周りに感情の起伏が大きい人がいると、疲れてしまうことがあります。「どうしてあんなに感情的なんだろう」「自分とは合わないのでは…」そう感じるのは、とても自然なことです。でもここで、一つ大切な視点をお伝えしたいのです。性格の違いは「問題」ではなく、「チャンス」です。---## ■ 性格はバラついていて当然人には様々な性格があります。分析型、行動型、共感型、慎重型。最近では「16タイプある」と言われることもありますが、重要なのは「タイプの数」そのものではありません。大切なのは、人は、ロボットや金太郎飴のように一様ではないように、神様によって創られているという事実です。凹凸があるからこそ、歯車は噛み合い、全体が機能します。---## ■ 感情的な人の役割感情的な人は、場を乱しているように見えることがあります。しかし別の角度から見ると、- 空気の変化に敏感- 痛みに気づきやすい- 喜びを増幅できるという強みがあります。理性的な人だけでは、電卓のように、機械的になりがちかもしれません。感情的な人だけでも、方向を失います。両方が必要なのです。---## ■ 疲れるのは弱いからではない感情の強い人に振り回されて疲れてしまうと、「自分が未熟なのでは」と、自分を責めてしまうことがあるかもしれません。でもその必要はありません。それは単に、あなたの特性と相手の特性が違うというだけです。違いがあるから摩擦があり、同時に発見や補完が生まれます。つまり違いがあるからこそ、摩擦を活かすチャンスが生まれあるのです。---## ■ 凹凸があるから体になるこれまでの回でも触れてきたように、人はそれぞれ役割を持っています。静かに整理する人前に出て動かす人深く共感する人論理で支える人どれが欠けても、全体は弱くなります。性格の凹凸は欠点ではなく、役割の違いです。---## ■ 問いは「合うか」ではなく「どう活かすか」私たちはつい、合うか合わないか好きか嫌いかで判断してしまいます。しかし視点を少し変えると問いはこうなります。この違いは、どんな役割の違いを示しているのだろう?お互いの役割の観点から、どのようにこの摩擦を活かせるだろう?この問いに変わると、人間関係は批判や排除ではなく、理解と補完、尊敬と協力へと変わっていきます。---## ■ あなたの支援が生み出すものこのプロジェクトでは、- 性格の違いを役割の違いとして理解する学び- 自分の強みと他者の強みを見つけて喜ぶ対話- 凹凸を活かして共に働く実践の場を整えています。性格の違いに疲れてウンザリしていた人たちが、役割の違いから考え直す事で、お互いを尊敬して協力する場所を作ります。あなたの支援は、誤解を減らし、協力して偉大な事を成し遂げる関係を生み出す土台になります。---### ■ 最後に「なんでこんな性格なの?!」その問いの答えは、、恥ずべき欠点ではなく、役割の違いとそれを活かせるチャンスかもしれません。感情的な人も、理性的な人も、静かな人も、活発な人も、必要不可欠です。凹凸があるからこそ、協力が生まれ、全体はより豊かになります。あなたの支援によって、その多様性を活かして輝く場を、一緒に作って下さい。
「私は内向的だと思う。人と会うと疲れます。なんとか変わるべき?」「頑張って人付き合いをしてるのに、どうしても疲れてしまう。。」そんな自分を責めてしまったことはありませんか?「もっとみんなみたいに社交的にならなければ…」「自分は変わらないと価値がないのでは…」もしあなたがそう感じたことがあるなら、まず伝えたいことがあります。変わる必要は特にありません。なぜなら、神様は私たちを、多様に創造されたからです。内向的であろうと、外向的であろうと、ありのままであなたは美しく、神様の体の中で不可欠な存在だからです。■ 内向性の方が劣っているのではありません花はペラペラ話しません。それでも佇まいだけで多くの人を癒し、心を整えます。あなたの内向性も同じです。無理に話さなくても大勢の前で目立たなくてもあなたの存在そのものが、周囲に良い影響を与えています。■ 正反対のタイプは互いに惹かれる多くのカップルや友人関係は、正反対のタイプ同士で結ばれています。