「みえない木彫教室」木彫教室の話を書きます。私は教育関係には無縁に生きてきましたが、見えていた頃からやっていた、木彫教室の運営だけは、続けています。見えなくなってからは、新人を入会させることはしませんが、ベテランだけは今でも面倒を見ています。刃物の研ぎ方などの道具の使い方は教えられなくなりましたが、ある程度彫れる人の指導であれば依然と変わらず教えることが出来ます。触ることさえできれば作品の出来の良し悪しだけでなくその作品を彫っている人の人格もほぼわかります。考えたら不思議ですね。見えていたころ、木彫教室に入会希望で見学に来た人と話をすればその人が木彫を始めたらどんな作品を彫るか、どこで躓くか大体見当がつきます。そしてほぼあたります。かといってクリアにわかるのは彫刻の事だけです。まあ彫刻バカなんですね。霊能力とは違うと思うのですが、仏像を、時間をかけてみていると、仏像を作った時代背景や、実際に彫っている様子がたまに映像のように見えることがあります。文章も字面だけで伝わることよりも文字の行間からにじみ出る感情が伝わることが多々あります。今は音だけを聞いて読んでいるので、文字の行間からにじみでる著者の感情は伝わりづらくなりました。残念です。彫刻であれば触ることさえできれば、作家の想いはおよそ伝わります。自分に負荷をかけない程度に木彫教室は続けようと思います。
「KING OF JMK ~おとな達の上毛かるた日本一決定戦~」のみなさんと座談会を開催させていただきました。渡邉俊代表と三輪代表とが語り合い、またJINS の地域共生事業部のみなさんとKING OF JMKのみなさんとで上毛かるたのオフィシャルルールでの対戦や、「みんなとつながる上毛かるた(通称ミルミルかるた)」での対戦を楽しみ、最後は車座になってみんなで上毛かるたの持つ意味や奥深さについて語り合いました。本当に有意義で深い座談会となりました。みなさま、本当にありがとうございました。渡邉代表の読み札を読み上げるのが、とても美しくて、今も耳に余韻が残っています。上毛かるた、競技として実はオフィシャルのルールがいろいろあって、とても興味深いんです。渡邉代表がnoteに書いていらっしゃいます。https://note.com/lactivator/n/n8b858bbd9653ぜひいつか、「みんなとつながる上毛かるた」でも、オフィシャルのルールで対戦してみたいものです。とても時間がかかるとは思いますが・・・一般社団法人メノキ副代表 福西敏宏
今回のクラウドファンディングの返礼品の中に蚕神猫だるまというものがあります。「みんなとつながる上毛かるた点」の会場が富岡製糸場の近くにある、富岡市立美術博物館なのですが、ちょうど今年世界遺産指定の10周年にあたることもあり、3年前に作った蚕神猫だるまを復活させました。蚕神猫だるまについて少し説明をしたいと思います。養蚕信仰では、蚕を食べるねずみを食べる猫を神様として崇めています。私自身木彫作家だった頃に猫はたくさん彫ってきました。それもあって頭にまゆだまをのせた蚕神猫と勝手に命名し、だるまを作ったのです。私としては本当は富岡市にこの猫だるまを富岡製糸場付近のお店で売って頂き、富岡市のオリジナル商品として活用していただきたいという思いがありました。富岡製糸場を見学に来たお客様は、何かここでしか買えないお土産を買って帰りたいという方が多いと思ったからです。このだるまの売り上げを富岡製糸場の保存修理の予算に活用してほしいのです。現在、小さい猫だるまも制作中です。大きい猫だるまはちょっと大きすぎる方もいらっしゃるようでしたので、小さい猫だるまを新規作り足しました。ぜひ、返礼品としてご検討ください。もう少し説明を加えます。私は3年前「祈りのかたち」という群馬県の文化財を紹介する本を出版しました。文化財の研究家とは違い、彫刻家の目線で自分の好きな群馬の仏像を中心とした文化財を紹介したものです。この本を作った時は、まだ全盲ではなくLow Vision (ロービジョン)で少しは目が見えました。祈りのかたちを出版するにあたって、目がほとんど見えない人でも、本を楽しんでいただくためにロービジョンブックというものも合本して作りました。この本を作った仲間で一般社団法人メノキを立ち上げたのです。そのためか本づくりには強いメンバーが揃っています。この本は在庫がなくなり、みなさんに売ることはできないのですが、いずれ再販出来ることを願っています。最後になりますが「蚕神猫様」という猫だるまではない彫刻の作品も今回出品しています。よろしくね。一般社団法人メノキ代表 三輪途道
