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今回は、香川県にある真言宗のお寺「海岸寺」のご住職、上戸暖大師による「道場観」です。
昨年は、弘法大師空海の生誕1250年。それに合わせて、上戸暖大師は、1年間で1250座の護摩行をされました。私たちが、ふだん見る護摩は短いもの。上戸師の護摩は1時間以上もかかる五段護摩です。それを1年間に1250座ですから、日に何度もされることもあった。
すごい、気力・体力です。
そんな上戸師による「道場観」です。
以前に「龍と弘法大師」という記事を書いて下さり、その続きになります。
前にお話しした「道場観」として「阿字観」をしてみましょう。
最初に「仏教の世界観を前提にする」、「道場観は「瞑想」と「ヨガ」のエッセンスをあわせもつ」というお話しをします。
それから呼吸を数える瞑想である「数息観」をし…、
そして、道場観である「蓮華観」、「月輪観」、そして「阿字観」をします。
1.仏教の世界観を前提にする
はじめに仏教の描く世界観についてお話をしましょう。
仏教では、この世界は虚空(大いなる空間)から始まると考えます。
・やがて風がめぐり(風輪)、
・その動きが火を生み(火輪)、
・火の熱が水を生じ(水輪)、
・そして水が地を固めます(地輪=金輪)
この世界は神が創ったのではなく、このように自然に生成していった、それが仏教の世界観です。そして、この流れ…
虚空→風(風輪)→ 火(火輪)→ 水(水輪)→ 地(地輪=金輪)へと展開。
…は、五輪の塔(五大)の上から下へと向かっています。

そしてその地の上に須弥山というとても高い山がそびえ、さらに三千大世界へ広がります。
これは、物理世界の宇宙であるだけでなく、心の中の「宇宙の縮図」とも考えられています。
※ちなみに「地」の金輪から「金輪際」という言葉が生まれました。
2.道場観は「瞑想」と「ヨガ」のエッセンスをあわせもつ
道場観は「瞑想」と「ヨガ」のエッセンスをあわせ持つものです。
「瞑想」というのは、サンスクリット語で「ディヤーナ」、すなわち「心を静めて集中する」ことをいいます。この「ディヤーナ」の音が漢字にうつされて「禅定」になり、そしてさらに「禅」になります。
また「ヨガ(ヨーガ)」というのは「つなぐ・結ぶ」という意味です(語根:ユジュ:つなぐ、統一する)
このヨガが漢字にうつされて「瑜伽(ゆが)」になります。空海さんは、日本で初めて「ヨガ」という言葉を紹介した人だとも言われていて、密教僧は「瑜伽者(ゆがしゃ)」=心・体・宇宙を結ぶ人と呼ばれます。
ですから、これから行っていこうとする道場観は「瞑想によって心を沈めながら、ヨーガ的に宇宙と自己を統合する修法」といえます。
つまり…
・「内的世界の集中」に重きを置く「瞑想(ディヤーナ)」と、
・「内外の結合・宇宙との統一」に重きを置く「ヨーガ」
…の両方を同時に行うのが道場観なのです。
内的集中(瞑想的側面)+宇宙との統合(ヨーガ的側面)
3.数息観(呼吸を数える瞑想)
では、これから道場感に入るために呼吸を整えます。
その方法として「数息(すそく)観」をしましょう。
・姿勢を整える
座布団や椅子に安定して腰掛ける。体を左右に揺らして安定する位置を探す。
椅子に座る場合は、両足は地面にしっかりとつける。
背骨をまっすぐにし、肩の力を抜く。
手は軽く膝の上におくか、左手を仰向けてその上に仰向けた右手を重ねて親指通しをくっつけて丸い輪を作りおへそのあたりにそえる。
目は軽く閉じるか半眼にして、自然な視線にする。
・呼吸を数える
ゆっくりと息を吐ききる。このときに「身体の中の不浄な空気が出ていく」と思うといい。
すべて吐ききったら空気が自然に入ってくる。そのタイミングで息を吸う。「新鮮な空気が身体の隅々まで届いていく」と思いながら息を吸う。
吐いて吸って「ひとーつ」、吐いて吸って「ふたーつ」と心の中で数える
十まで数えたら一に戻る。
呼吸を数えることで心は静まり、雑念が少しずつ遠ざかっていきます。
この落ち着きが、次の観想の準備になるのです。
4.道場観をやってみよう
高野山をはじめ、真言宗のお寺では「阿字観」という観想を体験することができます。近代になって一般に広く知られるようになった阿字観ですが、この観想も道場観のひとつです。
阿字観は、もともとは熟達した修行僧だけが行う秘法で、公開することさえためらわれていました。しかし「みんなが悟ることが何より嬉しいことだ!」と考えた僧侶たちが思い切って一般にも開放してくれました。
今回紹介するのは、その阿字観へとつながる道場観の導入です。体感してみましょう。
●蓮華観、月輪観、そして阿字観
阿字観をする前に蓮の花を観想する「蓮華観」や月を観想する「月輪観」をし、そして「阿字観」を行います。
蓮華観
蓮華観:自分の心を大きな蓮の花に見立て、清らかに咲かせていく観想。
大きな蓮の花をイメージし、それが自分の心であると観想します。そして、その花は清らかに咲くことをイメージします。
蓮の花は泥の中にありながら清らかに咲く花です。泥の中にあるからこそ、より清らに咲くともいえます。煩悩にまみれた自分、そして周囲の人たち、その中にこそ仏としての自分の心があります。
月輪観
月輪観:夜空に浮かぶ満月を心の中に描き、その円満な光で心を照らす観想
夜空に浮かぶ満月をイメージします。そして、その円満の光が自分の心を照らしていると観想します。
「お天道様(太陽)に恥ずかしくないのか」などと言ったりします。そんな公明正大に生きてなんかいられないときもあります。日の光のもとでは胸を張れないようなときでも、月の下では顔を上げることができます。
月の光はどんな人でも一切を等しく照らしてくれる慈悲の光だからです。
また、月の円相は「円満・完全性」を意味し、悟りの智慧を象徴します。
阿字観
阿字観:その月輪の中に梵字の「阿」を観じ、宇宙の根源と一体になる観想。
月をイメージしていると、その月の中央に、光り輝く梵字「阿」が現れます。

その「阿」字は、やがて自分を包み込み、仏さまの姿へと変化し広がっていきます。
「阿」字は大日如来の種子(しゅじ/シンボル)であり、「すべての音の始まり」であり、また「存在の根源」をも表します。
また、「阿」は「本不生(本来から生じないもの)」を象徴し、衆生の本性はすでに仏であることを体得させます。
観想された「阿」の字は、
やがて自分を包み込み、
仏さまの姿へと変化し広がっていきます。
目の前の世界が仏さまの世界そのものとなり、
そこに坐す仏さまは今まさに生きて、
自分と向かい合っているように感じられるようになっていきます。




