はじめに
ープロジェクトの概要
原宿と渋谷の間の若者が行き交うエリアで、原爆展を開催します。
絵は、広島平和記念資料館のプロジェクトの一つである、広島市立基町高等学校生徒と被爆者が共同で、その証言を元に制作する「原爆の絵」の複製画をお借りして展示します。
昨年2023年8月には、第一回目の「絵で知る原爆展」を開催し、多くの若い方や海外からの旅行者の方、被爆2世、3世の方など多くの方にご来場いただけました。
今回の第二回目の原爆展は、定期的な開催の第一歩になります。
▼観覧無料
2025年の春休み期間*の3日間を予定
平日 14:00-19:00
土日祝 12:00-19:00
最終日 12:00-18:00
原爆による苦しみは、あの日から今までずっと続いています。
東京では毎年8月だけ、原爆についてのニュースやドキュメンタリーが流れたりしますが、他の月にはパッタリとなくなってしまいます。
思い出したり話に出すキッカケになる日付や月があるのは重要なことですが、"被爆地以外の場所でも、日常の中で原爆について触れる機会を増やす"ことを目的にしているため、今回はあえて原爆が話題に上がりやすい夏ではなく、春に開催を決めました。
*学生にとっての春休み期間にあたる時期を想定しています。
解決したい社会課題
日本の事を自分事にー
関東でも、原爆を「広島のこと」「長崎のこと」ではなく「日本の事」「自分の国で起きた事、続いている事」と若い世代の人たちが捉えられるように、知ることが出来る場所・考える機会を少しでも増やしたいです。
私は、横浜で生まれ育ちました。
小学校や中学校では歴史の一部として原爆に触れ、時に被爆者の方の証言を聞く機会も数回あったと記憶しています。
でも当時、地元の図書館や一駅先の街に行くくらいが私の行動範囲だったので、広島や長崎の話は外国の事のように遠く感じていました。
大学に入り、広島から上京してきた友人達と会った時に初めて原爆や戦争に対する意識の違いを強く感じました。
それは子どもたちが悪いのではなく、関東にはまだまだ原爆について知る機会や考える機会が少ないからだと感じます。
そして大人になってから海外に出るようになり、昨年ギリシャの火山へ行った時に「この山の火山噴火の威力は広島原爆の100万個分だった」という解説を受けましたが、周りの海外の人たちの反応はとても曖昧なものでした。
原爆の威力をよく知らないからです。
「原爆は酷いものだった」という事しか知らない人がほとんどなのです。
とても悲しくなりました。
広島や長崎の人々が感じている、他の地域への落胆はこのようなものなのかもしれないと感じました。
現在、私は海外を拠点に生活をしています。
2023年春の移住前に、日本で行かなければならない場所を周る予定を立て広島に初訪問しました。
前知識を持たねばと思い、広島初訪問前に「はだしのゲン」という漫画を読み始めたり、YouTubeで被爆者の方々の語りを聞いたりしました。
そこで「昔のこと」「あの時のこと」を勉強するつもりだったのに、原爆がもたらした地獄は今も続いていると大きな衝撃を受けたのです。
私が移住した先は、核保有国です。
恥ずかしながら、私自身もその時やっと原爆や核兵器について「自分ごと」として考えなければと危機感を持ち始めたのです。
人にはそれぞれ、
知るタイミングと知りたい範囲と内容と角度があり、それを選択できるべきだと思っています。
ただ、知りたいと思った時に知れる場が身近に用意されている事が、どの地域であっても必要だと強く感じます。
そんなことから、原爆についての知識や悲しみを、関東の若い人たちにも「自分ごと」として感じてほしい、知りたいと思った時に立ち寄れる場所を作りたいという思いが生まれました。
広島と長崎で起きたあの惨状に思いを寄せて悼み、平和への感謝と強い意志を持つべきなのはこの国にいる人みんなだと思うのです。
