プロジェクトの実行者について
桜井貴(さくらいたかし)と申します。
多摩美術大学大学院修了。アルバイトの傍ら、画家と銘打った活動を細々と続けてかれこれ20年以上は経つでしょうか。
おかげさまで、コマーシャルギャラリーなどで作品を発表する機会にも恵まれ、個性的な絵描き仲間たちにも囲まれつつ、貧乏ながらもそれなりに充実した日々を送っていました。
そんな私でしたが、2025年3月16日夜に、絵描きとしての生命とも言うべき利き手右手が突然の麻痺。加えて、右脚と顔面右側にも麻痺がおよび、翌日17日に緊急搬送。都内病院にて『脳梗塞右片麻痺』と診断されてしまいました。
初診翌日には両親も病院に駆け付け、『この子には絵しかありません』『再び絵筆が握れるようにしてください』と主治医の先生に懇願する姿が印象的でした。
思えば、美術教師になるという約束で美大受験を許してもらうも、その両親の期待を見事に裏切りながら画家への道を歩もうとしてきた私です。しかし、そんな両親の口から、ようやく、私の絵を認めるような言葉を聞く事ができたというわけで、これから先々に待ち構える決して短くはない闘病の日々に絶望しつつも、確かな灯りがともったように思えた瞬間でした。
不肖桜井、45歳の春の出来事です。
プロジェクト発足の経緯
3月17日から4月2日までの正味2週間ほどの間を急性期の病院で過ごし、その後は、同系列のリハビリ専門の病院にて、じつに2ヶ月半におよぶ長期の入院生活を送ってきました。(6月20日に退院予定。)
利き手の右手が棒のように重く動かなかった入院当初から絵画の制作に対する思いは捨てきれず、時として、病室の消灯時間後の薄明かりの下、左手のみでドローイングを描き続けていた事もあります。
やがて右手の握力等も徐々に回復し、退院予定日の約1ヶ月前には、リハビリのメニューの一環として、以前と変わらない筆運びの水彩画を制作。
退院後、活動を本格的に再開させる折には、決して軽くはない後遺症と向き合いながらも、右手と左手とを交互に駆使しながらもよりダイナミックな画境に挑めればと考えている次第であり、新作の具体的な構想を練ってゆくうちに、複数枚からなるシリーズを一同にまとめた『個展』という形式で発表するのが最も相応しいとの結論に達しました。
新作群のテーマは、『四季』と『生命』です。
入院中、病院の窓越しに眺めていた季節の移ろいに自分のこれまでの日々を重ねながら、草木や虫や鳥たちの生命力に勇気付けられるなど。
個展開催予定日は、発症日からマル1年後となる2026年3月16日を含む期間で調整してゆきます。
あれから、ちょうど季節が1巡した日。もしも病気にならなかった場合に自分が見てきたであろう1年分の世界の景色と、今回の病気を境に気付かされたつつましくも鮮やかな生命の神秘たちとが賑やかに交錯する。そんな展示空間を作り出してゆければと考えています。
展示プラン・および費用内訳に関して
本展では、まず、中〜大型ほどのサイズの新作計4枚をメインに構成。加えて、当クラウドファンディングのリターン品に準ずる傾向の小品群なども併せて設営する予定でいます。(あるいは、リターン品の1部を非売設定にした上で展示公開する可能性もあります。)
そして、何より、まずは開催ギャラリーが決定次第、そのキャパに応じてメインの作品のサイズを選択するという流れなので、退院後すぐには描きはじめられないですけど、それまでの間には、テストタイプとなる中型の習作や小品作などを地道に作り続けながら、本絵に起こす上での絵具の感触を確かめる時間とします。
やがて、メインの本絵の制作が中盤に差し掛かる秋口頃には、敬愛する葛飾北斎がかつて旅した富士山麓のスケッチ旅行を実施。
富士山は、今回の作中にも盛り込む最も欠かせない要素となります。
なお、開催ギャラリーの決定、スケッチ旅行の様子。および制作の進捗や諸々に関しては、このクラウドファンディングのページにおいても随時情報を更新するなどして公開してゆければと考えています。
支援金の用途内訳は以下となりますが、あくまでも現段階での予定ですので、達成額に応じて詳細を変更、調整する場合もあるため、その旨ご了承いただけると幸いです。
◎展示作品用の画材代
◎追加分画材代(リターン用作品)
◎取材渡航費(富士山スケッチ旅行)
◎レイアウト用品、梱包材など
◎宣伝広告費
◎キービジュアル製作報酬
