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戦後80年!"「東京で生きる被爆者」の日常の姿"をテーマにした写真集を作りたい!

戦後80年を迎える2025年8月に向け、長崎出身の写真家・tanamaが12年に渡り撮影してきた“「東京で生きる被爆者たち」の日常の姿”をテーマにした写真集の制作費用を募りたい。

現在の支援総額

1,057,499

352%

目標金額は300,000円

支援者数

145

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/03/15に募集を開始し、 145人の支援により 1,057,499円の資金を集め、 2025/04/15に募集を終了しました

戦後80年!"「東京で生きる被爆者」の日常の姿"をテーマにした写真集を作りたい!

現在の支援総額

1,057,499

352%達成

終了

目標金額300,000

支援者数145

このプロジェクトは、2025/03/15に募集を開始し、 145人の支援により 1,057,499円の資金を集め、 2025/04/15に募集を終了しました

戦後80年を迎える2025年8月に向け、長崎出身の写真家・tanamaが12年に渡り撮影してきた“「東京で生きる被爆者たち」の日常の姿”をテーマにした写真集の制作費用を募りたい。

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※4/5追記しました!
自己紹介

はじめまして!写真家のtanama(たなま)と申します。

 大学進学を機に生まれ育った長崎県から上京し、現在は会社員の傍ら、ライフワークとして「広島」「長崎」で被爆し、その後東京に移り住んだ「東京で暮らす被爆者」のポートレートを撮影しています。

現在は会員の老齢化、病弱化により休会してしまった世田谷区在住の被爆者で作られる組織「世田谷同友会」の会員による親睦旅行や会議、署名活動、被爆証言など取り組みに同行する形での撮影を2013年の5月から始め、今年で12年を迎えました。

 2025年8月は、戦後80年、そして原爆投下80年という大きな節目です。

これまでに「爆心地から、世田谷」というタイトルで2013年、2015年、2020年(以上東京)、2023年(長崎)と4度の個展を開いてきました。今年は自身初となる「長崎・広島・東京の3ヶ所での開催」を企画しています。

さらに、活動の集大成として初の写真集『80years & beyond 爆心地から、世田谷』を自費出版します。

3か所での個展の告知用フライヤー

なぜ被爆者を撮るのか?上京して知った「サイレンが鳴らない東京」

 長崎県佐世保市で生まれた私にとって、「原爆」「被爆者」の存在はあまりにも身近なものでした。身内には直接原爆の被害を受けた人はいないと聞いていますが、幼いころから家庭や教育機関で徹底して行われる「平和教育」の効果は大きく、音楽や文学作品、朗読劇、映像などのさまざまな手段で、原爆と、被爆者が受けた被害について教わってきました。

 世界で唯一、人間を殺すために原子爆弾が落とされた広島と長崎。

「8月6日」(広島に原子爆弾が投下された日)「8月9日」(長崎に原子爆弾が投下された日)、そして「8月15日」(終戦記念日)は広島・長崎県民にとって、特別な1日です。

しかし、18歳で上京した時に初めて迎えた8月に驚くべき事実を知りました。

 東京では、8月6日と、9日に、サイレンが鳴らないのです。

 私が住んでいた長崎県では、原爆が落とされた8月9日の11時2分に、町中にサイレンが鳴り響き、1分間の黙祷を捧げます。仕事をしている人も、学んでいる人も、一様に手を止め歩みを止め、路面電車までもが当たり前に一時停車し、乗客みんなで黙祷します。

 子どもも大人も等しく、サイレンの音を合図に目を閉じ手を合わせる、あの祈りの風景が私が見渡す限りの東京にはどこにもありませんでした。

原爆資料館に展示されている11時2分で止まった時計のレプリカ(長崎市)

8月9日の爆心地の様子/サイレンに合わせて黙祷を捧げる人々(長崎市)

どうしてだろう?単純な疑問で頭の中がいっぱいになりました。

 東京をはじめとする県外の地域では、「原爆」や「被爆者」がどこか他人事として考えられていること、社会の教科書で見かけた数行の史実くらいにしかとらえられていないことを知り、愕然としました。※もちろん、自治体や学校などが積極的に平和教育に取り組んでいる地域もあります。

 長崎に住んでいたころは、原爆と平和についての関心は人並みにあったものの、誰かの先頭に立って署名活動をしたりすることもなく、「高校生平和大使」のような有志の方々を眩しく、「立派だなぁ」と眺めている側の人間でした。

 しかし、東京で感じたこの違和感が、私の中の秘めたる情熱に火をつけたようでした。被爆県で生まれ育った者として、この違和感を無視していいのか。傍観していてはいけない。自分でも何か「原爆」や「被爆者」について伝える活動をしなくては。風化させないため、何か行動を起こさなくてはいけない!