また、「伝える役割」をする人間の年齢層も、親世代から自分たちの世代、そしてもっと若い世代へ徐々にバトンタッチしなくてはいけないと感じています。
被爆者や証言者の方々の高齢化に合わせて、伝える活動をする人々も段々と年齢が上がってきているように思うからです。
原爆展メンバーの3名は平成生まれの女性なので、開催の雰囲気としてはまた新しいものを感じていただけると思いますし、私たちのようなこれからを担う世代が率先して活動する姿を、もっと若い世代の方々にも見ていただきたいなと思います。
具体的な活動の内容
▼「次世代と描く原爆の絵」の複製画10〜12点の展示
…絵の詳細
①複製画
厚紙印刷(マット加工) 用紙サイズ:約530mm×約420mm
②キャプション
A3サイズ・ラミネート加工・縦向き
広島平和記念資料館の「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトより複製画をお借りして展示を行います。
被爆者の証言を元に、広島市立基町高等学校普通科創造表現コースの生徒たちがその記憶を絵に残す取り組みです。
より絵に描かれた状況や人物の表情の理由などを感じて見ていただけるように、被爆証言者と作者の生徒さんのコメントが書かれているキャプションもお借りして展示します。
また、ギャラリーのある通りには海外の方も多くいらっしゃるので、キャプションの英語翻訳したものも添えます。
このプロジェクトでは現在までに191点の作品が制作されており、今回はその中から厳選した10〜12点の複製画を展示する予定です。
今回の展示は2回目の開催ということもあり、「そういえば毎年ここで原爆展やってるよね」という印象を徐々に持ってくださる方が増えるように、しばらく毎年同じ内容で展示を行いたいと思っております。
▼原爆展フライヤーの作成と配布
2023年同様、2025年の展示に向けてフライヤーを作成したいです。
インターネットが当たり前の時代で、どれほどの方がフライヤーを手に取ってくださるのだろうかと不安でしたが、
来場された方にキッカケをうかがったときに、「フライヤーを見かけて」という方もいらっしゃり、設置させていただいたお店などにも補充をしに行くほど手に取っていただけました。
原始的なやり方ではありますが、なかなかSNSのみでは繋がることのできない方も多いため、東京にある広島や長崎の関連施設や渋谷区のギャラリー付近のお店などに今年もフライヤーを置かせていただきたいと思っています。
▼原爆展冊子の販売
実際に展示する複製画は10〜12点と数が限られており、他にもお見せしたい、知って欲しい絵が多くあります。
展示した作品も含めて、原爆展メンバーで厳選した作品を作者と絵の元となる証言をされた被爆者の方の文章も掲載します。
より多くの作品をご覧いただけるようにするため、そして展示会場を出た後にまたご自身のタイミングでじっくりと作品と原爆と触れ合っていただくため、
そして会場に来ることができなかった方にも、来場された方がお持ち帰りになる冊子がバトンの役割となって届くように、
2025年度も原爆展冊子を作成したいと思います。
▼原爆展用に作成依頼をしたBGMを流す
既存の曲ではなく、「平和への祈り」をテーマに第一回原爆展の際にピアニスト・作曲家である丹千尋さんに作曲と録音していただいたプレイリストを展示会場内で流します。
丹さんは2022年の10月には、ウクライナ難民支援コンサートでピアノを担当されたピアニスト・作曲家で、その音色には慈愛と祈りが感じられます。
深いテーマの展示なので、絵を見て、やるせなさや苦しさを感じた来場者の心を音楽によって少し緩和させたいと思い依頼させていただいた曲です。
2023年の展示の際も、「広島の折り鶴タワーでも流してもらいたいくらい寄り添ったメロディーですね」と、とても好評でした。
▼原爆展のHPの運営
毎年の原爆展の開催と、原爆についての知識を深めていただくために、ホームページを開設しました。
コンテンツとしては、
