
今回のダイアログではノルウェーのサーミ地方から参加される方に、この地方の人々が営んできたトナカイ牧畜の文化やその中で起きたチェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故による放射能の汚染に人々がどのように向き合ったか、そのようなお話をしていただく予定です。
今回の活動報告でも、過去のダイアログで語られた内容を少しだけお知らせします。
ヨーロッパには、祖先から受け継いだ暮らしを守り続けてきた地域があります。北極圏のラップランドに住むサーミの人びとは、何千年にもわたりトナカイを飼育しながら生活してきました。漁や狩猟、採集も行い、湖や森に恵まれた自然から命をいただいてきました。
しかし、1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故によって、状況は一変しました。西ヨーロッパで最も汚染された国の一つがノルウェーであり、特に山岳地帯が深刻な影響を受けました。そこは人の居住は少ないものの、羊やヤギ、そしてトナカイの放牧地として重要な役割を果たしていたのです。
汚染は食物連鎖に及びました。トナカイが冬の食料の90%を依存する地衣類(菌と藻が共生した植物)は、セシウムを多く取り込んでしまったのです。その結果、1986年秋にはトナカイ肉の放射能濃度が流通許容基準の600 Bq/kgを大幅に超え、全トナカイが市場価値を失い、屠殺せざるを得なくなりました。
トナカイ牧畜はサーミ文化の基盤であり、生活の糧でもあります。そのためノルウェー当局は、市場価値を守るために流通基準を600 Bq/kgから6000 Bq/kgへと引き上げ、屠殺の際に厳格な選別を行いました。家畜は囲いの中で一頭ごとに検査されることになったのです。
サーミにとってトナカイ肉は、煮たり焼いたりして食べる日々の生活に欠かせない主食でした。そしてそれは、慢性的な内部被ばくの問題が起こることを意味しました。そこで当局は、個人を対象としたモニタリングと情報提供に基づく独自の戦略を導入しました。

サーミの人びとは「全身ガンマ線測定」を受け、体内から放出される放射線量をもとに体内汚染の程度を調べました。その数値は住む地域や食習慣によって大きく異なり、「標準的なサーミ」は存在しないことがわかりました。
2013年3月、福島県伊達市で開催されたダイアログ集会を訪れたサーミの牧畜民は次のように語っています。
「私たちは時間をかけて話し合い、汚染を減らす工夫を考えました。より汚染の少ない地域の地衣類をトナカイに与え、肉は水に浸して煮ることで一部のセシウムを取り除きます。肉を食べるのは1日2回から1回に減らし、国の補助を受けて輸入品と交互に食べるようにしました。」

このような「戦略」の確立には数年を要しました。そこには住民の主体的な参加と、公的機関・専門家・医師の密接な協働が不可欠でした。牧畜民の期待や、科学者からの複雑で時に矛盾する情報、長期的影響に対する不確実性に向き合いながら、モニタリングと支援を制度化していったのです。
事故から30年以上が経過した今日も、サーミは一定の警戒を続けています。しかし粘り強さ、そしてノルウェー社会全体の連帯のおかげで、彼らはトナカイ牧畜を守り抜くことができています。







