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明日7月30日(水)19時から、緊急AMAやります!
あの高額コースを支援してくださった「あの方」をゲストにお招きする予定です。
クラファン終了まで残り3日! あと28万円くらい! なんとか達成したい!!!
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大学に入ってからも、しばらくは小説を書いていましたが、この頃は文章よりも「3DCG」や「映像制作」に夢中になっていました。
実は、この頃に書いた小説作品がエグい批判を受けたことがあったのと、映画研究サークルに入っていたことより、映像の方に興味が移っていました。
ちなみに、大学に入る前にぼくは1年間、浪人生活を送っておりました(代々木ゼミナールの変態講師陣と共に)。その1年間は「カートゥーンネットワーク」に異常に傾倒しておりまして勉強そっちのけで、ずっと観てましたね。
パワーパフガールズ、エドエッドエディ、臆病なカーレッジくん、ジョニーブラボー、などなど。一番好きだったのはデクスターズラボですね。
(そしてハンナバーベラばっかり観てた。。。)
3DCG自体は、実は高校生の頃からやっていて、当時は「Shade」という国産のソフトが全盛期でした。
ポリゴンではなくベジェ曲線で3Dモデリングを行うソフトで、今にして思えば「線画が得意な日本人が作り出したソフト」だったと思いますね。
文化祭のポスターを作る時なんかにも使いましたが「透過」「屈折」を多用した上でレイトレーシングで計算させると、当時のAMD K-6 133MHzのCPUで320×240pixのレンダリングに8時間くらいかかってたと思います。
いつの時代も、CGはレンダリング時間との勝負ですね。
さらに余談ですが、当時はプロユースのCGソフトはsoftimage(読み方は「ソフトイメージ」派と「ソフトイマージュ」派がいた。その後「XSI」という名前になって、なぜかダイキン工業が販売代理店やってた)、3DstudioMAX、LightWAVE、MAYAが4大ソフトと言われていた記憶です。Blenderは当時から無料で存在していましたね。ぼくは、学生版がべらぼうに安くレンダリング速度が異常に早かった「Cinema4D」を愛していました(今も愛しています)。True spaceとか六角大王とかメタセコイヤとかDOGAとかアニメーションマスターとかレイドリームとか色々なソフトが乱立していた時代ですね。Houdiniは当時からありましたが「パーティクルに特化した3DCGソフト」の印象でした。
この3DCGへの思い入れも、色々ありまして、トイ・ストーリーとかファイナルファンタジーの映画とか色々語りたいところですが、長くなるのでやめておきます。
あと、映画研究サークルでは8mmフィルムでもよく撮影していました。
当時はまだ、ビックカメラで8mmフィルムを売っていましたし、現像もしてくれました(16mmはハワイに送らないと現像してくれるところがなかった)。
カメラフィルムと同じようにISO感度別で2種類のフィルムがあった記憶です。1リールで3分撮影できて、1本2,000円とかだったかな。。。
デジタルHi-8とかDVテープが全盛期だった(DVテープとか普通にコンビニで売ってた)ので、割高ではありましたね。
8mmは楽しいです。
撮影している時、プレビューなんか当然ありませんので、現像するまで欲しい絵になっているか分かりません。スタッフが映り込んでしまったり、照明が足らなくて真っ黒の映像にしかなっていなかったり。
編集も、拡大機を使ってフィルムを1コマずつ確認しながら、専用のカッターで切り取って、これまた専用のテープでくっつけます。
「フィルム自体をデザインカッターで1コマずつ削ってアニメを作る」なんてこともやりました。物理媒体なので、なんでもありです。フィルムに虫とか花とか貼り付けまくっていたスタン・ブラッケージは神でしたね。
また、上映会上に映写機を常に持っていけないので、部室の壁に投射した映像をデジタルビデオで撮影してデジタル媒体化する「テレシネ」もよくやりました。
ぼくは、映像については、地方の小さな賞を受賞したくらいしか目立った実績はないのですが、在学中に「愛知万博」に、会場で放映する映像を2本ほど提供したりしましたね。まだ画面が4:3比率の時代でしたが、After Effectsでエフェクトばりばりにかけた映像を作りました。
愛知万博では、なぜかレンジャーショーにも悪役で参加してました。。。「アート戦隊! コップレンジャー!」
あ、あと、5分くらいのフルCGアニメも1人で作った事がありますが、あまりにも大変だったのでフルCGはそれっきりです。
CG合成バリバリで実写の原付がミサイルとかで市バス破壊しながら進んでいく映画とか、CGの戦車が大学講堂を爆破する映画とかは、その後も作ってましたがw
(当時は爆破の煙のレンダリングとか、個人のPCでは恐ろしい時間がかかりました。。。Pentiumの2.0GHzシングルスレッド。。。メモリは512MB RIMM。。。)
そんなこんなで、ここまでで、ぼくのクリエイティブ人生に「文章」「映像(実写、3DCGアニメ)」が刻まれてきたわけですが、これが結実したのが大学の卒業論文です。
つまり、ぼくが「小説」というメディアから「映像」とりわけ「アニメ」に向かったのは、大学時代の自主制作映画制作と、卒論テーマが深く関与しています。
ぼくの卒論テーマは「形式(メディア)は、表現にどのような影響を与えるのか」。
シンプルにいうと、頭の中に思い浮かんだ物語を、他人が楽しめるようにするためには「映画」とか「ボイスドラマ」とか「小説」とか様々な容物にどうしても入れなければいけないわけですが、じゃあこの「容物」は、もとの「物語」の姿をどのように変えてしまうのか、という研究です。
当時、題材にしたのは「電車男」と「時をかける少女」でしたね。
どちらも様々なメディアで展開されていました。つまり「映画版」「ボイスドラマ版」「漫画版」「小説版」などあったわけですね。
これを「デクパージュ」と言われる手法で、プロット分解していきます。分解していくと物語差分などが明確化するのですが、その中で「その形式でなければできない表現」などをピックアップすることで、研究を進めていきました。
マクルーハンの「ホットメディア」「クールメディア」なんかが、この後ヒントになっていくんですが、まあ研究の詳しい話は置いておいて、その結論として「アニメ」というメディアが、ぼくの中では物語を表現するにあたって最適解だという結論に至った訳です。(非常に分厚い論文になり「印刷した論文が立つ」と評されました。デザイン系の研究室にいたので、wordとかではなく、In designで論文を書くという)
多分、次が「アニメDAOへの道」最後になるかな?
(次回にへべく)←昔「すごいへべれけ」という4コマ漫画がゲーム誌に連載されていまして、「つづく」じゃなくて「へべく」だったんすよねw




