こんにちは
「文化のみち橦木館」です。
館の名称にもなっている橦木(しゅもく)とは広辞苑よると「仏具の一つ。鐘などを打ち鳴らす棒で多くはT字型となす」または「撞木サメというサメの頭はT字型をして目がその左右にあります」などと書かれております。
館のある橦木町は、徳川家康が名古屋城築城の折、城の東側にある武家屋敷の町割りにつけられた町名で、現存する橦木筋という地名は、外堀の東、南北に走る堅杉町で行き止まりとなり、T字型をなしていることに由来しています。
名古屋で夜の観光に行くとしたら・・・皆さんはどこをご案内しますか?
そもそも、名古屋の観光地としてお薦めできる場所ってどこですか?常時行ける場所で、手ごろで、かつ何かしらイベントなどを行っている楽しい施設で、周りにもいくつか見どころがある観光地
多くの施設が17時前後で閉館する中、夕食の後、足を運べる観光地があったとしたらどんなにお薦めしやすいでしょうか?文化のみち橦木館は、そんな名古屋・愛知の人の悩みを解決する、観光地として頑張っています。
こんな施設がもっと増えたら?古き良き建物を残すか、解体して手放してしまうか・・・少子化で後継者がおらず、素敵な住居やビルの存続について悩まれている方も多くなってきております。もし橦木館のように、井元さんのように残す決断をして下さり、文化や観光、コミュニティーとしての利用者が喜ばれる活用をする場が増えるとしたら、どんなに名古屋の町が魅力的で、より素敵と思ってもらえるでしょうか?
今回、プロジェクトが達成することで、文化財としての価値を高めることが今後の名古屋の文化、経済、暮らす人の活性化に繋がると考えています。ぜひ皆様、ご協力のほどお願いいたします。
尾張名古屋は城でもつ。
そう言われる通り天下分け目の関ヶ原の戦いの後、徳川家康が九男 義直(よしなお)の尾張藩の居城として建てられ、その天守閣のあげられた金の鯱は名古屋の象徴となっております。
その城下町に位置する東区の一角は、お城に近いという立地から、中級武士の武家屋敷として整備されました。明治なって武家社会が崩壊すると、区割りされた広い土地の利便性から、学校や工場、新興宗教などが進出し、それに伴い新たな勢力が居を構えるようになりました。その中には、世界に名をはせた起業家や中部財界の発展に貢献した人物がたくさん登場し、今日の愛知・名古屋の礎を築くこととなります。
「文化のみち橦木館」はそういった地に建てられた、まさに文化がたどったみちを象徴する館となっております。
1度来たら感動し、2回目以降はどこか懐かしさを感じる橦木館
ぜひ実際にご来館をいただき、時の流れを感じてはいかがでしょうか?
文化のみちって?(二葉館・旧豊田佐助邸・市政資料館)
名古屋市は、名古屋城から徳川園まで、東西3キロのエリアを「文化のみち」と位置づけ、歴史遺産の宝庫として、環境整備や施設整備を進めてまいりました。ほぼ中央にあたる「白壁・主税・橦木町並み保存地区」は江戸期、中級武士が暮らした区割りに、近代には起業家たちの邸宅などが建てられ、今もそのいくつかが残りっています。
江戸幕府が終わり、武家社会が崩壊すると、城下町は、近代産業の工場や起業家の邸宅、憲法発布により信仰の自由が保障され、新たにキリスト教の施設(カトリック主税町記念聖堂)や女子教育の学びの場である学校(金城学院高等学校)など新しい社会の礎に継承され、これまでの町並みと街区割りは新しい文化の時代へと変化していきました。
陶器産業の町、瀬戸や多治見の産地から品物を運ぶ交通の便と、保管場所の確保ができたことからこの地域は輸出陶磁器の中心地となりました。
明治後期に陶磁器の世界的ブランド「ノリタケ」の前進・森村組を創設した森村市左衛門がこの地区に邸宅をかまえ、全国の絵付師を集め工場(森村組工場跡地)を作ったために多くの陶磁器関係者がこの地域に住みました。大正時代から昭和初期に建てられた建築物の中に、輸出陶磁器商の春田鉄次郎邸・井元為三郎邸(文化のみち橦木館)、そして当時名古屋陶磁器貿易商工同業組合の事務所であった名古屋陶磁器会館が今に残っています。
