注目のリターン
ご挨拶
こんにちは。石塚伸一です。私は20年余の間、龍谷大学を中心に刑事司法の研究、教育などに携わってきました。現在は、市民の、市民による、市民のための刑事政策の実現を目指し、一般社団法人刑事司法未来を立ち上げ、日本の刑事司法の未来を考える場をつくっています。
その中で、私自身もこれまでの研究や現在の活動に大きな影響を受けた永山則夫(ながやま のりお)さんについて、彼が残した遺品を保存・整理し、データ化や公開をしていく「永山則夫アーカイブ」を立ち上げたいと考えてました。「永山判決」でも知られるとおり、永山が残した遺品が伝えることは、これからの刑事政策に向けて、特に死刑制度を考えていくうえで重要な資料であると思います。
これまでは、永山さんの最後の面会者であった市原みちえさんが個人で永山さんの遺品を保管し、展示会や関連するトークイベントなどを開催してきました。しかし、その膨大な遺品や資料を個人で保存・活用していくのには限界もあり、次の世代へと引き継いでいく必要性も感じています。「永山則夫アーカイブ研究会」を立ち上げ、永山さんが残した膨大な遺品をデータ化し、そしてWebサイトなどを通じて広く公開することで、法学のみならず、文学や社会学などさまざまな分野から研究いただける資料にもなりうると考えます。
なお、10月10日は世界死刑廃止デーです。2025年のテーマは「死刑は誰も守らない。 (The death penalty protects no one.)」。死刑制度について考えるこの重要な時期に、今回初めてこのようなクラウドファンディングを立ち上げます。ぜひ応援いただきたく、ご支援、情報拡散などご協力をお願いいたします。
直筆のノートや原稿、本の挿絵にも使われた絵の原画、裁判資料など未整理のまま残された遺品
永山則夫(ながやま のりお)とは
みなさんは、永山則夫(ながやまのりお)という人を知っていますか?
永山は日本の戦後社会に大きな衝撃を与えた人物です。彼は当時19歳の若さで「連続ピストル射殺事件」を起こし、収監後の数々の文筆活動によって有名となった獄中作家としても知られます。戦後の急速な経済発展の裏側にあった貧困や教育格差といった社会構造の問題を映す存在でもありました。
生い立ち
極度の貧困家庭に生まれ育ち、中学卒業後は青森から集団就職で上京しました。その後、職を転々とする中で米軍基地から盗んだ拳銃と実弾を使って犯行に及びました。学歴は明治大学付属中野高校の定時制を中退、当時の職業は飲食店のボーイでした。
幼少期の永山則夫
事件、そして逮捕
1968年10月から11月にかけての27日間で、東京・京都・北海道・愛知において4人を拳銃で射殺しました。この事件は「連続ピストル射殺事件」と呼ばれ、警察庁の広域重要指定事件となりました。永山は1969年4月、明治神宮で逮捕されます。
逮捕当時の永山則夫
裁判と判決
1969年に起訴され、1979年に一審で死刑判決。1981年に高裁で無期懲役となりましたが、検察が上告。1983年、最高裁が高裁判決を破棄し審理を差し戻します。1987年の再審理で再び死刑判決、1990年に最高裁で確定しました。
永山基準
永山則夫の裁判は、日本の死刑制度における量刑判断の基準を形成しました。
1983年、最高裁は「死刑か無期懲役か」を判断するにあたり、「動機、犯行の残虐性、被害者数、遺族感情、社会的影響、年齢、前科、事件後の態度」などを総合的に考慮すべきとしました。これが現在にも残る「永山基準」と呼ばれています。
獄中での活動
約30年間の拘置所生活で執筆活動を始め、詩集『無知の涙』(1971年)を出版。さらに小説『木橋』(1984年)で新日本文学賞を受賞し、作家としても注目されました。獄中で結婚し、被害者遺族への謝罪も行っています。また、日本文藝家協会への入会を申請しましたが拒否され、それに抗議して筒井康隆や柄谷行人らが脱会する出来事もありました。

死刑執行
1997年7月に執行命令が出され、8月1日、東京拘置所で刑が執行されました。永山は死刑確定前、弁護士に「死刑執行の時は徹底的に抵抗するかもしれない」と語っていました。しかし、永山は面会者に、小説の出版や印税の送り先などこれからの計画を語り、弁護士宛には身柄引受人のことと再審請求の相談を書いて、生きる意志を伝えていました。死刑執行4日前と17日前のことです。遺体は家族に渡されず、翌日火葬されました。
永山則夫 24歳ごろの写真
永山則夫が残したもの