なぜなら、人は磁石のように、真逆の相手に惹かれ、尊敬し、補い合うからです。内向的なあなたも、外向的な誰かも、神様の目から見ると、互いに欠かせない存在で、そのままで魅力的なのです。■ 役割を意識する第9回でお伝えしたように、神様は私たち一人一人に、役割と才能を与えてくださっています。内向性は何とか脱却すべきものではなく、むしろあなたが果たすべき役割に適した特性かもしれません。社交的でなくても、あなたに与えられた役割に活かせば、あなたは充実感と幸せを感じるでしょう。■ 無理に変わる必要はない社会の一般基準に囚われて、内向的=劣っている人付き合いが少ない=魅力が無いと考える必要はありません。あなた自身でいること、特性に応じた役割は何かを探し、神様から与えられたその役割に生きることで、あなたの魅力が最大限に活かされます。■ あなたの支援が生み出すものこのプロジェクトでは、自分の特性と自分に合った役割について深く学ぶ機会(知識)内向性を活かして、神様から与えられた役割を果たすための力を磨く環境(能力)役割を教会のミニストリーを通して実践して用いる(実践)を提供しています。内向的であっても、あなたの特性を活かして果たせる役割が必ずあります。今日の支援は、自己否定に疲れた人々を安心させ、ありのままの自分で価値を発揮できる環境を作る一歩です。■ 最後にあなたは変わる必要はありません。むしろ、そのままの自分で神様の前に立ち、役割を果たすことこそが大切です。内向であろうと外向であろうと、あなたの存在はそのままで美しく、不可欠です。あなたの魅力が、人々の間で輝く場を一緒に作りましょう。
「私には才能はないと思う。。どう思う?」努力しているのに、中々思うように結果が出ない。。「あの人のようにもっと才能があれば…」と比べては落ち込み、妬む。。もしあなたがそう感じたことがあるなら、まず伝えたいことがあります。それは、そう感じたことがあったとしても、あなたが悪いわけではないということ。もしかすると―― “才能=能力”という一つの物差ししか知らず、それに囚われすぎていることが原因かもしれないのです。■ 抜け落ちている視点私たちは無意識のうちに、どれだけ結果を出せるかどれだけ突出しているかこれを価値の基準にしてきました。しかし、この視点には一つ、決定的に抜け落ちているものがあります。それは「神様の御前での価値」という視点です。新約聖書のⅠコリント12章にはこうあります。「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」(1コリント12:14)「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。 」(1コリント 12:21)これらを踏まえて言えることは、体から切り離された突出した能力自体に価値があるのではなく、体に属して役割を果たしていることにこそ価値があるということ。聖書によれば、「それぞれの人に神様から役割が与えられており、不要な人は誰もいない」ということ、また、その「役割は教会との関係で見出され、磨かれ、果たされるもの」ということがわかります。神様の視点では、「どれだけ何かに突出しているか」よりも、「教会との関係で、あなたが与えられた役割を担い、果たしているか」が問われています。■ 神様のみ前での価値は、多面的才能=“突出した能力”と定義してそこに囚われると、もっと大切なことを見失います。聖書の神様の御前での価値は、もっと立体的です。私はそれを、こう整理してみました。神様の御前での価値 = 知識 × 能力 × 実践(A) 知識:神様から自分に与えられた役割を、聖書に基づいてどれだけ深く理解しているか(B) 能力:その役割に必要な力を、日々どれだけ磨いているか(C) 実践:現在、その役割を教会との関係で、どの程度実践し、果たしているか各5点満点(0〜5で5が最高)で評価し、各項目での点数を掛け、最大125点で自分を測定することも可能です。例えば、(A) = 1(B) = 4(C) = 0 なら、1 x 4 x 0で、合計は0です。