【はじめのご挨拶】
鹿児島の高校を卒業して父の故郷神戸に出て来たとき、かれこれ34年前に最初に仲良くなった友人がいる。その友人は当時からずっと飲食の仕事をしていて、いまでは西宮で立ち飲みのバーのを開いているが、彼のお父さんが自宅の一角で縫製工場を営んでいた。
一人暮らしで学校も行かずにバイトばかりやっていた当時、正月にお母さんの作ったお雑煮を食べさせてもらったり(鹿児島の雑煮はおすまし汁なので、白みそのお雑煮にビックリした)、朝方まで飲み歩いて泊めてもらったり、僕が27歳の時に服屋を始めたときには工場で作った服を売らせてもらったりと、長年、お世話になっていた。
阪神淡路大震災で自宅側は全壊したが、住居の方は建て直し、無事だった工場部分はそのまま残った。その頃に友人は芦屋へ住むようになったので、工場のある彼の実家へ遊びに行くこともなくなった。
写真:工場の未来を語る主催の門田
10〜5年程前にお母さんとお父さんが相継いで鬼籍に入り、そのまま放置されていた縫製工場。数年前から友人に「何か使えるなら使ってええで」と言われていたが、僕自身は鞄のデザインはするが自分では何も作ったりしないため、特に何も考えることなくそのままになっていた。
この工場以外にも中央市場の近くで廃屋を持っているのを聞き、「そっちの方が使えるんじゃない?」ということで、今年5月に見学ツアーを行なうことになった。
アクセサリーメーカーをやっている知人夫婦と大手アパレルで店舗設計をしていた知人、持ち主である友人と僕の5名で先ずは中央市場近くの廃屋へ。
「う〜ん、何かしようにも中の荷物の片付けが大変」「そのうえ貸すには手を入れないと無理」「お金掛かりそうね」見学の結果は取りあえず廃屋は放置。
次に見たのが縫製工場。
こちらもン十年の工場の歴史が詰って足の踏み場も無い。家の荷物も詰め込んである。木も茂り出入口まわりはヤブ蚊だらけ。
写真1:鬱蒼としげった夏みかんの木、細い通路は灯油缶やらブロックやらがいく手を遮る。一歩踏み込めばヤブ蚊の大群に襲われる未開の地。恐ろし!
写真2:工場内は、通路も機械の上も荷物と反物とハギレが処狭しと詰め込まれ、昼でも薄暗く湿った空気が淀んでいた。
さあ、どうしたもんだ。
休眠縫製工場復活に向けておっさんの戦いが始まる!
写真3:動くのか?スチームアイロンのスチーム機。スチーム機は3台、天井から電源を取り、床には様々な機械のコードがとぐろを巻く。
写真4:作業台の下、棚の上、隙間にはびっしりと反物が突っ込まれている。しかもカビっぽい。抱えると・・・腕が真っ赤に!ダニにやられた。泣
写真5:工場の裏手にまわれば・・・こちらも鬱蒼と木が茂っている。隣地の駐車場の車2台分が使えない状態。煉瓦の塀は、昔、新開地〜長田にたくさんのマッチ工場があった名残。
写真6:先ずは敷地入口で道路へ枝を伸ばしていたスモモの木をバッサリ。近所の住人から「ようやくスッキリした。ありがとう」と感謝される。
写真7:裏の木もバッサリ。工場(左の茶色の建物)が姿を現した。
写真8:ダニが湧いた反物はまとめて焼却場へ。結局、軽トラックで5台分のゴミが出てきました。
写真9:工場内のゴミ出しも済み、ミシン屋さんに調整に来てもらう。ミシン4台、バキューム機(アイロン台)、スチーム機2台の稼動を確認!