また国産初の自動織機を発明した豊田佐吉とその一族の邸宅(旧豊田利三郎邸(門・塀のみ現存)、旧豊田佐助邸)、そのほかにも知多半島で代々酒造業を営む盛田家の屋敷(盛田邸)があり、ソニー創業者・盛田昭夫はこのエリアで生まれ育ちました。
三井銀行名古屋支店長・矢田績は自宅の一部を「橦木倶楽部」として誰でも入れる空間として開放。
後輩である福沢桃介に名古屋電灯の経営改革を依頼し、これを機に桃介は「電力王」と称されるようになります。
日本第1号の女優・川上貞奴が暮らした屋敷(文化のみち二葉館)の1階大広間は中京財界の集まるサロンとなりました。
文化のみちは、こうした背景の中、人と人が交わり、当時第一線の文化がはぐくまれた場所なのです。
そんな「文化のみち橦木館」を2024年10月11日、テレビ東京さん「所さんの学校ではおしえてくれないそこんトコロ!」にて取り上げていただきました。全国放送でしたので、ご覧いただいた方も多かったのではないでしょうか?
文化のみち橦木館(橦木館外観・ステンドグラス)
輸出陶磁器商の井元為三郎邸が建てた文化のみち橦木館は、玄関の正面に2階建ての洋館、奥に進むと平屋の和館と地下室を備えた東西2棟の蔵に、季節ごとに花が咲き時期によって樹木が色を変える見事な庭園と、その中に建つ茶室で構成されております。
洋館は屋根にはスペイン瓦、窓の水切り部分にはスクラッチタイルが用いられており、輸出陶磁器の商談を行うため、外国人バイヤーなどを招待したといわれている室内には、2階に洋式トイレ・バスタブ・娯楽室などがあり、当時は貴重だったステンドグラスは幾何学模様や青い鳥、トランプ柄など贅沢に使われています。
井元為三郎氏の全盛期に建てられた橦木館。井元氏の生まれ年が酉年(諸説あり)だったことから、館内にはいたるところに鳥のモチーフが見られます。
日本家屋は本館と仕切りの引き戸を閉めると独立した離れになる客座敷で構成されており、要所に贅沢な細工が施される一方で、通気を考えた無双窓や子供の部屋の畳には縁(ヘリ)を使わないなど、機能性と合理性に配慮した建物となっております。
このプロジェクトで実現したいこと
なぜライトアップを?
ここまでいかに橦木館が、文化のみち界隈の施設が非常に素敵かを書いてきましたが・・・伝わりましたでしょうか?こんな素敵な地にある文化のみち橦木館は、「和室」・「洋室」・「庭園」・「蔵」・「茶室」と指定管理者である私たち以外に、多くの皆様に作品の展示や講演、コンサート、パーティーなど様々な内容で貸室として広くご利用いただくこともできるんです。
が!!!!!私たちが昨年の4月1日に運営として入るまでは、貸室でお部屋が借りられることがほとんど知られておらず、年間利用者は昼夜合わせて約30件ほどでした。
昨年2023年、私たちの運営になってから貸室の稼働が少しずつ上がり、夜間も借りてイベントができる事などが周知をされ、お蔭様で昨年対比3,800%を達成することができました。多くの方に利用して頂く事が叶うようになったのですが、庭に明かりが無い事を懸念されたりイベント時に室内用のライトスタンドを無理やり庭に設置してライトアップをしてみたり四苦八苦しつつも、もっとお客様に快適に利用をしてもらえるよう頑張っている次第です。
夜間の庭園には電灯など照明の設備がなく、せっかくの美しい庭園が薄暗く何も見えない状況は昼間と比べると非常に勿体ない状態です。
もし、このプロジェクトを達成できましたら、上記イメージ図のような夜間ライトアップを行い通常は17時までの拝観施設の時間を延長し、夜間のライトアップした庭園を見に来ていただくなどの企画も行います。文化財としての施設に付加価値をつけ、今まで以上に多くの皆さまに愛される施設を目指してこの館を後世に残してまいりたいと考えております。
リターンについて
各種リターンとして、橦木館オリジナルグッズやバックヤードツアー、観覧券などをご用意しています。「館内バックヤードガイド」では、一般公開されていないエリアを館長または副館長が案内する特別な体験をお楽しみいただけます。
また「橦木館での1日館長を経験出来る就任権」は、お子様やご自身の想い出として、橦木館のPR活動を経験してみませんか?
