【能登の農業復興プロジェクト】地震と豪雨を乗り越えて農家の復興への第一歩

「能登の里海里山」は世界農業遺産に日本で初めて認定された伝統的な農林水産業です。『令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨』一年に二度の大災害により能登の田んぼは壊滅的な被害に遭いました。このプロジェクトでは集めた資金を、農地の修復に充てさせていただきます。

現在の支援総額

6,623,000

132%

目標金額は5,000,000円

支援者数

349

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/02/04に募集を開始し、 349人の支援により 6,623,000円の資金を集め、 2025/03/16に募集を終了しました

【能登の農業復興プロジェクト】地震と豪雨を乗り越えて農家の復興への第一歩

現在の支援総額

6,623,000

132%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数349

このプロジェクトは、2025/02/04に募集を開始し、 349人の支援により 6,623,000円の資金を集め、 2025/03/16に募集を終了しました

「能登の里海里山」は世界農業遺産に日本で初めて認定された伝統的な農林水産業です。『令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨』一年に二度の大災害により能登の田んぼは壊滅的な被害に遭いました。このプロジェクトでは集めた資金を、農地の修復に充てさせていただきます。

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未来 の付いた活動報告

皆様から頂くご支援を、届けさせていただく被災農業法人11社に届ける、各社の状況とこれからの記事の11社目を投稿させていただきます。【有限会社 ファーマー】■発災前どんな取り組みをしていましたか?H3年に法人化し田んぼ20haから始めました。異業種と連携し作業技術や労働力の提携、及び地域資源の有効活用など交流をしていました。水稲を中心に大麦、大豆、蕎麦と原木椎茸を栽培しています。地域の農地を守り地元から後継者が育つよう省力化・効率化経営に取り組み田んぼの管理面積は80haになりました。■発災後の状況をおしえてください。元日に起きた大地震。私達の会社は無事で安全が確認出来たので、周辺住民の1次避難所として開放し地域の方々と力合わせ乗り切りました。全従業員が被災し避難所からの出社は大変だったと思います。誰一人離職する事なく今も働いてくれる事は感謝しかありません。地震の影響はありましたが、ほぼ全ての農地で作付けを行いました。また、離農した方の農地も引き受け耕作しました。栽培管理はいつも以上に苦労しましたが収穫の秋を迎え喜びを感じたのも束の間、能登豪雨被害に合いました。被害農地は今でも復旧作業が予定通り進まず栽培計画も大変な状況です。■これからの展望をおきかせください。災害を基に生産者及び消費者と共に農村漁村の在り方を探求し創造的な能登の復興を発信していきたい想いであります。皆様からお預かりしたお気持ちを受け、被災農業法人11社は今一度立ち上がり、「あの時、俺たちが私たちが支援したから、奥能登の農業法人が今を羽ばたいているんだ」と言っていただけるような形にして恩返ししていきます。クラウドファンディング終了まで、なにとぞ応援・ご支援を引き続きお願いいたします。


皆様から頂くご支援を、これから紹介していく被災農業法人11社に届ける為、各社の状況とこれからを記事としてアップしていきます。【北能産業株式会社】■発災前どんな取り組みをしていましたか?奥能登では過疎化・高齢化による担い手不足のため離農が相次ぎ、耕作放棄地が拡大していました。農地再生を目指す取り組みとして、地域の方の協力の下平成25年より異業種の私たちは農業参入致しました。この豊かな能登の自然を守りながら農にまつわる多面的な活動のひとつひとつがつながり、輪となり循環していくことで生産者と消費者、人と自然の距離が近い「自産自消」のできる社会を目指し取り組んでいました。■発災後の状況をおしえてください。震災時の管理農地は53haありました。生活再建優先の中、作付け面積は半分ほどでした。山間部の水田は川から水を田んぼに引くまでの距離がとても長いです。地震で水路に堆積土砂が入り込み大変でしたが、多くのボランティア様の力添えで田植えが出来ました。人口減少が進んだ能登で今まで通りの農村維持ができない危機感はあります。■これからの展望をおきかせください。震災後、数名の従業員が離職しました。労働力が圧倒的に不足する中、従来通りの作業工程では、出来ない現実があります。新たな技術への挑戦を好機と捉えています。また、企業としてルール化・マニュアル化を明確にし人的資源の確保とスキル継承をし雇用を支える地場企業として地域と共に生き残れるようまい進していく覚悟です。皆様からお預かりしたお気持ちを受け、被災農業法人11社は今一度立ち上がり、「あの時、俺たちが私たちが支援したから、奥能登の農業法人が今を羽ばたいているんだ」と言っていただけるような形にして恩返ししていきます。クラウドファンディング終了まで、なにとぞ応援・ご支援を引き続きお願いいたします。