・原爆展の詳細(展示内容・日時・ギャラリーの詳細地図・行き方など)
・活動報告
・原爆についての知識ページ
・各SNSへのリンク
などを掲載し、更新しております。
▼SNS運用
SNSでの投稿により私たちの活動を知っていただき、少しでも多くの方に展示に足を運んでいただいたり、原爆について目に触れる企画を増やす目的でアカウントを開設しました。
現在は主にInstagramを中心に更新しております。
Instagramから原爆展を知ってくださった方も多く展示に実際にご来場くださいました。
見やすさと親しみやすさがあるので、イラストと文字、そして優しい言葉だけを使って分かりやすく原爆について説明したり展示について紹介するアカウントとして運営しています。
戦争や歴史の説明は難しい言葉が多く、せっかく"知りたい気持ち"があっても、内容の分かりづらさが"興味や関心を持ち続けること"の弊害になると思います。
知識がまだ無い方でも「分かった」「知ることができた」と少しでも思えるように、分かりやすい投稿を心がけております。
▼あなたはどこから?マップの掲示
大きな日本と、小さな世界地図が書かれたA1用紙をギャラリーに置き、来場者の出身地や育った場所にシールを貼っていただきます。
「広島」「HIROSHIMA」のことは知っていても、日本列島のどこに広島があるのか知らない人もいます。
広島と自分の街との距離を改めて感じたり、ここに原爆が落ちたんだと知り想像していただきたいと思い掲載を企画しました。
来場者全員でシールを貼り足して行くことで、「自分の場所」と「他の人の場所」、「今の自分の場所」「いつかの誰かの場所」に意識と目を向けるきっかけにもなると思います。
▼来場者アンケートの実施
昨年実際に展示を開催し直接多くのお言葉や感想をいただきましたが、ご本人にご記入いただけるアンケートを新しく作成することで、年齢層や出身地、感想や要望などの集計を正確に行うことができるので実施してはどうか?という提案がメンバーから出ました。
より、来場者のみなさまに寄り添った展示を開催できるよう"来場者アンケート"を実施して、今後の活動に活かしたいと思います。
様々な年齢層の方に対応するため、
・紙媒体の形式
・QRコードからページに飛んで入力できる形式
の2つを用意したいと考えています。
このプロジェクトを通して実現したいこと
「この展示に行くために、少し原爆について予習しておこう」
「広島のどこに原爆が落ちたんだろう?」
「被爆者の方々は今どんな気持ちなんだろう」
「原爆が落とされるまでにどんな時代背景があったんだろう」
そんな風に、それぞれの"知らない"を恥じる事なく"知りたい"に変えるキッカケになる展示になるよう企画を進めています。
また、私たちは"若い世代に原爆を知る機会を"という思いで、広島の高校生が被爆者の方とのたくさんの打ち合わせを通して描いた絵を展示させていただくので、彼ら彼女らと同じ世代の学生の観覧者の方々が「自分も広島に行ってみたい」「資料館で原画を見てみたい」「被爆者の証言を実際に聞いてみたい」と何らかの影響を感じていただけたら嬉しいと思います。
さらに今回は第二回目の開催となるので、
関東地域での「日常の中でふと原爆と触れる機会」を増やすための定期開催第一歩という気持ちが強くあります。
「あれ?いつかもここで原爆展やってなかったけ?」が「毎年開催しているんだなぁ」から「今年展示される絵はどんな絵だろう?」という風に、東京の中心地を訪れる皆さんの意識の中に原爆について思うスペースができたり、思い出すキッカケになれたらと思います。
応援者のコメント
スケジュールとリターン
ープロジェクト自体の実施スケジュール
【全体】
2024年8月下旬〜11月上旬 : クラウドファンディング実施
12月末 : ご支援金振り込み(受け取り)
2025年1月 : 会場予約と支払い
2月下旬 : 冊子印刷、納品
3月上旬 : 各種貼り物印刷
