皆さまには、多大なご寄付を頂きまして、本当にありがとうございました。また、そればかりか、ご家族やご友人にお声掛け下さった方もいたかと存じます。改めて、お礼を申し上げます。9月より順次、皆様のご寄付を学校活動に活用させて頂いていますが、戦争のために、学校は一時的に閉鎖しており、できる活動を子どもたちや避難民の方に行っています。
レバノンは悲しいことに、今、戦下にあります。毎日、頻繁に爆撃の音を聞きます。ズシンと腹に響く低音が聞こえ、遅れて窓がミシッときしむと、建物がずずずーと音を立てる振動がくる。それがほぼ同時に来るくらいに近いと、本当にびくってします。ドローンも頻繁に飛びます。10月4日には、近所の日曜マーケット脇がドローンで攻撃されました。それ以来、農作業中も飛来音が聞こえるたび、木陰に隠れる習慣になっています。祖父母から聞いた防空壕に逃げ隠れる話が脳裏をよぎります。爆撃により、レバノン全土で120万人以上の人々が避難しています。
レバノンの人たちの自助支援の素早さには目を見張ります。2019年に始まった経済危機、2020年に港で起こったベイルート爆発などで、人々は互いに支えあう力を蓄えてきました。力を注いだ多くの人々が国外に出てしまったと、レバノンの活力を悲観する話も聞きますが、変わらない心意気は今回の危機でも見られます。
その一つでもある避難所ですが、各地の学校施設が開放され、その数を日に日に増やしているものの、十分でありません。私たちの村の公園にも、避難所に入りきれない家族が野宿しています。これらの避難民の方々に、先ずは状況を聞き、火を使わないで食べられる食料を渡しています。菜園への通り道でもあり、帰りがけにトマトやピーマン、ナス、とうがらしなどを配ったり、子どもたちにリンゴやプラムを渡しています。喜んでくれます。少しでも助けになればです。朝晩の冷え込みも出てきました。寒くないかを尋ね、毛布も渡し始めています。チームメンバーは機転を効かせ、赤ちゃん用の粉ミルクが必要と言われれば配布をしたり、野宿する家族へは衛生面を心配して衛生用品を配ったり、手を怪我している母親に感染しないような薬を渡したりしています。
それから、生徒たちの安否確認も続けています。こんな状況になったため、シリアに戻る家族がいたり、しばらく家を空けている家族などもいるためです。難民キャンプを訪れると、見慣れない子どもに出くわします。聞けば、爆撃の激しいレバノン南部やバールベックから逃げてきたと言います。聞き取り調査をしてみると、多くの生徒の家族が、小さな間取りのテントに、時には二家族もの親戚を受け入れています。
私たちは早速、自分たちで収穫した野菜や果物を配りました。また、米やレンズ豆、ブルガル、パスタ、チーズ、オリーブオイル、クッキングオイルなどを届けました。今後、お茶や砂糖などの嗜好品も順次配っていきます。家庭消費の全てを賄いきれませんが、少しでも助けになればと思っています。
また、空き時間にドライフルーツ作りに励んでいます。レーズン、青りんご、プラム、イチゴ、いちじくなど。甘酸っぱい感じに仕上がり、すごく美味しいです!それらを子どもたちに配ります。
今、子どもたちは、学校に行くことができない状況にあります。爆撃初日、教育庁から学校閉鎖の通達が ありました。それが1日、週末まで、3週間、今月末までと日に日に延びています。キャンプを訪ねると、学校はいつ開くの?と子らは毎回聞いてきます。勉強したいと言います。また、爆撃の音に怯えて寝られないとも聞きます。大人でも恐ろしいです。そこで、かっちりした学びではなく、もし気持ちが緊張によって少し硬くなっているなら、それを少しだけその時だけでも解せるような遊びサークルをキャンプで始めました。まずは2箇所で開始しました。
子どもたちのニーズに応えたいと思って、ファン・アクティビティをやってみましたが、避難してきた新しい子らも楽しそうでした。コミュニティに溶け込む一つのきっかけになったのではないでしょうか。また、筆記用具を使う機会は家ではあまりないと聞きます。一生懸命に課題を仕上げた子らが、先生たちに努力を褒められる顔が誇らしそうでした。子どもたちのためにも一過性で終わらせたくないのですが、周囲の緊迫感次第です。1日でも先が見えなく、1週間後はその時の状況と社会の切迫さ次第です。終わりに、私たちのドライフルーツを配りました。普段はスナック菓子やキャンディを食べる彼らが好むかは、少し様子を見ています。
毎日の爆撃は続いていますが、私の家と学校付近は未だ攻撃されていません。その状況が続くなら、生徒の安否確認の後にも、子どもたちや避難者の方々への支援を続けます。現在は緊急支援フェーズ。食料のほか、衣類や靴、赤ん坊のミルク、衛生用品、医療品、女性用のパッドなどを必要により提供しています。また、ご報告いたします。