こんにちは♪
いつもご支援、ご声援を頂きまして有り難うございます。
さて、今日は私達の馬達の父セキテイリュウオーについて少しだけお話させて頂きます。
詳しくはウィキペディア等、ネットで検索頂きますと、まだ動画もしっかり残っているのでご覧頂けると思います。
セキテイリュウオー(牡)鹿毛
1989年4月30日ー2011年4月13日 (21歳没)
トウショウボーイ×レインボーローズ(母父ファーストファミリー)天馬トウショウボーイ最後の傑作と言われていました。美浦 藤原敏文厩舎。26戦5勝、2着7回、3着1回
緑のメンコ、大きい白のシャドーロール、鬣の渡り編み、後頭部のボンボン・・印象的でしたね。
主な勝鞍は1993年1月5日中山金杯(G3)12月5日ディセンバーS 1994年東京新聞杯(G3)
出走レースはそのほかにも毎日王冠、中山記念、有馬記念、宝塚記念、天皇賞(秋)等たくさん・・・。中でも、重賞の東京新聞杯は小さな身体で59kの斤量での勝利・・凄いです。
そして、天皇賞(秋)G1は1993年と1994年の2年連続で2着になりました。93年の秋天では田中勝春ジョッキーの鞭落としハプニングもあり、惜しい2着でした。1991年の新馬戦、1992年の若葉Sも1着でしたね。1600メートル〜2500メートルの芝レースで活躍しました。1996年中山記念が最後のレースになります。
1991年の新馬戦から5年の現役生活でしたが、骨膜炎を発症し、常に脚部には不安があったようです。
1997年から2009年まで12年間種牡馬生活を送っておりました。その間、私達の馬の産まれたクラウンホースメイトにも繋養されており、父になった次第です。同じ時期に繋養されていたキョウトシチーとはとても仲が良かったと聞いています。
2009年に種牡馬を引退してからは、新ひだか町の荒木育成牧場様で功労馬として繋養されておりましたが、残念ながら2011年4月13日病気で亡くなりました。キョウトシチーが亡くなって2週間後だったそうです。
現役時代2回も重賞を勝った名馬です。
父トウショウボーイよりも、ひと回りふた回り小さい馬だった様です。そして、やっぱり(笑)ビックリするとリアクション大きめだった様で(笑)それら全て、しっかりスピードリュウオー、ハートオブハート、ファンシーベルが受け継いでおります(笑)でも皆、本当にリュウちゃん(セキテイリュウオー)似の可愛くて小さくて真面目な子供達です。
私達はそんな貴方の子供達を目いっぱい愛して止まない。
・ミタカキイタカ(貴方だけは性格も体格も違う・・・・)
・スピードリュウオー
・ハートオブハート
・ファンシーベル
大切に育てて行くからね。
牧場主様の急死により牧場が閉鎖になり6頭分の大所帯での移動費、これから必要になる馬着、その他馬の為に必要な費用・・・6頭分になります。皆様のご支援宜しくお願い致します。