この路線の電車がいかに忙しいかを語るテボンをご覧ください!
「き、休日く、くれ、、」
パネル、アクリル
サイズ 900×1600mm
この作品を作るきっかけは自由と自由は存在しないという両方を表現する美術部展「//自由」展が今年の1月に開催したのですが、「自由が無い」という発想を思いついた時、迷いなく制作を始めたのがこの作品でした。
部展でもアーティストトークを行いましたが、延々と説明されるこの鉄道のブラックさに皆引いてました。
大事なことは
「61102のモーターが火を吹きそう」
な、くらい忙しいという事です!
みなさん、鉄道をこよなく愛し、忙しい鉄道を労わる心を持つ優しき鉄オタ、リョムテボン君が作ろうとしているこのゲーム制作プロジェクトを是非支援お願いします!
一応、テボンが制作したコンセプト文を貼りつけておきます。
この鉄道がいかなるものか、興味のある方は以下をご覧ください!
説明
[1964年に東武鉄道は伊勢崎線、日光線、鬼怒川線にむけて6000系と言う名の鉄道車両を落成しました。
快速・準快速列車に充当されていた雑多な旧型車を置き換えるため、1964年(昭和39年)から1966年(昭和41年)にかけて22編成44両が日本車輌製造東京支店およびナニワ工機(現・アルナ車両)で新製されました。1964年3月23日から営業運転に投入され、同年5月31日から快速列車への運用が開始されました。
当形式は片開き2扉を持つセミクロスシート車両であり、国鉄・JRの車両区分であれば近郊形車両(または一般形車両)にカテゴライズされる。ただし、私鉄においては明確な意味で近郊形の概念は存在せず、セミクロスシート車両については事業者ごとに用途が異なるため、国鉄・JRのように明確に定義することは難しいものの、当形式は伊勢崎・日光・鬼怒川線の快速運用が主目的であることから、実質上の快速系列車専用車となっている。この他にも有料の急行(1975年以降は快速急行)にも使用されていた。
登場の経緯
東武日光線と日本国有鉄道(国鉄)日光線は、戦前より日光方面への観光客輸送を巡って競合関係にあった。1960年代初頭には双方の路線の最優等列車用車両として東武1720系「DRC」と国鉄157系「日光型」がそれぞれ導入され、その競争熱は頂点に達しようとしていた。
そのようなさなか、国鉄日光線において準急形電車(80系または153系)を使用した特別料金不要列車の新設が計画された。東武日光線における特別料金不要列車としては、快速・準快速列車が既に運行されていた。当時の同列車には元特急用車両であるモハ5310形・クハ350形やアコモ改善工事を施工されたモハ3210形・クハ250形が主に充当されていたものの、これらはいずれも戦前製の旧型車両であり、国鉄の準急形電車と比較すると著しく見劣りしていた。
それら旧型車を置き換え、快速列車のグレードアップを図るため、国鉄の準急形電車に匹敵する居住性と優等列車用車両に相応しい高速性能を兼ね備えた車両として新製・投入されたのが本系列である。
6050系へ、、、
本系列は黄害対策として、1971年(昭和46年)5月から1973年(昭和48年)3月にかけて汚物タンクおよび汚物処理装置を搭載した以外、大きな改造を受けることなく運用されたが、8000系の冷房化も進んだ1980年代に至り、冷房装置を搭載していないことによるサービス上の問題が取り沙汰されるようになった。
同時期には野岩鉄道会津鬼怒川線の開業を間近に控えており、多くの長大トンネルを有する同路線への直通運転に際しては、当初は冷房化を含めた対応改造を本系列に施工して直通運用に充当する計画であった。しかし、本系列は車齢20年を経過し更新修繕時期を迎えていたことや、新規路線への直通運転に際してのイメージアップ目的から計画を変更し、本系列の電装品や台車、車体を更新した上で6050系への車体更新が決定した。
車体更新は急ピッチで進められ、1985年(昭和60年)10月から翌1986年(昭和61年)10月にかけて全車が6050系に更新され、本系列は形式消滅した。なお、更新途上においては本系列と6050系の併結運転も行われている。1986年(昭和61年)9月21日にはさよなら運転が実施された
クハ6222の車体のみ民間に譲渡され、群馬県邑楽郡大泉町にて店舗として利用された。その後店舗は閉店したものの、同車はそのまま現存している。
2019年(令和元年)11月以降、東武日光線開業90周年を記念して6050系の6162編成(旧6119編成)と6179編成(新造編成)が当形式と同一のツートンカラーで出場している。内装モケットも当形式の金茶色のものが復元されている。
100番代の登場
東武鉄道は伊勢崎・日光・鬼怒川線の車両が故障した場合の予備車として6050系100番代という車両を1986年(昭和61年)に新たに落成した。落成した数は3編成となっており車体番号は61101f 61102f 61103f となっとる。
しかしその後野岩鉄道の車両不足を補う為61102f 61103fが野岩鉄道に譲渡。そして2024年今、、61103fは北春日部と言う車庫で数ヶ月ほどかかる大工事をしており運用離脱中です。
61102fは1986年からずっっっっと走ってます。
ずっっっっつつっっっと走ってます。
東武鬼怒川線・野岩鉄道線の新藤原←→会津高原尾瀬口間を毎日10回ほど走ってます。僕はこの運用がすごくブラックだと思いました。
ずっとこのまま走ってたら61102のモーターが火を吹きそうです(血を出す)もう吹いてる気がしますが。
なので僕は早く61103が北春日部をでて新藤原に1秒でも早く戻ってくる事を願います。