◎桜井在廊日諸経費
(万が一に、都内コマーシャルギャラリーとの期間内の交渉が難航した場合などには、レンタルスペースでの開催を視野に検討する可能性もあるため、新たに『場所代』との項目も発生します。)
実行者プロフィール
1979年12月30日・茨城県にて生まれる。
中学時代より油絵を始め、3年の学園祭で「初個展」を開催。
1996・「全国高校総合文化祭」絵画部門茨城県代表。(のちに「文化連盟賞」受賞。) /「旺文社主催学芸科学コンクール」絵画部門入賞。/「全国学生美術展」入選。/美大入試に備え、近所に在住の画家蓮乗院一雲氏にデッサンの手ほどきを受ける。
1997・「読書感想画コンクール」佳作。
1998・現役での美大入試に失敗し、新宿美術学院油絵科昼間部に1年間在学。蓮乗院氏のデッサンが写真を見ながら緻密に描き起こすようなセオリーだったため、いわゆる予備校ふうの絵のノウハウとのギャップに終始苦しむ。
1999・東京造形大学造形学部美術学科比較造形専攻入学。 理論系の専攻に籍を置きつつも、あくまでも自分は実技系を志向していると言い通し、絵画科の非常勤講師だった中村宏氏にコンタクトを取るなどして独自に暗躍する。
2000・個展「桜井タカシの絵と詩と裸(ら)」開催。(青山/ギャラリーアートスペース) /各地ドライブインに派遣されての似顔絵描きのアルバイトを数回ほど経験。
2001・NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」にエキストラ出演。
2003・東京造形大学造形学部美術学科比較造形専攻卒業。 /教員免許取得。/ 学芸員資格取得。/ 多摩美術大学大学院修士課程美術研究科入学。
2005・多摩美術大学大学院修士課程美術研究科修了。 堀浩哉教授に師事。/ 個展「桜井貴の食器ング!帝国」開催。(銀座/青樺画廊)
2006・個展「青春画の系譜」開催。(相模原/ボイスプランニング)
2008・「西脇市サムホール大賞展」入選。/ グループ展「ジュリエット&ジュリエット」参加。(銀座/銀座芸術研究所)(のちのArt Lab TOKYO)/アートイベント「Mass Reaction 1109」副代表 をつとめる。/「全員展」参加。「全員展アワード」受賞。(展示翌月号の「美術手帖」誌に掲載。)(清澄白河/MAGIC ROOM?)/ 初台のライブハウス「Doors」での「初台現代音楽祭」にて展示。灰野敬二氏らによる「ノイズ音楽」と共演、刺激を受ける。(同イベントには翌年も参加。)
2009・「ぴちぴち行動展」参加。(池袋/ターナーギャラリー)/ 誕生日の12月30日を含む日程で、個展「今月30歳になるので、30作からなる個展をやります。(計30字、句読点含む。)」開催。(経堂/アンティークスタジオ・ミノル)(なお、この会場となった画廊は「愛☆まどんな」こと加藤愛氏の実家が運営していた。)
2010・愛☆まどんな氏・大塚聰氏による漫画同人誌サークル「うさぎっこクラブ」に加入。/ 都内通信制高校に美術教師として1年間在職。
2011・「わくわく渋谷」参加。(渋谷/ワンダーサイト)/岩田舞子氏・海野貴彦氏・酒井貴史氏らとともに「art partyるくる」の旗揚げに参加。(以後、アートイベント等を定期的に開催。地域密着型のイベントから都内での展示、パフォーマンス、小説執筆、演劇、カードゲーム制作等、活動内容は多方面にわたる。)/ 「hanami展」参加。(茅場町/Art Lab TOKYO)(なお、同画廊は2年後に秋葉原に移転となるも「hanami展」「hanabi展」「Art's berthday」といったグループ展を2023年頃まで定期的に開催し、桜井も継続的に出品。)/「うさぎっこクラブ」としてのグループ展「卯展決行」開催。(秋葉原/island3331)/同じく「うさぎっこクラブ」として冬のコミックマーケットに参加。
2012・ アイドルグループ「BiS」のメジャーデビュー曲「PPCC」のプロモーションビデオにエキストラ出演。/「バカート展」参加。(千葉/トレジャーリバーブックカフェ)/登戸のアパート「チロリアンハウス」にて「四畳半アートフェスティバル」の旗揚げに参加。(以後、定期的にフェス開催。発起人は写真家谷口雅彦氏。桜井は告知用フライヤーを毎回担当する。)/ 大塚聰氏・伊藤雅史氏とともに「掘りごたつ派」を結成。(会田誠氏が97年・04年に開催したグループ展「こたつ派」のスピンオフ。)