 当時、仕事仲間だったカメラマンからの誘いで社会人カメラサークルに入り、人物ポートレートを撮ってグループ展に出品したりしていました。人物写真に宿るパワーや、撮影者と被写体の距離感により変化する被写体の表情や表現の多様性に魅力を感じ、「伝える」手段は、被爆者のポートレートに決めました。


「レンズを向けるのは暴力ではない」背中を押してくれた先輩カメラマンの言葉  

 しかし、思いを実行に移そうとした際に生じたのは「撮影することが彼らの傷口をえぐることに繋がらないだろうか」という不安と迷いでした。その時、相談に乗ってくれたカメラマンの言葉が背中を強く押してくれました。


「レンズを向けることは暴力じゃない。傷ついた人を撮ることは勇気がいるけど、あなたは傷つけるために撮るんじゃないでしょう。必ずその想いはレンズ越しに伝わるから。やろう。やった方がいい!」

 その一言のおかげで、想いに耳を傾け、語りかけ、もっと「彼ら」を知るために12年近くレンズを覗けています。今でもその一言は私の活動の原動力で、その言葉をくれたカメラマンは、背中を追うべき先輩であり、良き友人であり、姉のような大切な人です。

 先輩カメラマンに勇気づけられ、社会人になって3年ほどが経った25歳の時、長崎県の原爆資料館に被爆者の方を紹介して欲しい、とご相談しました。長崎の被爆者=長崎県に住んでいる、という思い込みのもとで行動を起こした私は、帰省のタイミングで長崎在住の被爆者を少しずつ撮影していってはどうだろうか、という見込みでいたのです。

tanamaが2012年8月9日に原爆資料館宛に送ったメール(原文ママ)

東京で生きる被爆者たちとの出会い

 原爆資料館の担当者は、メールに返信する形で長崎の被爆者団体のいくつかを紹介してくださるとともに、東京にも「東友会」という被爆者団体があることを教えてくださいました。

その時に、「東京にもたくさんの被爆者が暮らしていること」に初めて気がついたのです。

すぐに東友会を訪問し、担当者にお話を聞きに行きました。在京被爆者で作られた地域の被爆者団体を紹介してもらい、手紙を送り、その中でお返事を下さったのが当時私が暮らしていた世田谷区の団体、「世田谷同友会」でした。

「若い人から珍しいお手紙をいただき、会議の時に会員で回覧しました。ご協力できると思います」当時会長を務められていた植田さんからいただいたお返事は、飛び上がるほど嬉しいものでした。

東京で生きる被爆者の方々に会ってみたい!お話を聞いてみたい!

どんな風に、どんな思いで暮らしているのだろうか。その姿を伝える役割を、私が担えないだろうかー

 ここから、12年にわたる撮影生活がスタートしました。

試行錯誤の中での、4度の個展開催ー。信念を持って地道な活動を続けることにより、様々なメディアからもご注目いただけるようになってきました。2020年から2021年の1年間、長崎新聞でフォトエッセイ「鳴らないサイレンー東京の被爆者たち」を連載したり、ドキュメンタリー写真家として写真専門誌に取り上げていただいたり、2023年には朝日新聞の「ひと」欄にて10年に渡る活動を紹介いただいたり、メディアを通じた形でも想いを発信することができています。

直近のメディア掲載例:



2020年の個展で実施した被爆者・木村徳子さん(故人)との対談

「新しいアプローチで”被爆者のいま”の姿を伝えたい!」

「爆心地から、世田谷」は2013年の春から撮影を開始した、広島・長崎で広島で被爆したのち、東京の世田谷区で暮らすようになった被爆者たちの「いまを生きる姿」に焦点を当てたポートレート集です。
およそ12年にわたり、彼らが所属する被爆者団体「世田谷同友会」※の証言会、署名活動、親睦旅行、総会といった行事に同行する形で撮影を続けてきました。