永山さんの遺品は膨大です。訴訟記録、獄中ノート、小説原稿、書簡など、法学、文学、歴史学、政治学などの学術研究対象になるべきものもあります。そしてなにより、日本の戦後を極貧の中で育ち、身を立てようと都会へ出てきて、苦悶・苦闘の中で青年期を過ごし、少年のときの犯罪で死刑が言い渡され、それでもなお、懸命に生きた一人の人間の生きた証(あかし)を残し、次の世代に手渡す責任が、同時代としての戦後を生きた人たちにはあります。
この度、永山の遺品をアーカイブとして残すため、有志が集まりました。アーカイブ化、ホームページの作成、遺品の展示会、研究会の開催などの活動にはそれを支える資金が必要です。みなさま、ご支援・ご協力をお願いします。
プロジェクト・スケジュール
2025年(準備期)
・クラウドファンディング実施/広報活動/体制整備
2026年(調査・アーカイブ期)
・資料棚卸し・現況確認
・柏資料の既存データとの対照・データ化
・岐阜資料の整理・データ化
・両資料の統合とデータベース構築 、Webサイト業者とも相談
・アーカイブ作業(外部業者への委託含む)
2027年(成果取りまとめ期)
・データ整理経緯の記録と分析
・法学的・更生支援的・文学的意義の検討
・研究報告書の作成と発表
資金の使用用途
・調査費:200,000円
・アーカイブ:1,000,000円
・研究会開催経費:200,000円
・郵送費:100,000円
・Web作成:1,000,000円
リターンについて
本プロジェクトの活動報告書や、永山則夫に関する研究報告書などをお送りします。
また、遺品の中から永山則夫に関する当時の冊子(写真参照、先着50部ほど)をお送りします。
リターン品イメージ(永山に関する冊子)
3,000円
お礼メール、活動報告書
5,000円
お礼メール、活動報告書
※このリターンは3,000円のリターンと同じ内容になります。
10,000円
お礼メール、活動報告書、研究成果(2027年ごろ)
30,000円
お礼メール、活動報告書、研究成果(2027年ごろ)、遺品の中から永山に関する冊子、活動報告書やWebサイトに支援者の方のお名前を掲載、支援者限定の交流会(2026年9月ごろ、オンライン開催を予定)へのご招待
50,000円
お礼メール、活動報告書、研究成果(2027年ごろ)、遺品の中から永山に関する冊子、活動報告書やWebサイトに支援者の方のお名前を掲載、支援者限定の交流会(2026年9月ごろ、オンライン開催を予定)へのご招待
※このリターンは30,000円のリターンと同じ内容になります。
100,000円
お礼メール、活動報告書、研究成果(2027年ごろ)、遺品の中から永山に関する冊子、活動報告書やWebサイトに支援者の方のお名前を掲載、支援者限定の交流会(2026年9月ごろ、オンライン開催を予定)へのご招待
※このリターンは30,000円のリターンと同じ内容になります。
300,000円
お礼メール、活動報告書、研究成果(2027年ごろ)、遺品の中から永山に関する冊子、活動報告書やWebサイトに支援者の方のお名前を掲載、支援者限定の交流会(2026年9月ごろ、オンライン開催を予定)へのご招待
※このリターンは30,000円のリターンと同じ内容になります。
500,000円
お礼メール、活動報告書、研究成果(2027年ごろ)、遺品の中から永山に関する冊子、活動報告書やWebサイトに支援者の方のお名前を掲載、支援者限定の交流会(2026年9月ごろ、オンライン開催を予定)へのご招待
※このリターンは30,000円のリターンと同じ内容になります。
「永山アーカイブ」プロジェクトメンバー
石塚伸一(いしづか しんいち)

1954年東京都中野区生まれ。中央大学法学部卒業・大学院修士修了・博士退学。九州大学より博士(法学)取得。北九州大学法学部教授・龍谷大学法科大学院教授等を経て2023年法学部教授を退職。同大学名誉教授。ドイツ・ゲッティンゲン大学客員教授。現在、一般社団法人刑事司法未来代表。2023年第13回作田明賞優勝賞受賞。受刑者の法的地位(修士)、社会的法治国家における刑事立法政策(博士)で学位を取得し、自由刑、薬物政策、社会治療、死刑問題、刑事司法記録の保存、大逆事件、生命倫理などを研究し続けている。第二東京弁護士会に所属し、20年間、刑事弁護を続けている。
プロジェクトへのメッセージ
「永山さんはボクの青年期に最も影響を与えた人のひとり。市民の、市民による、市民のための刑事政策がライフワーク。」
中島学(なかじま まなぶ)
