こんにちは!はじめまして。
いつもあたたかいご支援、ご協力本当にありがとうございます!
この度、個展でありがたいことにモデルをさせていただく
shanshan(しゃんしゃん)と申します。
文章下手ではありますが、今日は個展や葉瑠名への想いを少しだけ書こうかなと思います。
今回の個展のコンセプトである「陰陽」。
これはたくさん葉瑠名が話してくれているとおり
テーマのひとつは双極性障害を持つ我々の話です。
この病(という言い方はあまり好きではないので、以降『性質』と言いかえます。笑)になって気づいたことなのですが、
意外と世の中には所謂 “躁鬱” の経験がある人はいるんだなぁということ。
たびたび話になるのです。
「どうして躁転して躁状態の時って、あんなに世界がキラキラして何でも出来る!やってやるー!って気持ちになるんだろう?」
「それなー!!」(ケラケラ)
人によって性質の出てき方は様々だとは思いますが、
わたしは特に鬱期に入ると鬱の傾向が強く出るので
躁状態になると心が幸せに満たされます。
生きてることに幸せを感じられることが、どうしようもなく幸せだと思えます。
窓から入ってくるお日様だとか、
お散歩している時に見つけた猫ちゃんだとか、
かと思ったら日頃まわりに居てくれる人達に感謝し出して
気持ちがいっぱいになって…。
なぁんて幸せなんだろうな、なんて考えたり。
いちいちストーリー性を見出しては、世界が輝いて見えるのです。
(行きすぎるとわたしの場合は宇宙人になってしまうので、支離滅裂な文章を他人に送りだすので注意なんですけれど(´ . .)
自分が自分であることを肯定してあげることができる。
だからこそ、わたしはとても鬱期が怖いです。
それはいつまで経っても変わらないです。
二、三日お風呂も入らずご飯もたべず、特に何もしないまま、出来ないまま、ひとりずっと孤独の中、お布団というシェルターに籠るしかない。
自分が自分を責めるのです。いつ自分が何をしでかすのか怖くて、だから眠るしか出来ません。
鬱って想像以上にに周りに侵食します。
わたしの中のイメージの話ですが、
「助けて」と叫ぶたくさんの手達が
鬱を纏っているその人の周りからうねうねと
『優しくしたい』『なんとかしてあげたい』『心配だな』と近づいて来てくれた人へ向けて無意識でも
手伸ばしネガティブな波長へ包み込んでしまう。
侵食するのが分かっているから、適度にしないと傷つけてしまう。
傷つけたくなくて、でもひとりでいられなくて
でも元気なふりをするのは出来なくてしんどくて人と居られなくて。
余計に人と関われなくなって
1人で暗くドロドロとした場所からずっと出られずに…。
自分が自分であることを否定するのです。
ね、全く別の人格みたいでしょう?
だからこそ躁鬱のことを分かちあえ、頼らせてくれる葉瑠名の存在は、わたしにとって特別で本当にいつもありがたいです。
彼女のしんどい時期を間近で見て来ました。
人のことなので詳細は割愛しますが、今現在の状況に回復するまでの過程や葛藤も、隣でずっと見ていました。
それで見ていて思うのです。
彼女の芯の強さは、底抜けに明るいところだなぁって。
根っこの部分が、気も強くて優しいドポジティブ人間なんですよね。
自分のことも他人のことも肯定してあげられる強さ。
でもそれを獲得するまでに、彼女はひたすら悩んで傷ついたり自分を傷つけたりしながらも、懸命に前に進んでいつも笑っていたからなんだろうなぁと思ったりしました。
だからある時言いました。
「太陽が葉瑠名で、月がわたしみたいだよね。」
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小学生の時に「自分の名前の由来を両親に聞いて見よう!」という授業があったんですね。
その時に自分の名前の意味に
「太陽みたいに明るい女の子になって欲しい」という気持ちが込められていることを知りました。
わたしはこの名前を気に入っています。
でもそれと同時に、そんなふうになれない自分を『真反対だなぁ』なんて、思っていました。
だからこそふと、彼女と話をしていて出た言葉だったと思います。
昔から人の裏の気持ちがあまり読めずに、
空気が読めなくてなんとなく浮いていて
あまり肯定されずに生きてきたからなのか、わたし自信は底抜けに明るい人格ではないのです。
でも、葉瑠名によく怒られます。
「はっちゃんはもっと自分に自信を持った方がいい!!」
可愛い。可愛いって。
照らしてくれて嬉しかった。
もう一つ実は陰陽というのはわたしのシンボルマークだと勝手に思っていることでもあります。
明るい自分になって欲しいと名前に込められた自分と、そうなれないと自信がない自分。
でもね、なぜかわたしはよく昔から笑顔を他の人から褒めて貰えることが多いんですよ。
“どんなあなたでも存在していい”
これも小学生の話ですが、初めて☯マークを見た時に
まるで恋したみたいにドキドキしてたことを今でも覚えています。
その時は何故なのか分かりませんでしたが、大人になるにつれて古代中国の思想ですが、「陰陽」というのはこの世の全てに通じるなと、その通りだなと思うようになりました。
どちらかが良い、というものではないんですね。
中庸が肝要なのですね。
この個展を通じて、もっと自分のことが好きになれたらいいなぁ。
「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず。」
shanshan