 活動を始める前は会員の方々の自宅などに伺って個別にお話を聞きながら撮影させていただく、というスタイルを想像していたのですが、会員の方々にとって一番負担がない形を検討し、長期的にお付き合いをしていただくことを前提に、彼らの活動に寄り添う形での撮影を行うこととなりました。


 映っているのはいずれも、友人とのおしゃべりを楽しんだり、食事をしたり、街中を散策したりと、言わば「普通」の、日常の姿です。
「爆心地から、世田谷」より。19歳の時に長崎で被爆した澤畑さん(写真右)は今年99歳になられます。 
 私が18歳まで過ごした長崎県佐世保市で受けた平和教育で見てきた映像や写真は、むき出しの傷跡や血、破壊された街やぼろぼろになった被爆者の遺品などの記録写真がメインで「重く」「苦しく」「恐ろしい」印象のあるものでした。それらを見て、被爆の実情を知り、様々なインプットを得ることは非常に重要ですが、人が自ら、重く、悲しく、惨たらしいものを見たり聞いたりしにいくのには勇気が必要で、精神的な負荷も大きいと感じます。

 凄惨な歴史をダイレクトに伝えるというアプローチでは、私たちと「原爆」「被爆者」の距離は離れていくばかりではないだろうか、触れがたい、話しづらい話題として敬遠されていくばかりではないだろうかー
大学進学をきっかけに上京したタイミングで、その想いはより強く、はっきりとしたものになりました。

 「爆心地から、世田谷」には、「被爆者」と名前を付けられてしまった「普通」の人たちの「普通」の日常をフルカラーで生き生きと紹介することで、彼らが受けた傷や抱えてきた葛藤、重ねてきた長い長い時間と、語りつくせない物語を鑑賞者の目で自由に感じ取ってもらいたいという想いを込めています。

※世田谷同友会について  
世田谷同友会は会員の老齢化、病弱化など様々な理由で2020年に「休会」という形で62年の歴史に幕を閉じました。

 戦後80年という節目のタイミングを迎える今夏。被爆者の年齢も80歳から100歳代まで、高齢化や病弱化が進んでいます。「被爆者がこの世から一人もいなくなる」未来がすぐそこに迫っている中、一人でも多くの方に「被爆者の今の姿」を知ってほしいと考えています。

ピースボートでも証言活動をされている池田さん。長崎で爆心地から約3kmのところで被爆

被爆直後の広島で家族を探し、9歳で残留放射能を浴びた松田さん

12歳の時、広島での救護活動で被爆した井関さん

長崎の爆心地から1kmのところで被爆した野々口さん

杉野さんは1歳のときに広島で被爆。母親と家の下敷きになった。

被爆者の井関さんとtanama

被爆者・木村徳子さんの死

 2020年に世田谷同友会が休会するまで会長を務めた木村徳子さんは、同友会での職務のほか、ニューヨークでの証言を始め、ピースボートへの乗船、学校での講話など国内外で活躍されました。長崎で10歳の時に被爆した木村さんは、昨年ノーベル平和賞を受賞した被団協の活動にも深く関わっておられ、ノーベル平和賞授賞式にも絶対に出席してほしかったキーパーソンでした。 

 世田谷同友会の最後の会長として、会の休会までをやり遂げた木村さんはその翌年、急逝されました。

 私が木村さんと出会ったのは、彼女が「被爆者」だったことがきっかけですが、その素顔はふたりのお嬢さんの母であり、猫を愛する可愛らしい女性であり、カメラを通して知ったチャーミングなお人柄にとても魅力を感じていました。

 同友会の休会、木村さんの急逝、と2020年以降はショッキングな出来事が続き、これまで繋がっていた被写体の方々とも、病気や入院により連絡がつかなくなり始めています。

 原爆投下から80年、という節目に際して、「被爆者のいま」の姿を伝えるということに対する強い使命感を感じています。

夏休み平和子供会で被爆証言を行う木村さん

tanamaが撮影した写真は遺影としてお別れ会の会場に掲げられた

木村さんの功績を振り返る展示

プロジェクト立ち上げの背景

 フルタイムかつ出張も多く、時には日付が変わるまで仕事が終わらない会社で忙しく働きながら、写真活動を両立するのは非常にエネルギーがいりました。そして、費用面での負担も少なくありません。
2013年から活動を始め、これまで開いてきた個展はあらゆる人が気軽に来場できるよう、全て「入場無料」とし、会場使用料、作品のプリント代、広報物のデザイン・印刷費・・・なども含め、作品制作と個展開催に関わる全ての費用を自身の収入や貯蓄でまかなってきました。