福山大学教授、元札幌矯正管区長。1988年法務省採用、法務本省や矯正研修所、矯正管区等で勤務する他、矯正職員として少年鑑別所に2年、少年院に7年、刑務所に8年勤務するなどPFI刑務所を含めて矯正施設におけるほとんどの業務に従事している。研究領域は矯正処遇論、更生支援論、明治以降の刑事政策等に関する歴史研究。現職中に8年をかけて博士(法学)の学位を取得するなど、現場の現実の中で感じた様々な課題を理論的に検討し様々な論考を発表してきている。自称『監獄博士』。主な著作は『女性受刑者とわが子をつなぐ絵本の読みあい』(共著・かもがわ出版)『塀の中のジレンマと挑戦』(明石書店)などがある。
プロジェクトへのメッセージ
「見田宗介の「まなざしの地獄」で初めて永山さんと出会う。その出会いは執行後のものであったが、『無知の涙』をはじめとする永山さんの著作を読むたびに、「生きづらさ」や「生き直し」はどのように生じどのように解消されていくのか、そのヒントが著作の中に存在していることを朧げに感じている。それが何か、その実態を言語化していけたらと切望し、今回のアーカイブ・プロジェクトに参加している。」
市原みちえ(いちはら みちえ)

今年は戦後80年。私が生まれたのはその1年後、東京の下町北区です。女手一つで育ててくれた母は床屋さん。棒を振り回して遊んだ悪ガキの中にいて、「てめー、この野郎」と近所のおじさん、おばさんたちに怒られながら、見守られ育ちました。大学除籍して、後輩たちが築いたバリケードの中に子どもを背負って遊びに行った頃、”連続射殺魔”とマスコミに呼ばれた事件で逮捕された19歳の少年の獄中手記『無知の涙』と出会い、感謝辞「この本の印刷にたずさわった人々に多謝深謝する」(当時、活版印刷で、植字工という最下層の工員が作業)に魅せられ、その著者・永山則夫のファンになりました。奈良県に転居後、市議2期経験。初当選の5月メーデー会場で手製チラシ「夜間中学生募集」を配ったのは永山さんとの縁もありました。東京に戻った後、交信途絶していましたが、永山死刑確定5年後の1995年突然の通信が届き、身柄引受人候補のまま最後の面会者となりました。処刑の危険に気づけなかったことを悔やみ、形見分け寸前の遺品の大半を預かり保存して、永山則夫本人の言葉を伝える公開活動をしています。
現在は、庶民の共有遺産として永山則夫アーカイブズの認知・保存、調査研究と活用を通じて社会的課題の解決に役立てることと、公共的な場所への寄贈を目指しています。
丸山泰弘(まるやま やすひろ)

京都生まれの京都育ち。立正大学教授。博士(法学)。日本犯罪社会学会理事、日本司法福祉学会理事。刑事政策・犯罪学を専門とする日本で唯一の民間の研究所である龍谷大学矯正・保護総合センターで博士研究員を経て現職。2017年にUniversity of London、2018 – 2020年にはUC Berkeleyで客員研究員。主な著書として「刑事司法における薬物依存治療プログラムの意義」(日本評論社〔2016年守屋研究奨励賞受賞〕)、「死刑について私たちが知っておくべきこと」(筑摩書房、2025年)などがある。ポッドキャスト番組「丸ちゃん教授のツミナハナシ」のメインMCも務める。主な業績はタモリ倶楽部の空耳アワーのTシャツ。
プロジェクトへのメッセージ
「刑事司法の分野では聞いたことがない人はいない有名な「永山則夫」さんのお名前。一方で文学者としても著名なお名前。ジャンルを超えて、テーマを超えて、幅広く知ってもらうために必要なアーカイブ化の活動をご支援ください!」
風間勇助(かざま ゆうすけ)

1991年静岡県生まれ。奈良県立大学 地域創造学部 講師。東京藝術大学にてアートマネジメントを学び、東京大学大学院人文社会系研究科に進学後「刑務所とアート」の研究をはじめた。主な関心は刑務所とアートを中心に、様々なマイノリティの人権課題とその社会運動や活動の中にある文化的な実践。刑務所アート展の企画・運営を主な活動とする一般社団法人Prison Arts Connections 共同代表を務める他、死刑制度を中心に司法に関する情報の収集・発信を行うNPO法人CrimeInfo副代表を務める。
プロジェクトへのメッセージ
「刑務所とアートの研究をはじめようと思った原点に、永山則夫さんの直筆のノートの展示がありました。壁の向こうの見えない場所で、何かを考えたり感じたりしながら創作をする人がいて、その作品を通して刑事施設について、あるいはそこに生きる人々について想像し、この社会で起こる犯罪やその回復を考えるきっかけができます。“犯罪者”としてではなく、一人ひとりに異なる人生がある人間として向き合うことができます。永山さんが残したものが人々に訴えかけるものは、いつの時代にも鋭いもののように思います。」
最新の活動報告
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市立小樽文学館前館長の玉川薫さんより応援コメントをいただきました!