何かしらの能力が相当高くても、聖書が教える「役割」についてはほとんど知らない、そして、教会に関わる実践がまだないというケースもありえます。逆に、役割について熟知していても、能力を磨かず、実践もなければ、役割を果たせません。このように神様の前での価値は、(B)能力単体ではなく、三つの掛け算という見方もあります。■ なぜ苦しいのか能力という一点に囚われると、他人と比較して落ち込んだり他人との競争と勘違いしてしまいます。だから疲れ、時に苦しくなるのです。しかし聖書の神様の視点に立つと、問いはこう変わります。「あなたは、神様から与えられた役割を果たしていますか?」これは他人との競争ではなく、あなたに与えられた「使命」の問いです。■ あなたは才能がないのではない聖書の神様の視点が抜け落ちたまま、これまで「能力」だけに注目してきたとしても大丈夫。本当の価値を、役割を、多面性を、神様の視点を、まだ教わっていないだけかもしれない。それぞれの項目における数値を一緒に伸ばしつつ、共に、与えられた役割を果たしていく。それが、このプロジェクトの目指すものです。■ あなたの支援が生み出すもの・役割を深く学ぶ機会(知識)・役割を果たすために必要な力を磨く環境(能力)・役割を実践する場(実践)Ⅰコリント12章が語る「各器官が支え合う体」を、現代に具現化します。「才能」という一面的な物差しから解放し、各自の「神様のみ前での価値」を取り戻す。今日のあなたの支援が、「才能」という言葉の誤解で落ち込む人々を救い出し、他者との比較に疲れた人に、各自に与えられている役割を見出し果たす喜びを与えます。この場所を、ぜひ一緒に作ってください。
「運命の人はいるの?」「私にも、たった一人の人が用意されているの?」巷の婚活サービスでは、「外見をもっと磨きましょう」「とにかく数をこなしましょう」「半年以内に成婚しましょう」「条件をもっと下げた方がいい」などがキーワードかもしれません。しかし、その結果はどうなっているでしょうか。会えば会うほど疲れ、心が削られていく。。そして、ふとこう思うのです。「自分だけ取り残されているのでは?!」でも、はっきり言います。取り残されているかどうかは、問題ではありません。本質的な問題はただ一つ。聖書の神様に信頼して生きているかどうか。興味深い点があります。聖書に出てくる有名な2人の女性は、「運命の人」を必死に探してはいませんでした。リベカある時、井戸で、見知らぬ旅人とその家畜にまで、率先して水を汲み与えました。ただ素朴に、神の前で誠実に生きていたのです。彼女のそんな姿が、道を開いたのです。ルツ義母(ナオミ)に従い、異国の地で畑で働きました。神を信頼して、日常を生きていたのです。そんなルツは、ボアズの目にとまりました。新戦略彼女たちに共通していること。探し回ってはいなかった。聖書の神様への信頼があった。ここに、まったく新しい戦略があります。出会いの数を増やして疲れ果てるのではなく、聖書の神様への信頼を最優先にする。そして前回のお悩み相談で触れたように、あなたには、神様から与えられたあなたの役割があります。その役割を通して仕える時、必要な出会いも整えられるのです。 信頼 → 仕える → 出会う運命の出会いは、聖書の神様を信頼し、仕える歩みの中で、開かれるのです。なぜオンライン教会なのか今の社会は「とにかく数をこなせ」「条件を下げなさい」等は言ってくれます。でも「聖書の神様を信頼した生活を送ろう」と言ってくれる場所は、ほとんどありません。人々は自力で、徒歩で彷徨いながら目的地を目指しています。だから人々は疲れ果ててしまいます。Lights Churchは、まずはリラックスして、心を整える場所です。神様への信頼を中心にした生き方を、共に実践する場所です。ここから、質の高い人生と出会いが始まります。このクラファン・プロジェクトでのあなたの支援が、婚活に疲れ、比較に傷付き、「もう無理かもしれない」と思っている多くの人々の、癒しと回復の居場所を作ります。その新しい居場所が、彼らにとっての救いになり、あなたのホームになります。さいごにもしあなたが、・もう疲れている・運命の人に出会いたい・聖書の神様を信頼する人生を歩みたいそう思うなら――神様に信頼する生き方を育む居場所を、一緒に形にしませんか。あなたの支援を、心からお待ちしています。
