

能登半島地震の発生から、まもなく二年。発災直後から、多くの支援者が能登入りする中、支援の輪から取り残されてしまったのが、外国人住民たちでした。
奥能登地域は、国際交流協会も行政の国際課もなく、地震発生当時は十分な支援も届かないままでした。また「移民反対」など排外主義の声も広がる中、被災した能登の外国人住民はさらに厳しい立場に置かれています。

現在、奥能登地域では、人口流出が加速度的に進んでいます。もともと、高齢化率は50%を超える地域。地震の発生により、さらに若年層の能登離れに拍車をかけています。そんな中、多くの業界で人手不足を嘆く声が聞こえます。そして、外国人材を望む声も多く聞かれます。
外国人住民が「生活者」として安全安心に暮らす環境づくりが必要です。更には外国人は「支援される側」にとどまらず、「支援する側」として、災害により分断されたコミュニティづくりに貢献し、日本人・地域住民がお互いに見守り合える地域づくりにも力を発揮してくれると考えています。
各地で大規模災害の発生が予見される中、外国人住民が復興の担い手として地域をともに支えてくれる「多文化共生を生かした復興」のモデルを、能登から発信していきます。

多文化人材活躍支援センター 代表理事 山路健造
人的被害、家屋の被害等、多くの爪痕を残した能登半島地震の発生から、まもなく二年を迎えようとしています。また、奥能登豪雨の発生もあり、多くの方が精神的な被害を受けました。
私は、地震発生後に支援活動に入り、そのまま輪島市に移住して活動しています。その中で気付いたのは、母国から離れ、日本で暮らす外国人住民たちの存在でした。言葉の違い、日本の支援制度の複雑さ、家族と離れて被災した心細さ。より厳しい状況に置かれる彼らですが、同時に、能登を元気づける「復興の仲間」であることに気付きました。
彼らが困りごとを相談でき、更には分断された地域コミュニティの再生に貢献する。そんな環境を作ることが、能登の復興の一つのアプローチだと思っています。そんな社会インフラづくりへの挑戦を、是非とも応援してください!



私が暮らす石川県輪島市では、地震前に197人いた外国人住民は、高校のキャンパス移転や実習先倒壊等で87人まで半減しました。同時に日本人住民も広域避難等で流出し、人口は14%減。介護、食品加工、建設など幅広い現場が人手不足に陥っています。
そんな中、多くの業界から、外国人材を求める声が上がっています。外国人材は、能登の復興にとって欠かせない存在です。

被災したフィリピン人のお宅(2024年1月)
2024年2月、能登半島地震支援で派遣された私は、全国から集まった延べ1,300人の調査員とともに、輪島市の12,000世帯以上を訪問。約3,000世帯に会いました。
しかし―。お会いしたリストの中に、外国人はほとんど含まれていませんでした。金沢から発信した情報は能登の外国人に届かず、災害用語の日本語も難解です。
「リサイショウメイ?」「タキダシって何か分からないので、ポストに入れておいて」「家のローンのことを考えると不安になる」
外国人住民は、災害時に最も弱い立場に置かれていたのです。


人口流出が続く奥能登地域において、さらに外国人材を求める声は高まっています。彼らが安全安心に暮らし、さらには地域住民とともに支える環境をつくるために、地域参画の仕組みづくりが必要だと考えています。
具体的には、外国人住民の各世帯を調査してお困り事を把握して必要な支援につなげます。更に、自立した外国人住民が、今度は「支援する側」として、地域コミュニティ再生に向けた地域づくりに貢献できる仕組みづくりを進めます。


外国人が孤立しない体制をつくるための「伴走者」を育てます。輪島市に転入した外国人に対して、以下の調査・支援を実施します。
・生活状況・日本語レベルを聞き取り
・A〜Dの 4レベルに分類し、必要な支援へ繋ぐ
・支援先となる行政、学校、病院、企業などの社会資源に対して多文化セミナーを実施
まだまだ輪島市では、外国人対応をしたことがある支援先が多くありません。地域の社会資源の掘り起こしをしながら、外国人住民が災害時にも、平時においても「誰に相談すればいいか」がわかる仕組みをつくります。