2025/11/19 12:00市立小樽文学館前館長の玉川薫さんより応援コメントをいただきました!===1999年に行った企画展「昭和歌謡全集北海道編」で、初めて永山則夫のノート「無知の涙」を手にし、たいへんな衝撃を受けました。展覧会の趣旨は人々にとって文学、詩や歌がなぜ必要だったのかというものであり、つらい日々で思わず口をついて出る流行歌のように、追いつめられた民衆のなかから文学の原型のようなものが生まれたのではないだろうかと考えたのです。ノートは汚穢、哀悼、曖昧、憂鬱のように画数の多い暗鬱な漢字の書き取りで埋めつくされていて、そのなかから切れ切れに素朴な童謡のような文句が書き込まれてきます。それらがやがて詩になり文章になる。ノートのタイトルが初め「詩」1文字だったわけも分かりました。文学資料館なので作家の自筆原稿やノートはたくさん見てきましたが、このような詩が生まれる瞬間が奇蹟のように書きとめられた「作家の自筆ノート」を初めて目にしたのです。市原みちえさんとはこの展覧会以来のご縁ですが、思うところあってノートは引き続きお預かりし、ときおり展示しております。市原さんが厖大な遺品の整理と保存に長年心砕いてこられたことを知っておりますので、大勢のご協力で「永山アーカイブ」が始動したことを嬉しく、応援させていただきたいと思います。(玉川薫)玉川薫1953年福井県生まれ。北海道大学卒業。1979年より市立小樽文学館に学芸員として勤務。1999年文学展「昭和歌謡全集北海道編」を企画。2023年退職。ボランティア学芸員として現在もほぼ常時在館。 もっと見る
オンライントーク第2弾!12/8(火)19時〜「作家・永山則夫と時代〜少年から作家になった男」
2025/11/14 11:57前回のオンライントークイベントに続き、第2弾「作家・永山則夫と時代〜少年から作家になった男」を開催します。ぜひご参加ください。「作家・永山則夫と時代〜少年から作家になった男」日時:2025年12月8日(月)19時〜Zoomによるオンライン開催当日、開催時間になりましたら、以下よりご入室ください。トピック: 作家・永山則夫と時代時刻: 2025年12月8日 07:00 PM 大阪、札幌、東京Zoom ミーティングに参加するhttps://zoom.us/j/98162862918?pwd=P87Lmr6QubpaEIl9tkBWERSMEKazfh.1ミーティング ID: 981 6286 2918パスコード: 0uAcrhスピーカー:石塚伸一、市原みちえ、中島学、下平尾直、丸山泰弘、風間勇助企画趣旨:安部公房に「箱男』(1973年)という作品がある。ダンボール箱を頭から腰まですっぽりとかぶり、覗き窓から外の世界を見つめて都市を彷徨う男の話だ。永山則夫は作家だ。1949年6月27日に生まれて1997年8月1日に東京拘置所で48歳で死んだ。1969年4月7日、19歳のときから箱に入ったことになる。法廷という小窓から、時代の流れを観ながら、同時代人として、作家として生きた。1971年、手記『無知の涙』がベストセラーとなり、その印税の一部を編集者や獄中結婚した妻を通じて被害者遺族に渡そうとした。小説家として『木橋』(1984年)が第19回新日本文学賞を受賞し、『ソオ連の芸人』(1986年)、『捨て子ごっこ』(1987年)、『なぜか、海』(1989年)を矢継ぎ早ぎに発表した。赤貧洗うが如き状況で網走と板柳で育ち、金の卵の中卒者として東京で就職し、荒れる都会で独りになり、4人を殺してコンクリートの箱の中に入った。法廷という窓から時代をながめながら、膨大な文章をつむぎ、小説というかたちのメモを外におくりつづけ、そして、国家に殺された。第二回の永山研究会では、作家・永山則夫の人生と作品をみんなで考えたいと思います。*前回のオンライントークは以下よりアーカイブをご覧いただけます。https://youtu.be/DC0nUZePzMU?si=IeVldOZhJfGiq9do もっと見る
アーカイブ公開しました!「死刑囚・作家 の永山則夫アーカイブズの可能性〜再審法と永山基準」
2025/11/07 12:0011月5日に開催したオンラインイベント「死刑囚・作家 の永山則夫アーカイブズの可能性〜再審法と永山基準」のアーカイブ動画を公開しました。なぜ永山則夫さんの遺した資料が重要なのか。永山さんを知らない人にも、知っている人にもぜひご覧いただきたいです。 もっと見る






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