本日、釜石市鵜住居町根浜海岸付近で鎮魂と復興の花火「白菊」の関連行事が行われました。 学生が市内の小学校9校、中学校4校の400人の児童生徒から集まった追悼の思いと未来への希望を込めたメッセージの一部を読み上げ、14時46分の黙祷後、祈りの風船を空に飛ばしました。【釜石市内の児童生徒からの祈りのメッセージ】・「怖さ」「恐ろしさ」は、写真等でしか感じることができません。それでも、3.11の出来事、そして犠牲者の方々の気持ちを絶対忘れません。・震災で亡くなってしまった方の分まで生きて語りついでいきます。・ 亡くなった方が安らかに眠れますように・東日本大震災で被害にあった人々や悲しい思いをした人々が少しでも元気になれますように。・東日本大震災で亡くなられた方々、ぼくは、あなた方の分まで精一杯生きていきます。空から見守ってください。・いのちは本当にかけがえのないものだから、1日1日を大切に生活し、大切な人との時間をむだにせず生きていきたいです。・自分はまだ小さくて覚えていないけど、お母さん、お父さん、地域の人に支えてもらってここまで成長できたことを感謝しています・自分が生きてることに感謝してこれからの人生を大切に生きていこう・2011年に生まれた私達だからこそできることがあると絶対思うので、それを考えて自分で行動できるようにがんばります。・ぼくも津波や災害が起きても冷静に避難できる人になりたい。・いつ起こるか分からない地震と津波に備えて家で避難場所を確認したり、防災グッズも確認したりしたいです。・人の助けになるって素敵だなと思いました。自分も人を救う側になりたい。・東日本のような災害がまたあったとしたら自分の命はしっかり守り、人の命も助け1人でも多くの命を救いたい・能登半島に住む人々が1日でも早くもとの生活にもどれますように。・能登の方々は今復興に向けて頑張っていると思うので、僕たちも応援しています。辛いこともあると思いますが、どうか負けないでください。・ウクライナとロシアの戦争が終戦を迎えますように・全ての人が笑顔で幸せで平和な世界にします

「3.11鎮魂と復興の花火「白菊」を釜石で打ち上げたい」プロジェクトオーナーの3・11祈りと絆「白菊」実行委員会です。 クラウドファンディングでの応援、ご寄付、地域の皆様方のお力添えにより今年も3月11日に花火を打ち上げる目途が立ちましたが、2月26日に発生した岩手県大船渡市の山林火災を受けまして、様々な状況を考慮し、延期することにいたしました。 被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げますとともに一刻も早い鎮圧・鎮火をお祈り申し上げます。 「白菊」は今後、岩手県で発令された山火事警戒宣言の解除日に合わせ、6月11日の月命日での打ち上げを目指して準備を進めてまいります。 打ち上げ日時が決定しましたら再度お知らせ申し上げます。 大船渡市民の方からは「釜石の皆さんの配慮に感謝したい」との声も頂戴いたしました。心待ちにしてくださっていた皆様には申し訳ありませんが、ご理解くださいますようお願い申し上げます。 3月11日には鎮魂の催しとして釜石市鵜住居町根浜海岸付近で、黙祷と祈りの風船打ち上げ、夢灯りLEDキャンドル、子どもたちのメッセージ読み上げなどを行います。隣接する宝来館では祈りのカフェとしてどなたでも自由に利用できる空間を用意する予定です。 引き続きどうぞよろしくお願いいたします。 3・11祈りと絆「白菊」実行委員会

