100年前を知れば知るほど
当時らしさが分かる
情報をあれもこれもと入れたくなってしまう。
これは「自己満足」を追求するという
観点でみると快いものである。
しかし、芸術というのは
「受け取り手の解釈」があってこそ
成り立つものと思う。
私が意図したものが単なる知識自慢に
なってはいけないのだ。
1930年の横浜を再現するという試みの中で
この二つの要素を妥協ではなく
どちらも満足いく形で「調和」させることに
重きを置き想像を広げた。
自分の中で歌詞を書くということは引き算。
引いてもいいだけの莫大な情報を集め
不純物になりかねないものを
泣く泣く削ぎ落としてゆく。
一人称や二人称の使い方であったり
句読点のうち方。
日本語が持つ美しさと
情景描写を最大限に引き出すため
これらをどう扱うか。
それらが上手く調和した時
オールドトーキー作品から感じられる
描写の引き算の余白から生まれる
「哲学」にも繋がると感じる。
誰がみてもそれぞれの解釈を与えられる
作品にする為に、自分のこだわりを
詰め込めるだけの奥行きを持たせ
かつ、届けるということに拘りながら
自分なりの1930年の横浜を
一年半という期間をかけて描いた。
表面的に受け取っても
深く咀嚼しても
どちらでもいい。
表現者としての1番の喜びは
金や名誉でもなく
作品を愛して頂けることです。
「横濱キスガアル」
楽しみにしていてください。