皆さんのご支援、ぜひお待ちしております!
スケジュール
12月10日 クラウドファンディング終了
12月年上旬 ライトアップ設置(達成に応じてイルミネーション等グレードアップ予定)
12月17日~1月31日 夜間開館実施
12月旬中旬 リターン発送
資金の使い道
- 庭園ライトアップの設営費:1,000,000円
- リターン品の制作・発送費:600,000円
- その他諸経費:400,000円
最後に
橦木館のライトアップは、皆さまのご支援があって初めて実現します。このプロジェクトを通じて、歴史ある文化財をより多くの方に楽しんでいただきたいと願っています。ぜひ、ご協力をお願い申し上げます。
「文化のみち橦木館」の館長、香川絢子と申します。
当館は、瀬戸の陶磁器の輸出を商いとし、明治40年にはサンフランシスコにも貿易会社を設立したグローバルな視点をもつ井元為三郎氏の邸宅です。
昭和初期にこの館を建てられるまで、西洋、東洋の歴史文化に触れ、めくるめく文化の変遷と環境変化のあった時代を過ごした主人が国内外の様々な方が交流を深める拠点として作られた、そのこだわりと建物への構想は日本の文化の発信地でもあり、当時の最先端のセンスを持ち合わせていたことを表現する場であったのではと推測します。
今も昔も、名古屋は「芸処」。江戸時代に文化・芸能の花が開いたこの地には、現在も豊かな文化が根付いています。文化は目に見えないものではありますが、生活に密着し、潤滑油のように日々の生活に必要不可欠なものと考えます。
建設から約100年の時を経て、私たちがこの建物を活用し、新たな展示や企画を行うことで 先人たちの残して来た文化で、皆様の人生を少しばかり豊かに描くお手伝いが出来ると幸いです。
本プロジェクトで庭園をライトアップし、昼とは異なる幻想的な空間を提供することで、訪れる皆さまに感動と癒しをお届けしたいと考えています。庭園の美しさを最大限に引き出し、館内イベントや夜間の観覧をさらに充実させることを心より願っております。皆様のご支援ご来館を、館員一同心よりお待ち申し上げています。
指定管理者 ㈱COSMO CONSULTANT 代表取締役 脇田義久
(民謡藤栄会 会主 内藤千賀弘 郷土民謡協会東海地区連合会 理事長)
ご協力のお願い
文化のみち橦木館は、大正末期に建てられた和洋折衷の邸宅です。
名古屋市の指定有形文化財、景観重要建造物に指定され一般公開されつつ、市民の皆様が展示や講演、コンサートなどのイベントでご利用できる施設となっております。
この素晴らしい屋敷にある庭園をライトアップすることで、幻想的な雰囲気を醸し出し、夜間でもその美しさを堪能でき、また館の建築美がより一層際立ち、訪れる人にその歴史と魅力を伝えることができます。
ライトアップされた文化のみち橦木館の庭園は、皆様に忘れられない思い出を提供することでしょう。多くの方のご協力をお願い申し上げます。
<募集方式について>本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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