
「誰かに頼まれたわけでもないのに、なんで私は映画を撮っているんだろう?」
クラウドファンディングの活動報告を書いていると、
ふと、そんなふうに立ち止まってしまうことがあります。
この映画は、誰かに企画を依頼されたわけでも、
あらかじめ脚本が用意されていたわけでもありません。
最初からずっと、完全に【自分の想い】だけで動き出したものです。
だからこそ、時々、こんな思いがよぎるんです。
「これはただの自己満足なんじゃないか」って。
実話をもとにした創作ではありますが、
私が本当に撮りたいのは、“正しさ”を語ることではなく、「本音」
むき出しで繊細な部分にある美しさです。
でもその「本音」すら、
誰かの期待に応えようとしているんじゃないか……
そんなふうに感じてしまう瞬間が、制作を進める中で何度もありました。
そのことに気づいたある日、少し苦しくなって、
ある知人に、その葛藤を正直に話してみたんです。
すると、返ってきたのは、たった一言。
「それが芸術家ってことだよ。」
その言葉に、張りつめていた何かがふっとほどけて、
涙が出そうになりました。
理由なんてなくていい。説明できなくてもいい。
ただ【つくりたい】という気持ちだけを頼りに、ここまで来た。
「これをつくらないと、次に進めない」
そんな感覚が、ずっと胸の奥にあったんです。
この映画は、そんな衝動の中から生まれた作品です。
誰かの、どこかにいる、名前をつけられない“生きづらさ”を抱えた人の心に、
そっと寄り添えるものであったら。それが、いまの私の願いです。
短編映画『わたしである途中(仮)』は、
【自分の性別の認識が曖昧】な主人公が、
「男の子だから」「女の子なんだから」
そんな言葉のどこにも、自分がいないと感じてきた過去を抱えながら、
まだ名前のない「わたし」に、出会いなおしていく途中のこころを描く物語です。
ぜひ、シェアや拡散などしていただけましたら嬉しいです。
▶︎ https://camp-fire.jp/projects/847520/view
【性別のあいだ 映画プロジェクト制作チーム】
幸野朱里
郷家小太郎
伊集院丈