2013・「掘りごたつ派」としてSICFに参加。(青山/スパイラルホール)
2014・「掘りごたつ派」を中心としたグループ展「掘りごたつハリケーン」参加。トークイベントで会田誠氏、パルコキノシタ氏、アイドルデュオ「ナマコプリ」らと共演。(四ッ谷/アートコンプレックスセンター)(その後、「掘りごたつ派」は現在まで活動休止に入る。)
2015・「バカート展ビヨンド」参加。(千葉/トレジャーリバーブックカフェ)
2016・「NEO春画展」参加。(秋葉原/Art Lab TOKYO)/自主企画によるグループ展「大塚聰とその時代(笑)展」開催。(歌舞伎町/砂の城)/「現在戦争画展」参加。トークイベントで根本敬氏らと共演。(阿佐ヶ谷/TAVgallery)/個展「画家は2度死ぬ」開催。展示内のイベントにて、写真家谷口雅彦氏、小説家渋澤怜氏、ライター福田フクスケ氏、地下アイドルerica氏らと共演。(秋葉原/Art Lab TOKYO)
2018・三杉レンジ氏主催による「絵画教室ルカノーズ」にて油絵の1日入門講座を担当する。/「掘りごたつ派」として活動する折にトレードマークだった茶色のドテラを画廊の同胞でもある牧田恵実氏に譲渡。/「Art Lab last show」参加。(秋葉原/Art Lab TOKYO)(年度終わりの常設展として)
2019・ミュージシャン岡田徹氏、サエキけんぞう氏らの主催による「9月の海はクラゲの海」展覧会に参加。(吉祥寺/gallery shell 102)/現代の春画をテーマとした企画展「nuranura展」に参加。葛飾北斎による春画の復刻木版画なども併せて展示され、大いに刺激を受ける。(秋葉原/Art Lab TOKYOとDUB galleryの共同企画)
2020・「アマビエ展」参加。(吉祥寺/gallery shell 102)/書家佐々木竹翠氏の呼びかけにより「絵になるマスク展」に参加。(十条/自家焙煎珈琲梅の木)/年末に葛飾北斎墓所を初参詣。以後も定期的に参詣に通うようになる。
2021・現代の春画をテーマとした企画展「nuranura展」に引き続き参加。(秋葉原/Art Lab TOKYOとDUB galleryの共同企画)/所属画廊の同胞でもある画家あおいうに氏の呼びかけにより「友達展」に参加。(大島/プライベイト)
2022・現代の春画をテーマとした企画展「nuranura展」に最後の参加。なお、桜井と同室にはディレクター氏のコレクションから横尾忠則氏の大作が展示され大きな評判を呼ぶも、画廊の移転にともない同シリーズは今回をもって修了となる。(秋葉原/Art Lab TOKYOとDUB galleryの共同企画)/公募団体展「純展」入選。(上野/東京都美術館)
2023・公募団体展「純展」入選。優秀賞受賞。(上野/東京都美術館)/個展「Re;start 2003-2023」開催。(原宿/GALLERY KTO)
2025・3月16日に脳梗塞右片麻痺発症。翌日に救急搬送され、およそ3ヶ月以上におよぶリハビリ入院を経験。/入院中、写真家谷口雅彦氏の呼びかけにより「裸婦展」に参加。(同展示に向けて本来の利き手ではない左手のみによるドローイングを制作。)(旭川/日本茶カフェ・和風居酒屋WHIZ)/脳梗塞発症から1年後となる2026年3月16日を含む会期での個展を計画。それにともないクラウドファンディングを開始させる。
リターン
①5000円...新作小品ドローイング
②10000円…新作中型ドローイング
③30000円…新作小品ペインティング
④50000円…新作中型ペインティング
⑤50001円以上…応相談(①〜④を複数通り組み合わせるのも可能)
※リターン品の作品の一部を当該個展にて展示する可能性もあります。
スケジュール
【2025年】
6月20日・都内リハビリテーション病院退院/クラウドファンディング開始
7月第1週まで・茨城県の実家にて静養
7月初旬・通院でのリハビリに移行
8月中旬・新作のシリーズに向けてのテストタイプの作品を完成予定/開催ギャラリー決定のち調整段階へ/メインとなる大画面の作品に着手
9月中旬・初診から180日経過につき症状固定(通院治療終了?)