 しかし、原爆投下80年という大きな節目に取り組む「全国3ヶ所での個展開催」および「写真集制作」にはこれまで以上に大きな予算が必要です。

 この挑戦をより良い形で成功させ、一人でも多くの方に「東京で生きる被爆者のいま」の姿を知ってほしい、届けたい!という思いで、初めてのクラウドファンディングを立ち上げました。


2013年8月 初めての個展で被爆者さんと(東京・銀座)

2015年 2度目の個展で世田谷同友会の皆さんと(東京・三軒茶屋)

2020年 コロナ禍での3度目の個展(東京・神保町)


友人、知人たちのサポートで手作りで作り上げられる写真展

「子どもに見せたい」と親子で来場してくださる方も多いです
2023年年には念願叶い故郷・佐世保での個展を開くことができました。
TV4社、新聞5社ほか、地元紙や写真専門誌、WEB媒体などで大きく取り上げられました。
2023年に佐世保で開催した個展には、長崎市や福岡市、大分市などからのお客様も。
連日のメディア報道の影響もあり、遠方から足を運んでくれる方も多くいらっしゃいました
フライヤー設置のお願いやDMの送付などの広報活動も、会社勤めの傍ら全て一人でおこなっています
個展のシンボルとなる大型の挨拶文の制作(2020年)

作品に添えるキャプション制作と、手作業での額装作業(毎回の個展で50点以上!)
現在の準備状況(初めての写真集制作!)

 昨年から制作会社との打ち合わせを重ねており、写真と文章はすでに入稿してレイアウト案を練っていただいているところです。

 活動の集大成となる初めての写真集ということで、「手にとってもらいやすい、親しみやすい」写真集になるよう、熟考に熟考を重ねています。判型は、H220mm X W148mmというややコンパクトなサイズ、ハードカバー、全160ページの仕様を予定しており、本棚の中にしまっておくというよりは、持ち運びやディスプレイとして飾っていただくのにも適したデザインとすることを計画しています。

 過去の個展で写真と共に展示した文章をベースに修正・加筆した被爆者とのエピソードに加え、未公開作品や書き下ろしの文章も収録します。写真と共に、12年間のエピソードが込められた文章にもご注目いただきたいです。

 この取り組みを一人でも多くの人に知っていただくため、個展計画や写真集の制作、クラウドファンディングの実施といったプロジェクトの全容をプレスリリースにまとめ、メディア各社にも発信しました。メディアでの報道、情報告知も進んでいます。

tanamaが制作した写真集のラフデザイン

リターンについて

①支援金額2,000円… tanamaへの応援のお気持ち

お気持ちで手助けしてくださる方向けのリターンです。プロジェクトの終了後、メールにてご報告いたします。

②支援金額3,000円… 写真集「80years&beyond  爆心地から、世田谷」を1冊お届け

写真集を1冊お届けします。定価3,300円(税込)を予定しているので、少しだけお得に写真集を購入できます。

③支援金額5,000円… 写真集「80years&beyond  爆心地から、世田谷」を1冊お届け+支援者のお名前掲載

写真集を1冊お届けします。また、巻末のサポーター一覧に支援者のお名前を掲載させていただきます。

④支援金額10,000円… 写真集「80years&beyond  爆心地から、世田谷」を1冊お届け+支援者のお名前掲載+プロジェクト終了後の報告会(食事会)へのご招待

「80years & beyond  爆心地から、世田谷」の巻末「サポーター一覧」にお名前を掲載させていただき、完成後の書籍を1冊お届けします。 さらに、長崎・広島・東京の3か所での個展が終了したのち、プロジェクトのご報告と御礼を兼ねた小宴にご招待します。

原爆のことに関心があるけど、何をしたらいいかわからない、tanamaの活動内容を聞いてみたい、といった方と美味しい食事を囲みながらフランクにお話しするできるような場にしたいと考えています。

 開催概要は以下を予定しています。 ※当日ご出席できなかった場合にも、返金は致しかねますのでご注意ください。 

【開催概要】 日時:2025年8月9日(土)18:00〜
場所:東京都内(7月中旬にお知らせ予定)
※サポート費用に当日の飲食費が含まれます。会場までの交通費は支援者様にご負担いただきます。

