
写真は1990年3月31日、東京 九段会館で開催されたライヴでの一枚。カメラマンは内藤順司氏。今回、追加された返礼品「フルサイズ動画」のライヴストーリーが、小山卓治オフィシャルブログ・1月22日ダイアリーで語られています。
(以下、オフィシャルブログより転載)
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1990/3/31、俺は九段会館のステージにいた。
前年の3月にアルバム《夢の島》をリリースして、CBSソニーとの契約を切り、7月の後楽園ホールで当時のバンドDADとの活動を終え、気持ち的には孤立無援の状況だった。
それでも歌は生まれた。
デビューして7年。当時はバンドブームの真っ盛りだった。客席のみんながぴょんぴょん跳ねるものだから、会場の2階席が揺れて倒壊が危惧され、「ロックお断り」のホールが出るほどだった。
九段会館もその例にもれず、リハーサルの時に会館スタッフが客席で監視の目を光らせていた。だがこの夜にバンドスタイルでプレイするのは、初演の〈YELLOW WASP〉1曲だけだった。
7ヶ月ぶりのライヴだった。九段会館は古い歴史を持つ会館で、キャパは1000を超え、3階席まである。
ステージに楽器がセッティングされ、その奥に幕が下りている。
開演。(SEでの)大きなアンコールの声に重なり、ディズニーの〈It’s a small world〉がオルゴールの音で流れ、幕が左右に開く。ソファがあり、俺が寝そべって煙草を吸っている。横のテーブルには花束。ライヴが終わった後の楽屋という設定だ。そこからもうひとつのライヴという物語が始まる。
アコースティック・ギターだけでステージをやることは、それまでになかった。その上、初めてハーモニカホルダーをつけてハープを吹き、新曲の〈紫の夜明け〉からスタートする。
タカミネのギターを使っている。チェット・アトキンスモデルの白いギター。あと、もう憶えていないギターもあって、合計4本を使っている。当時はよく弦を切っていたから。
ギターを交換しているローディーは、今や某楽器店の取締役だ。
ピアノで新曲の〈結晶〉を歌い、ティンパニを叩きながら〈HEAT OF THE NIGHT〉を歌う。ティンパニの叩き語りをしたのは、多分俺が初めてなんじゃないかな。
〈Passing Bell〉を歌う時、ステージ後ろにスライドが投影される。俺が撮影したものだ。当時のスタッフに、歌詞に合わせて細かく投影のタイミングを指示していたから「手が震えた」って言っていたっけ。
後半、マンドリンのTacoさん、ベースの珍太、サックスのSMILEYが登場し、モノクロームのステージに色を添えてくれる。
そして本編のラストで〈YELLOW WASP〉をプレイした。
アンコールの最後で新曲の〈前夜〉を歌い、拍手の中、奥のソファに寝そべり、幕が閉じる。オープニングと同じ構図になる。
モアアンコールとして、幕の間から登場し、アコギを弾いて生声で〈1 WEST 72 STREET NYNY 10023〉を歌った。
俺にとっては過渡期で、転換期で、とても重要なライヴだった。ずっとバンドサウンドにこだわっていたが、この後、アコースティックギターだけで全国を回るようになる。どんなサウンドであれ、歌を届けることが何よりも大切なことだと思うようになった。それは、今に続く考えだ。
今回の《小山卓治・夢プロジェクト》の返礼品を考えている時、その九段会館の動画が残っているはずだと、クローゼットの奥にあるVHSテープの山をひっくり返した。なんとか見つけたが、35年前のことだし、当時のスタッフが資料用に撮影していたVHSテープだから、もう劣化しているかもしれない。 業者に依頼してデータ化してもらった。若干のよれもあり、照明が強いと顔が白く飛んでしまっている。現代のデジタルの画質には遠く及ばないが、そこには32歳の俺がいた。
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(転載ここまで)
●卓治応援Wプラン『1990/3/31 東京 九段会館 フルサイズ動画』のダイジェスト版が、下記より御視聴いただけます。
35年前の<YELLOW WASP>初演のライヴ映像です。スタッフが1台のカメラで資料用に撮影したため、画質は高くありませんし、若干の音声のブレもありますが、当時の熱気が伝わる記録としても価値のある歴史的映像となります。
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”さあ、新しい夢に向けて出発だ!”
小山卓治・夢プロジェクト実行委員会