皆様から頂くご支援を、これから紹介していく被災農業法人11社に届ける為、各社の状況とこれからを記事としてアップしていきます。【アジア農業 株式会社】■発災前どんな取り組みをしていましたか?  能登に魅せられて、2006年輪島市門前町の耕作放棄地の開墾を開始してから19年が経ちました。 今では耕作面積も、珠洲市、輪島市、能登町、穴水町、奥能登4市町、約60haに広がりました。有機栽培で水稲・大麦・大豆・蕎麦、ワイン用のブドウを栽培しております。 また、拠点として譲り受けた古民家で8年間、春蘭の里さんと、関東・関西圏から中学校の修学旅行生の受け入れ等も行い、能登の魅力や、里山の豊かさを、情報発信して参りました。  ■発災後の状況を教えてください。  過疎地の半島で起こった大きな地震。 この災害により、地域農家の離農が一遍に進み、能登の地域農業が急激に衰退する事が心配されます。 田畑や農道は壊れ、弊社の従業員も被災し、3名が離農しました。 今回の能登大震災と阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震と大きく異なる点は ①半島振興法でも指定された半島(半島振興対策実施地域)で起こった事 ② 奥能登地域、珠洲市、輪島市、能登町、穴水町は、深刻な全部過疎地である事 上記2点が特徴的です。 昨年の国会で提出された食料・農業・農村基本法の一部を改正する法律案の審議の中でも問題視されている様に、農林水産省は、日本国内の基幹的農業従事者の数が、20年後には現在の4分の1、約30万人まで急減すると予想しています。 私達石川県民は、人口減少により、全国の約23の半島地域や、過疎地域で顕著に起こる20年後の農村・農地の衰退の姿を、この地震の影響で、前倒して見、体現する事になるのかもしれません。  政府は、地方創生や地域格差是正を謳いますが、人・モノ・金が東京一極に集中して、益々疲弊する地域経済・地域農業、国の地方創生は一向に進んでいません。  ■これからの展望をお聞かせください。 一農業者の決意です。 日本国のデザイン、地方の姿がどうあるべきか、国民も巻き込んだ議論を深め、近未来日本全国の地方で起こる問題を整理し、これからの能登型創造的復興を、その解決策のモデルとなる事例になる程に成功させ、全国に横展開して頂く。 農林水産業は、能登の基幹産業で有り、生業の原点であります。私は、全国のモデルとなる地方創生を、農業の分野から実現したく、能登内外のステークスホルダーの皆様と繋がり、情報交換し、意見交換し、問題解決に向けて、ゴールに向かって連携したいと思っております。 先進国で初めて世界農業遺産に認定された能登半島は、豊かな自然資源や伝統文化、質的人資源に恵まれた、素晴らしい地域です。 能登の復興と持続可能性に富んだ強靭な地域の創造の為、皆様と一緒に行動したいと切に願います。 皆様の温かいご支援、本当にありがとうございます。皆様からお預かりしたお気持ちを受け、被災農業法人11社は今一度立ち上がり、「あの時、俺たちが私たちが支援したから、奥能登の農業法人が今を羽ばたいているんだ」と言っていただけるような形にして恩返ししていきます。クラウドファンディング終了まで、なにとぞ応援・ご支援を引き続きお願いいたします。