3月下旬展示1日目 : 午前搬入・午後展示
2日目 : 展示
3日目 : 展示・搬出
4月下旬〜5月 : リターン発送
【展示】
2025年の春休み期間*の3日間を予定
平日 14:00-19:00
土日祝 12:00-19:00
最終日 12:00-18:00
*学生にとっての春休み期間にあたる時期を想定しています。
【リターン】
●4,000円のご支援→感謝のメール
●10,000円のご支援→感謝のメール・活動報告書
●30,000円のご支援→感謝のメール・活動報告書・原爆展2025年度版冊子1冊
●50,000円のご支援→感謝のメール・活動報告書・ホームページに名前を記載・原爆展2025年度版冊子1冊
●100,000円のご支援→感謝のメール・活動報告書・ホームページに名前を記載・原爆展2025年度版冊子(ご希望の冊数 ※上限10冊)
※ホームページへのお名前掲載期間:2024年12月1日から、活動が存続する限り掲載。
※活動報告書は、メールにて閲覧用のURLを送らせていただきます。
資金の使い道
▼スペースレンタル費:約15万円
▼人件費:約13万円
-在廊スタッフ4名3日間(交通費・食費など込み)
-運搬スタッフ2名(搬入・搬出の日の車)
▼必要物作成・依頼・使用費:約7万円
-フライヤー・広告デザイン・冊子作成依頼費
-冊子翻訳者依頼費
-会場内BGM使用費
▼印刷・備品購入費:約2万円
▼リターン原価・送料:約3万円(リターンの冊子郵送代は、支援してくださる方の人数による)
最後に
この一年、原爆展としての活動を自分の生活の中でできる範囲で取り組んできました。
展示を企画していた段階ではどなたとも繋がりがなく、ただメンバーとのやり取りの中で試行錯誤して作り上げていました。
まだまだ無知で原爆の恐ろしさを実際に体験していない私が、本当にやっていいものなのかと恐れのような気持ちもありました。
いざ展示会場の扉を開けてみると、想像以上の人が"私"をきっかけに、"私たち"をきっかけに、"私たちが呼びかけた事"をきっかけに、"私たちが企画して作ったもの"をきっかけにいらしてくださいました。
友人も、家族も、友人のご家族も、高校生も大学生も、お母さんもお父さんも、赤ちゃんも、旅行中の方も、この街に買い物に来た方も、広島や関西からはるばるいらした方も、原爆を気にかけない夏の東京の雰囲気に肩を落とす中この展示を見かけてくださった方も、被爆2世のかたも、被爆3世の方も。
そして三日間を通していただいた言葉で1番多かったのが「ありがとうございます」という感謝の言葉でした。
驚きました。
来ていただいたのは私たちの方なのに、「開催してくれてありがとう」「知る機会をくれてありがとう」「伝えてくれてありがとう」と言っていただけたのです。
そしてこの言葉も私の胸を打ちました。
「私は被爆地出身で、正直東京の方たちはなぜ原爆に興味を持たないのか、何も知らないのか怒りすら感じていたけれど、今日ここへ来てこんなにもたくさんの若い人たちが真剣に絵を見ている姿を見て、自分は間違っていたと反省しました。」
関東の人に、東京の人に、「どうやったら興味を持っていただけるだろう?」「どうやったら知りたいと思っていただけるだろう?」と考えていましたが、必要なのはただ"機会"だけだったのだと私自身もその時気付かされたのです。
知る機会の少なさゆえに、"知りたい"気持ちが日々の生活に埋もれたり、心のどこかに浮遊し続けたままでいる状況は、とても寂しいと感じます。
私たちのこの活動によって、「あぁ、私は知りたかったんだ」「知ることができて良かった」と感じてくださる、その知りたい気持ちをすくいとる事ができたらと思っています。
「知らないことは恥ずかしいことじゃない。
知りたいと思う気持ちを大切に。
知ることを身近に。」
この気持ちを持って、引き続き次回に向けて活動してまいりたいと思います。
ぜひ東京での原爆展の開催にご協力をお願いいたします。
