
一般社団法人あおもり地域おこし協力隊サポーターズの五十嵐です。
何回かに分けて、今回黒竹さんと一緒にクラファンをやることにした想いを書いてみようと思います。
新卒から入った前職時代。さまざまな出会いや人や環境、機会に恵まれ、24歳でシンガポール駐在をさせていただいたり、ロールス・ロイスというブランドで働かせていただいたり、自分の経歴を紙に書いてみると本当にキラキラの履歴書が出来上がるという本当にいい経験をさせていただいたのが、20代、30代前半でした。
そんな会社にいることが居心地がいいと感じる一方で、長い人生のどこかで独立して勝負してみたいなと思い会社を34歳の時に辞めたのですが、とにかく、まずは勉強だと思い、2019年に田子町に地域おこし協力隊として移住してきたわけです。
きっと田子町でもいい経験ができると信じて移住してきたわけですが、そんな甘いものでなかった経験をしたのが最初の2年でした。
役場に行ってもパソコンの前に座っているだけ、農作業や役場のイベントに駆り出されても何をしたらいいのか、これをやって?と言われてもそれすらできない自分。飲み会に行けば、移住者は地元の先輩の話を聞いてればいいなんて怒られたり、東京帰れ、常識がない、古い建物買うなんて気が狂ったのかと思ったと言われたり。
外から目線の改善点を伝えても逆に地元の方をイライラさせたり。時折同じようなことでイライラしている隊員さんをみますが、自分もそうでした。そんなやり取りに自分もイライラして、気が付けば買ったばかりの中古車を縁石にぶつけ、タイヤはパンク。シャフトも曲がり、車はレッカー。
独立したいという当初の想いとは裏腹に、
何をやったらいいのか、
何をしたらいいのか、
田子町で自分がどう生きればいいのか全く見えず、
そんな焦りに少ない給与とお金ばかり出ていく生活に焦りが極限状態でした。
よく考えれば、これまでのキラキラの履歴書は自分自身の力ではなく、当時自分を支えてくれた上司や同僚、環境によって出来上がった、言わば偽物の肩書を飾っていたわけです。与えられた肩書だったんですね。
それが、田子町に来て、与えてくれる人がいなくなったわけです。Iターンで知り合いも友達もおらず、自分で勝負したいとかっこいいこと言って移住したにも関わらず、与えられた環境でしか勝負してこなかった自分が生きるには、地方は、田子町は、本当に難しい場所なんだと移住してから気付かされました。
そんなある時、当時田子町では協力隊員は私1人だけで、なかなかこんな話を町の中ですることができなかったのですが、協力隊の研修などで他の町の隊員と話すと、実はみんな同じような気持ちでいたことがわかりました。
「自分だけじゃなかったのか。」という安心感。
町は違えど、他の町で同じような気持ちで頑張っている隊員がいることの心強さ。
もちろん安心感や心強さだけでは前には進めず、自分自身が前に向けるきっかけは別にあったのですが、とにかく当時はそういう不安な気持ちを共有できる仲間がいるだけでやっていける心地がしていました。
当時は思いもしなかったですが、今こうして法人を立ち上げてクラファンにも挑戦しているのは、そんな新隊員が抱える不安を少しでも和らげてあげたい、少しでも誰かのきっかけを提供したい、早く不安を取り除けるようになって自分のやりたいことに向かってほしいという想いからでした。
長くなったのでここまでにしますが、次回、前を向くきっかけになったことを書いてみようと思います。
クラファン、みなさまありがとうございます!引き続き募集していますので、ご協力よろしくお願いいたします。



