「私には才能はないと思う。。どう思う?」
努力しているのに、中々思うように結果が出ない。。
「あの人のようにもっと才能があれば…」と比べては落ち込み、妬む。。
もしあなたがそう感じたことがあるなら、まず伝えたいことがあります。
それは、そう感じたことがあったとしても、あなたが悪いわけではないということ。
もしかすると―― “才能=能力”という一つの物差ししか知らず、それに囚われすぎていることが原因かもしれないのです。
■ 抜け落ちている視点
私たちは無意識のうちに、
どれだけ結果を出せるか
どれだけ突出しているか
これを価値の基準にしてきました。
しかし、この視点には一つ、決定的に抜け落ちているものがあります。
それは「神様の御前での価値」という視点です。
新約聖書のⅠコリント12章にはこうあります。
「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」(1コリント12:14)
「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。 」(1コリント 12:21)
これらを踏まえて言えることは、体から切り離された突出した能力自体に価値があるのではなく、体に属して役割を果たしていることにこそ価値があるということ。聖書によれば、「それぞれの人に神様から役割が与えられており、不要な人は誰もいない」ということ、また、その「役割は教会との関係で見出され、磨かれ、果たされるもの」ということがわかります。
神様の視点では、「どれだけ何かに突出しているか」よりも、「教会との関係で、あなたが与えられた役割を担い、果たしているか」が問われています。
■ 神様のみ前での価値は、多面的
才能=“突出した能力”と定義してそこに囚われると、もっと大切なことを見失います。
聖書の神様の御前での価値は、もっと立体的です。
私はそれを、こう整理してみました。
神様の御前での価値 = 知識 × 能力 × 実践
(A) 知識:神様から自分に与えられた役割を、聖書に基づいてどれだけ深く理解しているか
(B) 能力:その役割に必要な力を、日々どれだけ磨いているか
(C) 実践:現在、その役割を教会との関係で、どの程度実践し、果たしているか
各5点満点(0〜5で5が最高)で評価し、各項目での点数を掛け、最大125点で自分を測定することも可能です。
例えば、
(A) = 1
(B) = 4
(C) = 0 なら、1 x 4 x 0で、合計は0です。
何かしらの能力が相当高くても、聖書が教える「役割」についてはほとんど知らない、そして、教会に関わる実践がまだないというケースもありえます。
逆に、役割について熟知していても、能力を磨かず、実践もなければ、役割を果たせません。
このように神様の前での価値は、(B)能力単体ではなく、三つの掛け算という見方もあります。
■ なぜ苦しいのか
能力という一点に囚われると、
他人と比較して落ち込んだり
他人との競争と勘違いしてしまいます。
だから疲れ、時に苦しくなるのです。
しかし聖書の神様の視点に立つと、問いはこう変わります。
「あなたは、神様から与えられた役割を果たしていますか?」
これは他人との競争ではなく、あなたに与えられた「使命」の問いです。
■ あなたは才能がないのではない
聖書の神様の視点が抜け落ちたまま、これまで「能力」だけに注目してきたとしても大丈夫。
本当の価値を、役割を、多面性を、神様の視点を、まだ教わっていないだけかもしれない。
それぞれの項目における数値を一緒に伸ばしつつ、共に、与えられた役割を果たしていく。
それが、このプロジェクトの目指すものです。
■ あなたの支援が生み出すもの
・役割を深く学ぶ機会(知識)
・役割を果たすために必要な力を磨く環境(能力)
・役割を実践する場(実践)
Ⅰコリント12章が語る「各器官が支え合う体」を、現代に具現化します。
「才能」という一面的な物差しから解放し、各自の「神様のみ前での価値」を取り戻す。
今日のあなたの支援が、「才能」という言葉の誤解で落ち込む人々を救い出し、
他者との比較に疲れた人に、各自に与えられている役割を見出し果たす喜びを与えます。
この場所を、ぜひ一緒に作ってください。