皆様から頂くご支援を、これから紹介していく被災農業法人11社に届ける為、各社の状況とこれからを記事としてアップしていきます。【有限会社 内浦アグリサービス】■発災前どんな取り組みをしていましたか?平成4年に農作業サービスを中心とした機械利用組合を立ち上げました。また、農業機械の普及に伴い修理や整備の知識も身に着けました。平成13年には、将来にわたって地域農業を守るため、親族以外も経営側に加えて有限会社にしました。また、農村の担い手を育てる取り組みを小学校と保育園でしております。自然観察や自然体験の機会が減ってきている現代において、一次産業は重要な役割を担っています。地域と共に歩み管理農地は100haにまで増えました。■発災後の状況を教えてください。元日の夕方、能登地方を強い揺れが襲いました。しばらくして、地震の情報が入り始めました。日を追うごとに受け入れ難い事ばかりでした。年の初めに起きた激甚災害、農作業シーズン到来前でした。生活再建優先の中で、営農は大変でした。田植え時期が来て、農道や水路も仮復旧ではありましたが間に合いました。逆境を乗り越えて実りの秋を迎える矢先、能登を豪雨が襲いました。春は恵みの雨だったのに秋は災いの雨になってしまいました。気候変動による自然災害にはどうしてもかなわないということを気づかされました。■これからの展望をお聞かせください。トラクターで田畑を耕せない農家の方を思うと一次産業の復興を急がなくてはいけません。持続可能な農村社会の在り方を探求し、創造的な能登の復興という轍の道をぶれずに進んでいきたいと思います。皆様からお預かりしたお気持ちを受け、被災農業法人11社は今一度立ち上がり、「あの時、俺たちが私たちが支援したから、奥能登の農業法人が今を羽ばたいているんだ」と言っていただけるような形にして恩返ししていきます。クラウドファンディング終了まで、なにとぞ応援・ご支援を引き続きお願いいたします。


皆様から頂くご支援を、これから紹介していく被災農業法人11社に届ける為、各社の状況とこれからを記事としてアップしていきます。【農事組合法人 モロオカエーシー】■発災前どんな取り組みをしていましたか?震災前は、地域の農業者の高齢化による離農者がでないように作業受託や色々な会の役員などを引き受けていました。少しでも離農者が出ないよう、地域の農業コミュニティーが維持できるよう活動していました。農作業としては土壌改良を意識して作業していました。稲刈り後に秋の耕起と適正な時期に行うことや、土壌改良材の散布、籾殻の散布など土作りを意識した作業を行っていました。(品質や収量の為)■発災後の状況を教えてください。震災後の状況は、約5メートル隆起した海岸の近くに圃場がある為、地域の圃場全体に液状化が発生し、砂の吹上や田んぼの表面が波を打ったようなカタガリ(傾き)が発生しました。とても田植えをできるような状態ではなく(水が圃場全体に行き渡らない)、多くの耕作者が「令和6年は作付しない」離農することを考えていました。私も農機具を保管していた格納庫が倒壊し、田植え機、コンバイン、トラクターなど農業機械全てが下敷きになり離農を考えました。しかし、多くの方にご支援をいただき、農機具や格納庫を再取得し令和6年作付をすることを決めた。自分が先頭になって動く事で、地域の離農者を少しでも減らし農業コミュニティーを維持できるようにと意識して活動していました。■これからの展望をお聞かせください。これからの展望については、農業コミュニティーを維持できるよう、この震災で離農者が出さないのが今後の目標です。今は地域の被災した圃場の表面の整地を既存の機械とアタッチメントで応急的に整地作業を請け負っています。震災後10名以上の耕作者が離農を考えていましたが、この活動によってまた作付できるのではと思っていただき、2名の離農者が出てしまいましたが、多くの方が米作りを続けると考え直してくれました。離農した方の圃場は私が引き継いで、令和7年の作付を予定しています。今後も私が地域農業の先頭を走って、地域の田んぼを守っていきたいと考えています。皆様からお預かりしたお気持ちを受け、被災農業法人11社は今一度立ち上がり、「あの時、俺たちが私たちが支援したから、奥能登の農業法人が今を羽ばたいているんだ」と言っていただけるような形にして恩返ししていきます。クラウドファンディング終了まで、なにとぞ応援・ご支援を引き続きお願いいたします。


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