外国人が「先生」になり、地域住民と交流する場づくりをするプロジェクトです。一度のイベントでは終わらず、「顔の見える関係」が続くことで、外国人と地域住民が互いを見守り合えるような地域づくりを目指します。
・外国料理の教室
・各国の文化体験
・多文化お茶会
・高齢者宅の見守りにもつながるコミュニティ形成等


復興の担い手である外国人材を迎え入れる仕組みづくりが必要です。外国人材から「能登が選ばれる」ための社会的インフラを整えます。能登から全国へ広がる「多文化共生のモデル」を目指します。
・特定技能の登録支援機関の申請(現在、準備中)
・将来的には日本語学校を輪島に開校し、学びながら地域で働ける仕組みをつくる



私は大学卒業後、新聞記者を経て、2014年から2年間、JICA海外協力隊としてフィリピンに滞在しました。タガログ語のニュースもよく分からないまま、次々と襲う台風に怯えた経験があります。
あの時、JICA事務所から「日本語で届く情報」がどれだけ安心を与えたか、今も覚えています。「外国人」を経験したことが、私の活動の原点となっています。
だからこそ、私はフィリピンから帰国後、「日本に暮らす外国人の安全と安心を守りたい」という思いで、多文化共生の道を歩んできました。
帰国後に就職した認定NPO法人地球市民の会がある佐賀県は、映画やドラマの誘致を通じたタイとの交流を行っていました。そこで、佐賀県に住むタイ人やタイが好きな人たちとボランティア団体「サワディー佐賀」を設立。
タイ料理教室、タイ語教室、タイ人観光客向けの観光ガイドなどのほか、災害、コロナ禍でのタイ語による情報発信も行ってきました。
更に、2022年にはウクライナ危機が発生。佐賀県にウクライナ避難民を受け入れるため、佐賀県、佐賀市、NPOでつくる官民連携組織の事務局を担当しました。

そんな活動で出会ったのが、避難民の一人のポジダイェヴァ・アンナさんです。彼女は日本に留学して、美容師の勉強をし、ウクライナに帰国後は、ビューティーサロンの経営をしていました。しかし、サロンが入居するビルにミサイルが着弾し、命の危険を感じて避難を決意。そんな時に見つけたのが、佐賀県のプログラムでした。
日本語が堪能な彼女は、「同じ境遇で日本に避難してきたウクライナ人のサポートがしたい」と話してくれました。そんな彼女の姿を見て「二か国以上の文化的背景を持つ『多文化人材』が活躍する社会をつくりたい」という思いに行き着きました。
そんな思いで、2023年10月、多文化人材活躍支援センター(たぶさぽ)を設立しました。ウクライナ避難民を含む外国人住民が活躍する場をつくるための事業を始め、これからという時に…。その直後に起きたのが、能登半島地震でした。


「一週間の出張で」と言われて派遣された能登支援でしたが、輪島市のあまりに悲惨な状況に、言葉を失いました。瓦礫は道にはみ出し、ビルも倒壊。火災のあった朝市エリアは、建物も車も焼けこげ、まだ煤の臭いが鼻をつくような状況でした。
そして、次によぎったのが「外国人たちは寂しい思いをしていないか」という思いでした。そこで、戸別訪問調査が終わった後も輪島に移住することを決意。外国人と料理イベントをしたり、炊き出しをしたりなど外国人と地域の「つながり」を生み出す活動を続けています。

能登では、東京在住のアンナさんに輪島市にきてもらい、ウクライナ料理を被災者に提供しました。その他、輪島市の外国人住民向けにアンケートを実施。その結果、普段の生活や何か困った事が起きたときに相談する相手は「同じ国出身の友人・知人」が多いことから、同じ国出身の外国人と料理を食べながら交流する「居場所づくり」の活動を続けてきました。
これらの活動は、JICAから、海外協力隊の経験を生かした社会課題に取り組んでいるとして、2025年7月に第3回社会還元表彰審査員特別賞(災害支援)に選ばれました。能登での活動を通じ、外国人は災害弱者になる半面、地域を元気づける存在だということに気づきました。
輪島の街に外国人を連れていくと、「輪島にもこんなに外国人がおるんけ〜」「遠いところから来てくれてありがとうね」「英語はできんけど、交流してみたいわ」という声が溢れます。
私は確信しました。「外国人は、地域を元気にする存在だ。そして、能登の復興を前に進める “仲間” だ」と。その力をどう活かすか。その答えが、このプロジェクトです。