こんにちは、三輪です。私は彫刻家として30年間活動をしてきました。最近「全盲の彫刻家」と呼ばれるようになりました。これはなかなか私を悩ませる枕詞です。確かに病気で目が見えなくなりましたので、全盲の彫刻家という表現は間違っておりません。ですが胃腸が悪い人が胃腸の弱い彫刻家とは呼ばれません。違う話ですが、かつて女流彫刻家と呼ばれのけぞったこともありました。この表現は無意識に男女差別の意識がはたらいていると思います。視覚障害を核に障害とアートを繋ぐ社会活動をあえて旗を振って始めたわけですから「全盲の彫刻家」と呼ばれるのは覚悟して生きていかなければならないとは思っていましたが、気が付くと私の作品を発表する環境が美術から福祉、障害エリアに移行しつつあるような気がするのです。正直心のなかがざわざわしてしまいます。目は見えなくなったけれども作家のつもりだからです。オリンピックをパラリンピックと分けるのも少々気になります。だけれども、だけれども自分が小さいな、、、、と思うこともあります。健常者と障害者を線引きしてほしくはないと思う自分と見えないということを私の個性だととらえ、全盲の彫刻家と呼ばれることを堂々と受け入れて活動するべきだと思う自分があります。見えないからこそできる表現があるとも思います。作品を作るのは完璧な人間である必要はありません。むしろ自分の足らないところをなんとか工夫して時には人に甘えて表現することもその人の人生が現れるのだと思います。気持ちが右にいったり左にいったり回転したりもがいてばかりですが、これが正直な今の私の気持ちです。一般社団法人メノキ代表 三輪途道
こんにちは。毎日暑いですね。彫刻家の三輪途道です。「みんなとつながる上毛かるた」を作ったことがきっかけで私は触察の研究に目覚めました。触察とは触って観察するという言葉の通り視覚障がい者の人にとって手は目であり触ることで事物を理解するためにできるだけわかりやすく触れるものを研究し提供するものだと考えております。去年、初版版として「みんなとつながる上毛かるた」を作りました。絵札は44枚あり、44枚のさわり心地を変えることに苦戦しました。私自身が彫刻家であるがゆえに出来るだけ簡潔に彫ろうとは思ってはいたのですが、輪郭の部分を彫刻的についつい彫ってしまいました。視覚障害者にとって輪郭部はできるだけわかりやすく単純に作った方が形を理解しやすいです。ある意味、素人彫りと思えるほどに輪郭部は強調して彫った方が良いようです。改良版の「みんなとつながる上毛かるた」では、それをまず意識して彫りました。そのため一見、かたい彫り上がりになっています。かといって44枚すべてをかたく彫っても芸がないのです。時には極端なほどにやわらかく彫ったものが混ざると触り心地に差異が出てかるたを触り比べるには有効のようです。初版版を作った時にはそこまでは気づきませんでした。初版版を作り終わったからこそ気づいたのです。気づいたからこそ、どうしてももう一度彫りなおしたかったのです。どうか皆さん触り比べてみて下さい。上毛かるたの次は触察絵本の研究に取り掛かりたいと思います。去年、谷川俊太郎さんと詩画集「かべとじめん」を出版しました。この詩画集の触察板を作り始めております。来年、2025年の1月25日から始まる展覧会にこの10枚の触察板を「みんなとつながる上毛かるた」と合わせ展示予定です。まだ、展覧会の細部は決まっていません。富岡の展覧会がひとまず始まりましたので、次なるは「かべとじめん」で次の段階に進めていければと思います。触察は〇か×ではない、わかるわからないではない、このあたりの話はまた後日書きます。暑いのでみなさん気をつけてください。一般社団法人メノキ代表 三輪途道