文化大革命が終わった後のことです。鄧小平の下で改革推進に取り組んだ共産党総書記の胡耀邦は1980年5月、チベットを視察し、文革で疲弊した現地の状況を目の当たりにした後、「チベット人民の生活は目立った向上が見られない。われわれは責任を負うべきかどうか? まずわれわれ中央が責任を負う。8割の責任は中央が負う」と自己批判した上で、地元幹部らをこう叱責しました。
「何年もの間、カネの使い方が不適切で、浪費がひどく、カネをヤルンツァンポ川(チベット高原を流れる大河)に捨てちまった!」
その発言内容は率直な人柄で知られた胡耀邦らしく、従来のチベット政策の誤りを単刀直入に指摘し、歯に衣を着せない批判と反省の念に満ちたものでした。胡耀邦は今後解決すべき問題の筆頭に「自治の権利」の十分な行使を挙げ、全国面積の8分の1を占めるチベットは「相当に特殊な大自治区」であると強調し、「自治がなければ、全国人民の団結はない。自治とは自主権だ」と明言しました。さらに、「あなた方自身の特殊性に基づいて具体的な法令、法規、条例を制定し、自分たちの民族の特殊な権益を守ること。今後、あなた方が中央の物事をそっくりそのまま適用しようとするならば、批判しなければならない。外地のマネも中央のマネも一切してはならない」と厳命しただけでなく、「チベットで仕事をする漢族幹部は必修の科目としてチベット語を学ばなければならないと思う。さもないと、民衆から遊離してしまう。少数民族を心から愛するというのは空念仏ではなく、彼らの風俗習慣、言語、歴史、文化を尊重する必要がある。いかなる漢族幹部であれ、チベット族の文化を無視したり衰退させたりする考え方は間違っており、民族団結の強化にとってマイナスである」として、民族文化を積極的に擁護するよう訴えました。
以上のように、胡耀邦が力説したのはチベットの「特殊性」を考慮して「自治権」と「民族文化」を重んじなければならないということでした。文革終了までの中国のチベット統治を振り返ると、共産党トップがこうした新政策を打ち出したことは非常に画期的な出来事でした。新政策がその後着実に推進されたとするならば、チベットの民族文化、宗教、社会、教育などをめぐる状況は大きく改善されていた可能性があります。しかし、胡耀邦は「ブルジョア自由化」という名の民主化要求への対応が甘かったとして党内保守派の攻撃を受け、1987年に総書記辞任(事実上の失脚)へと追い込まれました。新チベット政策はこうして実ることなく、頓挫することになります。
翻って、現在の習近平政権のチベット政策はどうでしょうか。ひと言でまとめるなら、胡耀邦がやろうとしたこととは真逆の方向へ動いています。チベットの「特殊性」や「民族の特殊な権益」は認めず、「チベット仏教の中国化」をはじめとした中央の一元化政策にひたすら服従するよう強要しています。チベット人の民族性の核心であるチベット語は軽視され、学校教育では中国語の習得が最優先されています。かつて帝国主義日本は植民地の朝鮮や台湾で現地の人々に日本語を強要し、神社をつくって皇民化教育を推進しました。中国とチベットの関係を考えるとき、避けて通ることができないのは圧迫民族と被圧迫民族の問題です。かつて帝国主義列強の侵略に苦しんだ中国は被圧迫民族の心情を最も理解できる国のはずですが、チベット人を被圧迫民族という観点からはいささかも理解しようとしないところに、チベット問題の、越えがたい断裂があるように思います。