チーム/団体/自己紹介・活動実績など
ーどんな人が(チームが)プロジェクトに取り組むのか
①主催者:大森美穂
神奈川県横浜市出身です。
2019年に、「STOP THE WAR」をテーマとする世界的なミスコンテストMiss Grand Internationalの日本大会にて第3位を受賞しました。
その後ミラノとパリの事務所に所属し、モデルとして仕事をしています。
2023年秋にフランスに移住したことから、今後パリでの原爆展開催も現実的に考えています。
②協力者:上澤美樹
私は東京生まれ東京育ちです。
台湾がまだ日本だった頃、そこに住んでいた祖母から戦争の話を聞いたことがありました。
その頃の私はまだ小さくよくわかりませんでした。
それでも、「私が亡くなった後は伝える人がいなくなるから、戦争が無かったことになってほしくない。」と祖母が言っていた事は強く覚えています。
その後、社会科見学等で行った原爆の展示も想像するだけで胸が痛くなり、怖くて見れないほどでした。
知れば知るほど怖くなり、戦争や原爆のことを深く知ることをずっと避けていました。
東京に住む祖父の戦争の話も怖くて聞けませんでした。
そんな中、主催者の原爆展への思いを聞いて「彼女となら一緒にやりたい。自分が学ぶきっかけにもしよう。」と思いました。
私のようにまだ原爆を知らない人も、知りたくないまま大人になった人だってきっといるはずです。
「少しだけでも知りたい」
今回の展示では、そんな初めの一歩の気持ちを受け止められるものになると思います。
何かを知るのに、きっかけはなんでも良いです。
「来てみて、展示を見て、その時の自分どのように感じるか。」がとても大切なことだと思います。
③協力者:西原理佐子
私は、18歳まで広島で育ちました。
上京して初めての夏、8月6日がいつもと違うと感じました。
テレビをつけても、いつも通りの朝のニュース。
黙祷のための町内放送も聞こえてこない。
自分の中に根付いている広島を意識するきっかけになりました。
瀬戸内海の島育ちの私の祖父は、あの日まだ10歳で、校庭で貴重な食料だった芋掘りをしていたそうです。
空に大きなキノコ雲が上がるのを見て、防空壕に逃げたと聞いたことがあります。
母校の前身である市立高等女学校の生徒は、あの日朝から建物疎開作業に動員されていました。
原爆で最も多くの生徒が亡くなった学校だと教えられました。
建物疎開作業をたまたま休んだことで、自分だけが生き残ってしまったという思いに苦しんでいるという方の話を聞きました。
いつも当たり前に、原爆の話が身の回りにありました。
音楽の時間に「青い空は」や「原爆を許すまじ」を歌ったこと。
夏になると慰霊碑の掃除に行ったこと。
国際交流の前に"Hypocenter(爆心地)"の発音を練習したこと。
ただ、学んできたことを話すことにはずっと抵抗がありました。
広島だけが負の歴史を背負っているわけではないのに、大手を振って発信するのは自分たちだけが被害者ぶっているように思われるのではという気恥ずかしさすらありました。
でも、「原爆展」をやりたいと友人である主催者から聞いた時、なんとなく、呼ばれているような気がしました。
広島を出て10数年。広島の過去に興味を持ってくれた人たちとの出会いが、いつの間にか自分を変えてくれた気がします。
原爆がもたらしたものはなんだったのか?
戦争を終わらせるために原爆は必要だったのか?
原爆がなければ終わらせることができない「戦争」ってなんだろう?
そんなことを幅広い世代の人に考えてもらえるちょっとしたきっかけになったらなと密かに思っています。
問いへの答えは、それぞれにあると思います。
いつか私たちが選択を迫られた時に「原爆について知っていること」「それについて考えてみた経験」が役に立つことを願っています。
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