【お悩み相談 (7)】「色々やろうとして時間がなくなり、どれも中途半端になってしまう。。どうしたらいい?」「やりたいことが多すぎる。頼まれることも増えてきた。全部大事に思えて、断れない。」「気づけば、時間がない。。でも、どれも極めきれていない気がする。」「私は要領が悪いのでしょうか。もっと頑張れば、全部できるようになるのでしょうか。」【回答】あなたに、ひとつ質問です。ある街で、魚屋がパンも焼き、パン屋が歯の治療に乗り出し、寿司屋が森林伐採に熱を入れ、目医者がサウナを経営し始めたら――その街は、豊かになりますか?きっと、全部が中途半端になります。魚屋は魚を極めるから価値がある。パン屋は一心不乱にパンを焼くから愛される。寿司屋は魚の鮮度や握りに拘るから選ばれる。目医者は目だけを専門に診るから信頼される。それぞれが違いを活かして極めるとき、街は本当の意味で豊になります。あなたも同じです。【聖書の視点】聖書はこう言っています。「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つである。」(Ⅰコリント12章12節; 新共同訳)やりたいこと全部を担おうとすることは、体で例えると、目が、心臓や肝臓、耳や口のことまで同時にやろうとしているうようなものです。あなたが疲れているのは、能力が足りないからではないのです。自分の本来の役割以上を抱えようとし、実際に抱えているからです。現代は、マルチであることが称賛され、巷にはそういったことを煽る本や動画もあります。でも、深く一つを担う人がいなければ、社会は崩れます。魚屋が早朝から市場へ行って魚に関して極めるように、あなたにも“極める部分”があるのです。全部やった方がいいんじゃないの?!と思っておられたかもしれません。そして実際、多くの人が今、「全部やらなきゃ!!!」と孤独に戦っています。しかし時間(いのち)は非常に限られており、多くのことに手を出すことは、貴重な資源の分散→成果が出にくいことから、聖書的にも、オススメされていません。聖書はさらに、奥義を伝えています。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」(Ⅰコリント12:27; 新共同訳)聖書的観点から見ると、私たちは本来、それぞれがバラバラに、ただ自分の好きなように頑張って生きる存在ではなく、「教会」という一つの体を構成して役割を果たすために、神様によってデザインされ、神様から能力を与えられ、期待されているのです。この真理は、学校では教えてくれませんので、これまでご存じなかったとしても大丈夫です。安心してください。これから一緒に、真理の奥義を学びましょう。わたしたちのLights Church: オンライン教会が目指しているのは、“多くを抱え込む人”をこれ以上増やさないこと。オンラインだからこそ、場所や時間に縛られずにスマホで参加でき、そのメッセージは、各地で苦難や孤独の中にいる人にも、スッと届きます。魚屋も、パン屋も、寿司屋も、目医者も、それぞれが与えられた役割に磨きをかけることで街が豊かになるように、あなたも、あなたに与えられた役割を安心して担える場所、より一層輝く居場所が必要です。わたしたちのLights Church: オンライン教会が、その居場所になります。まずは、あなたに与えられた役割を発見してみませんか?【あなたの支援がつくるもの】このプロジェクトは、物理的な建物を建てる挑戦ではありません。「一人で全部やらなくていい」と思い出せる場所、あなたが与えられた役割を発見し、担うことで、あなたがより一層輝く居場所を、オンライン上につくる挑戦です。もし今日この記事が少しでも刺さったなら、それはあなたがもう限界まで頑張っている証拠です。どうか支援を通して、このスマホで参加できる、私たちのオンライン教会を、一緒につくってください。あなたも、あなたの愛する人たちも、この“からだ”のかけがえのない一部なのですから。




