
忠犬立ハチ高 ノムラフッソ様(写真左)
岩手県盛岡市出身の忠犬立ハチ高ノムラフッソです。
2011年3月11日午前2時46分、私は盛岡市内の中学校で卒業式の練習を終え、友人と校舎を後にしたところでした。生まれてから14年、それまでに感じたことのない衝撃が地面を突き上げ、「これはただ事ではない」と思ったのを覚えています。
いつも使っている交差点は信号がつかなくなっていて、車が立ち往生していました。学校に戻ると校庭にたくさんの生徒や先生が集まってそれぞれの家族に電話をかけていました。先生達は私達を不安にさせないよう、冷静に淡々とその時点で分かっていることを説明しました。もちろん沿岸部の状況も。沿岸に住むおばあちゃんと連絡がつかないという人もいました。
あの日のことは今でも鮮明に思い出すことができます。全国各地に住む皆さんもそうでしょう。
しかし当たり前ですが、自分が思い出せるのは自分が実際に見た光景、自分が住んでいた場所の被害だけです。地震だけでなく津波によって甚大な被害を受けた釜石の記憶は、釜石に住んでいた方々にしか語り継ぐ事ができません。釜石という場所で花火をあげ続ける意義はそこにあると私は思います。一度受けた傷を完全に消し去ることはできませんが、一人一人が大切な人に思いを馳せ、未来に向かって決意を新たにする時間になればと強く願います。
また能登半島地震をはじめ、日本中、ひいては世界中で災害による被害は絶えません。そしていまだに戦争によって当たり前の生活を奪われている人達もいます。震災の痛みを知る釜石の皆さんがあげる力強い花火は、たくさんの人に勇気を与えてくれると思います。
あの日の出来事を風化させないためにも、世界の平和を祈るためにも、皆様のご支援を何卒よろしくお願いいたします。