ご支援金の使い道は、コミュニティお助け隊のイベント費用、コミュニティお助け隊として派遣する外国人講師謝金、多文化ケアマネ研修費、登録支援機関申請費用―等、能登で外国人住民が暮らしやすくなるための環境整備に充てさせていただきます。


当法人の理事であるウクライナ避難民のアンナさんと、娘のリサさんに輪島に来てもらい、外国人住民も含む輪島市民やとの交流会を行います。戦争と災害の違いはあれど、安住の地から避難を余儀なくされたウクライナと能登。
アンナさんのウクライナ料理に舌鼓を打つ食事会や、ウクライナ現地の音楽学校を卒業したリサさんと輪島吹奏楽団のコラボ演奏会を企画します(2026年春以降の予定)。
リターンでは、3万円以上のご支援でこの交流会へご招待します(輪島市までの交通費や滞在費は各自でご負担ください)。また、輪島市まで足を運ぶのが難しい方にも、1万円以上のご支援で、交流会の様子をオンライン配信する予定です。


外国人住民と日本人で顔の見える関係を作るため、外国人が「先生」となる「コミュニティお助け隊」。輪島市内の様々な場所で、月一回ペースで、料理を中心とした交流イベントを実施しようと思っています。少人数での開催なので、外国人、地域住民とより濃厚なコミュニケーションを取ることができるイベントです。
5万円以上のご支援で、コミュニティお助け隊の交流イベントにご招待します。また、10万円以上の寄付で、コミュニティお助け隊の活動の「スポンサー」として、交流イベントを輪島に届けます。(輪島市までの交通費や滞在費は各自でご負担ください。開催時内容・期等は、支援者さまと相談の上決定します)


南海トラフ巨大地震など、全国各地で大規模災害の発生が予見されています。能登半島地震で外国人支援を担当した立場から、災害時に外国人が抱える課題や必要な支援について多くの人に知ってもらうため、代表理事の山路による「多文化防災」関連の講演会、セミナー、シンポジウムの登壇は積極的に依頼を受けています。すでに登壇は20回以上となりました。
10万円以上のご寄付をいただいた方には、ご希望の地域や時期に、多文化防災セミナーをお届けします。(開催時期については、支援者と相談の上決定させていただきます。謝金は不要ですが、交通費については、支援者と別途相談いたします)

人口減社会やグローバル社会の加速的な進行により、人手不足や外国人材の受け入れ環境の悪化など「マイナス面」が取りざたされることが多くあります。
一方で、私たちは、二か国以上の文化背景を持つ「多文化人材」が活躍できるチャンスという「プラス面」も是非PRしていきたいと考えています。
多文化人材がその経験や能力、知識、ネットワークを生かし、活躍できる社会が求められています。国籍や民族を超えて、国境さえも越えて活躍できる人材を育成したい。私たちは、誰もが生まれた国や在留資格に関係なく活躍でき、平和で幸せに暮らせる社会に貢献することを目的に活動しています。


ウクライナ避難民として受け入れたアンナさんは今、たぶさぽの理事をしてくれています。彼女の戦争の体験談を話す活動をしています。そのほか、戦争により家族が離散し、今後起こりうる相続や離婚などに対応するため、ボランティアの法律相談(ウクライナの弁護士資格のある避難民が対応)にも乗っています。


国籍や民族のちがいに限らず日本で活躍できる社会をつくるために、そのニーズに沿った事業を展開しています。現在は、輪島市に拠点を設け、能登半島地震からの復興を支援。また、多文化共生社会の実現に向けて、講演会やセミナー登壇などを通じた啓発活動にも取り組んでいます。










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