10月初旬・後遺症の有無によっては以前と変わらない週5ペースでの勤務スタイルに移行
11月初旬・富士山麓取材旅行
12月30日・桜井誕生日/クラウドファンディング終了
【2026年】
1月1日・SNS上での告知開始
1月中旬・メインとなる作品の制作からクラファンリターン用の小品等の制作へと徐々にシフト
2月初旬・紙フライヤー完成/各種告知開始
2月下旬・出品作品完成
3月初旬・展示開始/会場内掲示部にてクラファン決算報告予定(ギャラリー側と応相談?)/リターン作品随時発送開始
最後に
ゴッホは存命中に絵が1枚しか売れずに37歳で自死。巨匠として再評価されたのは死の数年ほど後の事で、これすなわち、芸術の道に生きる難しさと奥の深さとをよく象徴しているエピソードのように語られて久しいのかと。
そして、自分も37歳を過ぎてゴッホよりも永遠に歳上になった時、気がつけば、同世代で活動を続けている人が周囲で少なくなってきているのを痛感するなど。
かたや、若くして注目と喝采を浴び、90過ぎで亡くなるまでめまぐるしく画風を変貌させたピカソのような巨匠もいたりで、人の生きざまとは何ぞやと、日々思いを巡らせているところです。
日本人の平均寿命は80を少し過ぎたぐらいと言うなら、現在45歳の桜井は、とうにその半分以上の時間を過ごしてきた事になる。
しかし、それよりも以前から、事あるごとに『年齢相応の表現とは何か』というテーマをつねに念頭に置いてきました。
斜に構えたパロディーやナンセンスにばかり傾倒していた若い時分には、『いつになったら君自身の本来の画風を見せてくれるの?』と問われる事も少なくなく、そのたびにのらりくらりと饒舌な言い訳をしながら誤魔化してきたものだが、いっぽうでは、ミニマルな抽象画などをひたすら寡黙に描き続けるのが老後の楽しみのようにも思っていたりと。
しかしながら、人生には一寸先に何が起きるのかわからないというもので、その時々の年齢に応じて作品の傾向が変わってゆくのは良いとしても、つねに現在が最善の状態であるに越した事はないと、今回の病気を通じて学んだまでです。
この日本には美しい四季の移ろいがある。
しかし、ひたすら自分の事に精一杯で後ろを振り返る余裕すらないような生活なら、季節の微細な変化にも案外気付かなかったりするもので。
私のこれからの人生は、たとえ瞼を閉じていても四季ごとの風を感じられるぐらい、丁寧な暮らしを心掛けてゆこうと思います。
今回の個展に向けて、構想段階の新作群のテーマは、まさに『四季』。思えば、身近すぎるがゆえに、若い頃にはあえて避けてすらいた主題です。
希望、挫折、孤独、喜怒哀楽。人生における様々なシーンの連続を、先達たちは季節に例えて表現してきました。
そして、私自身の血の中にも四季は宿り、時として、大雨や雪風を経た先に爽やかな風を運んでくれる。
病室の窓から眺める多摩の山並みが初夏の新緑に色付く頃、豊かな日本の自然に憧れたゴッホの足跡に思いを馳せる。
2026年3月16日。脳梗塞発症からマル1年が経ち、すべての季節が巡ったその時、狭い自室のアトリエで埃を被っていた白い画布たちは何を刻むのか。
この日、願わくば、私の画業の新たな出発点になればと考えています。
皆様のあたたかな御支援のほどよろしくお願いします。
合掌







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