写真10:足下まで光が届くようになった工場内。掃き掃除、掃除機掛けをして水拭き。バルサン焚いてようやく人を呼べる位に綺麗になりました。
【このプロジェクトで実現したいこと】
昭和30年代から半世紀、日本の高度成長を支える一助となったアパレル産業の下請けとして、朝から夜中までせっせと働いた縫製工場。今は主を失って静かに休んでいます。
そんな工場を整備し調整して、ふたたびかつてのように、人々が夢を見て活躍出来る助けとなるようにレンタルの縫製工場として復活させます。
そしてこの工場の運営で実績を作り、次は他所に眠る工場や工場の設備も同じように活躍できるように、みんなで使えるシェアリング工場のネットワークを作りたいと考えています。
写真11:半世紀の歴史が刻まれたものさし
写真12:ミシンのパーツも様々な物が揃っています。
【プロジェクトをやろうと思った理由】
私自身、ファッション系雑貨の企画やファッション専門学校の講師を務める経験で、「モノ作りをしたい、けど量は作れない、といって自分で設備を揃えるお金もない」というようなことを感じ、また度々聞いていました。
そこでこの工場は、「ちょこっとオリジナルのものを作りたいけど設備がない」方、「工場に発注する程の量は作れないけど・・・」というクリエイターの方、「企業内デザイナーだけど、週末は自分の物作りをしたい」方、「自宅のミシンだけじゃ出来ないことがある」方、「子供のために服や鞄作りたい」方、「急遽、サンプルを自作しなければならなくなった」アパレル会社さん、などなど、設備にお困りのクリエイターの皆さんに使っていただける縫製工場にいたします。
また、ゆくゆくは「廃業したけど長年使い慣れた機械を手放して工場潰すのが忍びない」「親がやっていた工場どうしたもんか」「だんだん生産が減って、使っていない設備が多くなってきた」というような工場主のみなさまと一緒に、工場や設備が再び活躍出来るような仕組みを作り上げたいと考えています。
写真13:ミシンは平ミシン2台(内一台がパイピング仕様)
写真14:こちらはすくいミシン
【資金の使い道】
今年5月の休眠工場発見から、兵庫県や神戸市の行政機関に相談したり、学校のクリエイター系の先生と話をしたり、他の専門学校の校長先生や播州織り産地の技術支援センター所長と意見交換したりしながら、工場の片付けや機械の調整を行なってまいりました。
今後、レンタル工場として必要な設備、建物の修理(雨漏りや床の修復)、備品、パンフレットやチラシの印刷など広告費が必要なため、今回の資金調達お願いでございます。
片付けゴミ捨て 10万円
屋根と床工事 20万円
内装設備 10万円
テーブルなど備品 10万円
印刷など広告費 10万円
以上を使途と考えております。
写真15:アイロン台のバキューム機が2台あります。中央辺りの背の高いものがアイロンのスチーム機。バキューム台には色々な大きさの腕があります。
写真16:4メートル×1.6メートルの大きな作業台。窓からの風と光が涼しげです。
【リターンについて】
リターンは、この工場の利用チケット、年会費(他の工場のシェアも始まりましたら、共通の会員として会員価格が適応されます)、創業とブランド作りのテキスト『お仕事クリエイター』(定価9800円)を金額に応じてリターンさせていただきます。
また、工場内に「支援者リスト」のパネルを掲示し、そこへお名前を載せさせていただきます。
【最後に】
友達一家四人の暮らしを支えてきた工場。これからはこの工場を利用する方の夢を生み、未来を作っていく生産の場になればと考えています。
工場のミシンが、あなたの夢を「カタカタ」と繕ってくれますように。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
みなさまの未来が輝くものでありますように!
応援よろしくお願いします。
最新の活動報告
もっと見る力強い助っ人
2016/07/29 19:39頼もしい助っ人現る。 神戸ファッションマートに神戸ファッション協会クリエイターズクラブのためのインキュベーションオフィスがあり、そのオフィスに同時期に入居していた仲間たち。 工場復活PJT当初から一緒に活動しているアトリエ空の澤木氏と、ミシンを調整しているハットリデザインオフィスの真紀さま。 女性視点で沢山ダメ出しいただきましたので、早速に改善いたします。 入口のカーテン、よろしくお願いします。 もっと見る
看板製作
2016/07/29 19:37【看板製作中】 手作り看板を作っております。 隣が材木屋なので、コンパネや看板の板などはお隣仕入れです。 紙に出力したデータをなぞって板に写し、線の内側をグラインダーで削って立体感を出してアクリルペンキで色を入れます。 100cm×30cmのサイズで、入口のスモモの木にぶら下げようかと検討中。 もっと見る
7月25日は裁縫の日
2016/07/26 12:40ミシンの練習がてら修復不可能な破れがあるジーンズから、無地のTシャツにコインポケットの移植をしてみました。 傾き具合がなかなか良い感じじゃない? ミシンひとつでこんな楽しいオリジナルが作れまっす! ついでに、別の破れたジーンズで破れの補修をやってみました。これも良い感じで出来ましたよ。真っ白な接着芯が今日の練習。他の修復部分はお直し屋で6000円程払ってやってもらった部分です。 もっと見る
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