⑤Special
支援金額30,000円… 
3名様完全限定コース
写真集「80years&beyond  爆心地から、世田谷」を1冊お届け+支援者のお名前掲載+ポートレート撮影(50カット目安)

tanama初の写真集「80years & beyond  爆心地から、世田谷」の巻末「サポーター一覧」にお名前を掲載させていただき、完成後の書籍を1冊お届けします。さらにtanamaがポートレートを撮影いたします。
納品枚数は50カット目安です。被写体はご家族や大切な人、ペット、もちろんご自身でも。撮影場所は都内近郊でご相談となりますが、公園など公共の場所とさせていただきます。
※提供はデータ、有効期間は2025年9月1日〜2026年8月31日といたします。

※撮影イメージ

お宮参りの記念に

夫婦になった記念に
※好評につき、3/19に10名様限定で3万円コースを追加しました。

★追加リターン Spec
ial支援金額30,000円… 10名様完全限定コース

写真集「80years&beyond  爆心地から、世田谷」を1冊お届け+支援者のお名前掲載+ポートレート撮影(50カット目安)

tanama初の写真集「80years & beyond  爆心地から、世田谷」の巻末「サポーター一覧」にお名前を掲載させていただき、完成後の書籍を1冊お届けします。さらにtanamaがポートレートを撮影いたします。納品枚数は50カット目安です。被写体はご家族や大切な人、ペット、もちろんご自身でも。撮影場所は都内近郊でご相談となりますが、公園など公共の場所とさせていただきます。
※提供はデータ、有効期間は2025年10月1日〜2026年9月30日といたします。

スケジュール

・3月10日  クラウドファンディング開始
・4月10日  クラウドファンディング終了
・5月末 写真集完成
・6月  長崎、広島個展
 6月16日(月)~6月27日(金) 
  長崎市役所 19階ギャラリーウォール(長崎市魚の町4番1号)
 6月17日(火)~6月22日(日) 
  063 FACTORY 2階ギャラリー(長崎市船大工町3-7)
 6月28日(土)~6月30日(月)
  紙屋町ベース(広島県広島市中区基町 地下街 紙屋町シャレオ内)
・7月   東京個展
 7月14日(月)~7月20日(日)
  Place M(新宿区新宿1丁目2-11)


最後に

自身がメインビジュアルになったフライヤーを持って微笑む被爆者の松田さん。被爆者の皆さんにも個展の開催を喜んでいただいています

 2013年に手探りで始めた被爆者の撮影ですが、個展を開くたびに多くの反響をいただいています。広島、長崎にルーツがある人、親戚に被爆者がいる人、自身が被爆三世だという人、原爆のことを深く考えたことがなかった人、教師として平和活動に関わってきた人、tanamaが何かを頑張って伝えようとしているらしい、と思って足を運んでくれた人・・・

 きっかけも立場もバラバラですが、私が伝えようとしているメッセージのうちの何かが「届いた」「伝わりはじめている」という確かな手応えを感じています。

 人の心を動かすのは簡単ではありません。ですが、撮り続けること、伝え続けることで、8月6日、9日の出来事により「被爆者」という名で呼ばれるようになった人間たちの営んでいる日常、そしてこれからも続いていく人生を想像してもらうきっかけを作ることはできると考え、自分の人生をかけてこの活動を続けています。

個展会場に設置している感想ノートには、毎回びっしりとメッセージが綴られています。その一部をご紹介します。


被爆者団体・世田谷同友会の親睦旅行にて(2014)

初めての写真集制作を通して、個展会場に足を運ぶのが難しい人にも「被爆者のいま」の姿を届けたいです!リターンの内容も、皆様に喜んでいただけるものをと一生懸命考えました。
皆様の温かいサポートをお待ちしております。
各SNSでも、プロジェクトの進捗を随時ご報告してまいります。
★Instagram 
★X 
★Facebook

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

tanama

支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 写真集制作費(印刷費)

