
小谷寺本堂再建プロジェクトを応援してくださっている皆さま、いつもありがとうございます。
今日は、思いがけないご縁のお話をさせてください。
■ 「新聞で見ました」と、仮本堂を訪ねてくださった方


10月15日、一人の男性が小谷寺を訪ねてくださいました。新聞で本堂再建の記事をご覧になり、「ぜひ一度お参りしたい」と、わざわざ足を運んでくださったのです。
お名前をうかがって、驚きました。
岩脇さんーー戦国時代、浅井長政公にお仕えした武将・岩脇市介公のご子孫にあたる方でした。
■ 浅井長政公の家臣・岩脇市介公


岩脇さんがお持ちくださった滋賀夕刊の記事(2026年8月17日)
岩脇さんは、ご先祖のことを伝える新聞記事を持ってきてくださいました。
岩脇市介公は、旧坂田郡岩脇村(現在の米原市岩脇)を本拠とした武将です。元亀3年(1572年)、織田信長公の側へ寝返った堀秀村が守る鎌刃城を攻めた際に討ち死にし、長政公から感状が贈られたと伝わります。
享年は数えで47歳。江戸時代の初めに、市介公の息子の妻・妙意が書き残した『妙意もの語』に、その最期が記されています。
この夏、市介公の位牌が、長く別のお家で大切に保管されたのち、450年の時を経て岩脇家に里帰りしたそうです。記事には、位牌を手に手を合わせる岩脇さんの姿がありました。

記者発表にも同席くださった太田浩司先生(淡海歴史文化研究所 所長)も、連載「湖北史記」で2回にわたって岩脇市介公のことを書いておられます。
「長政公への忠義は忘れないとあり、その討死は家にとっても名誉なこと」と、長政公の書状に残されているのだそうです。
小谷城で長政公が祈りを捧げた小谷寺に、その家臣のご子孫が450年ののちに訪ねてこられる。住職も私たちも、歴史が目の前につながった思いでした。
「ご先祖がお仕えした長政公の寺に」と、ご支援


岩脇さんは、更地になった境内と仮本堂をご覧になり、本堂再建の第2回クラウドファンディングにもご支援くださいました。
「ご先祖がお仕えした長政公の祈願寺を、建て直す力になりたい」。そう言ってくださったお気持ちに、言葉が見つかりませんでした。
■ 歴史は、いまも続いている
ご先祖の位牌が450年ぶりに家に帰り、その同じ秋に、ご子孫が主君の祈願寺を訪ねてくださる。私たちは、ただの建物を建てているのではないのだと、あらためて思いました。浅井三代に連なる人々の祈りが、いまも湖北の地に生きていて、その続きを、私たちは皆さまと一緒に書いているのです。
岩脇さんのご来訪に、プロジェクトのメンバー一同、本当に勇気づけられました。「新聞を見て」と訪ねてくださる方がいる。知っていただくことが、次のご縁を運んでくる。1年前の欅のご寄進もそうでした。
残り2か月を切った第2回クラウドファンディングも、ますます力を込めて頑張ってまいります。皆さまのお力添えを、引き続きどうかよろしくお願いいたします。
▼第2回クラウドファンディング(12月18日まで)
https://readyfor.jp/projects/odaniji