プロ棋士 小山怜央様釜石市鵜住居町出身で、将棋棋士の小山怜央です。私自身、高校2年生の時に東日本大震災で被災しました。震災発生時は在学中の釜石高校にいたのですが、突然の揺れにパニックになったのを今でも覚えています。その後は避難所生活をする事になりました。大変な事が多くありましたが、多くの人に助けていただき乗り越える事ができました。その時の経験が今に活きていると思っています。東日本大震災からもうすぐ14年になりますが、被災地がより良い街になって行く事を願っています。能登半島地震からは1年と少しが経ちました。改めまして、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された方々にお見舞い申し上げます。復興は少しずつ進んでいるものの、完全な復興にはまだ時間がかかると聞いております。今年も「白菊」の打ち上げを成功させる事で、復興が確実に進んでいく事を願っております。皆様の応援、ご協力をよろしくお願いします。

民謡歌手・ラジオパーソナリティ 佐野よりこ様釜石市鵜住居町出身の佐野よりこです。私は現在、岩手県盛岡市を拠点にフリーアナウンサー、民謡歌手、ラジオ番組制作パーソナリティとして日々活動しております。早いもので東日本大震災から14年の月日が経ちます。私が生まれ育ったのどかな海辺のまち鵜住居。その故郷の街並み、懐かしい我が家、かけがえのない両親、友人、思い出さえも大きな黒い波は全てを一瞬で飲み込んでしまいました。本当に辛く悲しい経験から生かされた自分に何ができるのかを考えたとき・・自分には「故郷の民謡」があり、私自身も絶望から一歩前に進むきっかけとなりました。そして故郷の民謡を通じて東日本大震災の記憶の風化防止と教訓を伝え未来に繋いでいきたいとの願いを込めて4年前に念願の民謡集「天までとどけ」を制作しました。このCD制作の際には全国の多くの方々からクラウドファンディングで応援して頂きました。この場をお借りし心から御礼を申し上げます。自然災害が起きるたび、なぜ神様はこんな仕打ちをなさるのか・・とやり場の無い悔しさと悲しみに胸が張り裂けそうになります。1日も早く被災された皆様の日常が戻りますように。一人一人の願いを込めた花火が打ち上がりますように。大きな「白菊」が夜空に開くが如き支援の輪も絶えることなく広がっていきますように。皆様の思いを一つに・・。是非ともご協力を宜しくお願い致します。釜石市観光物産親善大使 佐野よりこ

忠犬立ハチ高 ノムラフッソ様(写真左)岩手県盛岡市出身の忠犬立ハチ高ノムラフッソです。2011年3月11日午前2時46分、私は盛岡市内の中学校で卒業式の練習を終え、友人と校舎を後にしたところでした。生まれてから14年、それまでに感じたことのない衝撃が地面を突き上げ、「これはただ事ではない」と思ったのを覚えています。いつも使っている交差点は信号がつかなくなっていて、車が立ち往生していました。学校に戻ると校庭にたくさんの生徒や先生が集まってそれぞれの家族に電話をかけていました。先生達は私達を不安にさせないよう、冷静に淡々とその時点で分かっていることを説明しました。もちろん沿岸部の状況も。沿岸に住むおばあちゃんと連絡がつかないという人もいました。あの日のことは今でも鮮明に思い出すことができます。全国各地に住む皆さんもそうでしょう。しかし当たり前ですが、自分が思い出せるのは自分が実際に見た光景、自分が住んでいた場所の被害だけです。地震だけでなく津波によって甚大な被害を受けた釜石の記憶は、釜石に住んでいた方々にしか語り継ぐ事ができません。釜石という場所で花火をあげ続ける意義はそこにあると私は思います。一度受けた傷を完全に消し去ることはできませんが、一人一人が大切な人に思いを馳せ、未来に向かって決意を新たにする時間になればと強く願います。また能登半島地震をはじめ、日本中、ひいては世界中で災害による被害は絶えません。そしていまだに戦争によって当たり前の生活を奪われている人達もいます。震災の痛みを知る釜石の皆さんがあげる力強い花火は、たくさんの人に勇気を与えてくれると思います。あの日の出来事を風化させないためにも、世界の平和を祈るためにも、皆様のご支援を何卒よろしくお願いいたします。