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

支援に関するよくある質問

ヘルプページを見る

このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください

最新の活動報告

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  • こんにちは!本日は80回目の終戦の日です。本日は午前中を在宅勤務にして、式典の中継を見ながら12時に黙祷しました。戦後、というのは先の大戦を指す言葉ですが、世界中で今も戦争、そして今後戦争に発展するような奪い合い、傷つけ合いが続いています。SNSで名も知らぬ誰かを攻撃し吊し上げたり、電車で肩がぶつかっただけで殴り合いの喧嘩をしたり、日常でも思わずハラハラしてしまうような光景が散見されます。傷つけること、攻撃することが癖になってしまうと、たとえ80年間戦争をしていない日本であっても容易に間違った舵取りをしてしまいそうな気がしています。一人一人がどんな「戦後」を過ごし、どんな「戦後」を作り、次の世代に繋げていくか。そのことを今日は強く考えさせられました。さて、冒頭の楽しそうな写真は先日8月9日に実施した、クラウドファンディングリターン品の「活動報告と御礼の小宴」の一コマです。会の冒頭での活動報告ご家族で参加してくださったり、高校の同級生、後輩、地元の酒場仲間、会社の先輩など、16名の方が参加してくださいました。どんな会になるかドキドキでしたが、参加者同士が楽しく交流している様子に一安心。本当に楽しかった!と言っていただきました。印象的だったのは、「おばあちゃんが戦争の話をしてくれたことがあって…」など、会話の中で自然に戦争の話が出てきたことです。平和な日本に暮らしていると、どうしても戦争が遠い世界の、自分とは関係のない話というように感じてしまうこともあるかと思うのですが、クラウドファンディングに参加し、戦争と平和について考え、想いを持って会に参加して、それを他の人に共有するという行動を起こしているみなさんの姿をとても嬉しく、眩しく感じました。またこのような会が設けられるといいなと思った楽しい夜でした。ご参加いただいた皆さん、有難うございました。残念ながら参加が叶わなかった皆さんにも、あらためて御礼申し上げます。tanama もっと見る
  • 80年目の長崎原爆の日。皆様思い思いの夏の1日をお過ごしのことでしょう。私の心の中には、12年間見てきた東京で生きる被爆者たちの様々な表情が鮮やかに散らばっています。彼らはこの日をどんな思いで迎えているのでしょう。高齢や病気の進行で故郷の土を踏むことが叶わない人もいます。故郷のことを、あの日のことを、どんな風に心に描いているのでしょうか。毎年、毎年、切なさがぐっと胸にせまってきます。戦後80年という節目の年に、世間では例年より多くの報道がなされたように思います。では81年、82年はどうでしょうか。いずれいなくなる被爆者たち。その事象を止めることはできない私たちに、何ができるでしょうか。AIに解決策や悩みを訊いても、きっと解決にはつながりません。戦争を始めたのも爆弾を落としたのも、すべて人間です。私たち人間は、考え、学び、想像することができる生き物だから。AIに未来を占わせ、悩みまで相談するヘンテコな時代に、人間の尊厳と責任だけは忘れてはならないと思います。ある人が、全国でサイレンが鳴るようになればいいねと呟きました。なりません。あなたがその方法を考え、何かひとつでも行動を起こさなければ、自動的には歴史は変わらないのです。相変わらず、長崎に住んでいる友人のSNSでは8月9日当日も「子どもがどうした」とか、「美味しいものを食べた」とか、そんな投稿しかありません。よい意味でとらえればそれが「平和」ということなのかもしれないですが、焦りも感じます。村上龍の『69』で、学生たちが掲げた「想像力が権力を奪う」という言葉が好きです。怒ること、祈ることを忘れずに、想像力を武器にあらがっていきましょう。クラファンのリターンで活動報告と御礼の小宴を選択された方、本日18時から四ツ谷で開催しますので後ほどお会いしましょう!楽しみにしております。tanama もっと見る
  • こんにちは、tanamaです。テレビ朝日「大下容子  ワイド!スクランブル」にて、戦後80年に際して特集が組まれその中で私の活動もご紹介いただくこととなりました。8/5(火)10:30ごろからとのこと、全国放送なのでお住まいの地域でも放送されるかと思います。※放送エリア、地域ごとの時間はお調べいただけますと幸いです。仕事や学校の方も多いかと思いますが、ぜひ多くの方にご視聴いただきたいです。来る8月6日は80回目の広島原爆の日。サイレンは聞こえなくとも、8時15分に目を閉じ手を合わせたい。忘れないこと、想い続けること、想像することを大事にしていきたいですね。tanama もっと見る

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