錦織友一のモデル・西田千太郎の旧居(松江)を崩壊の危機から救いたい!

小泉八雲を支えた教育者・西田千太郎が暮らした「西田千太郎旧居」は、明治2年に建てられた当時の庶民の暮らしぶりを今に伝える数少ない建物です。築157年を迎えた建物は老朽化が進み、雨漏りや壁の傾きが深刻なため、解体の危機に瀕しています。松江の貴重な文化資産を未来に残すために、どうかご支援ください!

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小泉八雲を支えた教育者・西田千太郎が暮らした「西田千太郎旧居」は、明治2年に建てられた当時の庶民の暮らしぶりを今に伝える数少ない建物です。築157年を迎えた建物は老朽化が進み、雨漏りや壁の傾きが深刻なため、解体の危機に瀕しています。松江の貴重な文化資産を未来に残すために、どうかご支援ください!

文化財保護 の付いた活動報告

西田千太郎旧居の修繕計画をより具体的にするため、お力添えをいただいている(一社)島根県建築士会・相談役の足立正智さんから、西田千太郎旧居について解説いただきました。============================================西田千太郎家の文化財としての価値明治2年の建築であるが、間取りは江戸時代の足軽・徒士(かち)屋敷の間取りとほぼ同一だ。他にも雑賀町には明治時代のものと思われる建物があって調査をしたが、似たような構造と間取りを有していた。つまり現在に残る西田家など雑賀の古い家は、江戸時代の足軽屋敷をほぼ踏襲して作られたものと考えられる。構造的にも建物の道路側の軒を低くして後ろに行くにしたがって高くし、2階の部分を1階から連続した屋根の下に置くという建て方も明治期の建物で共通するどころか、松江以外の城下町でも同じような建て方で足軽屋敷が建てられていたところも確認できる。下級の徒士の住居として、藩政時代の風景と風俗を留める貴重な建造物として大きな価値を持つものと考えられる。この建物をこの土地にあるままで残し、後世に伝えていくことは大きな意味がある。足立正智 (一社)島根県建築士会 相談役松江市文化財保護審議委員


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