れています。
◆ リターンについて ◆
本企画のリターンのうち、商品を扱ったものは、いずれも今まで支援活動をしたご縁の深い地域の特産品です。
宮城県石巻市雄勝の海産物
熊本県各地の名産・特産品
いずれも「東日本大震災」「熊本地震」で、支援活動を行った地域からの、産地直送となっております。
復興成って生産活動が復活した「能登半島の特産品」が、ここに並ぶことを願っております。
◆ 代表挨拶 ◆
代表の梁河文昌です。
最後までご覧いただき有難うございました。
震災の被害に遭いながらも助かった人たちの中には、孤独死や自死されている現状があり「孤立」「孤独」の問題をどうしたらいいのか? 自問自答しております。
「命を救いたい」という願いが身体を動かしているのだと感じております。
今年の能登半島地震後、宮城県石巻市水浜地区(現在 復興住宅にて生活)の方々から、お手紙をいただきました。ご紹介いたします
「ラーメンの炊き出しは、心も体も温かくなりいつも忘れることのない光景です。
またいつかあのラーメンが食べたいです。
そして能登で被災された人たちにもラーメンを作って食べてもらって下さい。
きっと笑顔になります。
いつも気にかけていただきありがとうございます」
何卒、お力添えを宜しくお願い致します。
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