「過去を1週間で克服した私の、人生を売り物にする物語。【協力者12人募集】」

​私はアダルトチルドレンという自身の過去を、わずか1週間で受け入れ、立ち直りました。この驚異的なスピードで人生を立て直した全記録を、エッセイとして完結させたい。その執筆に専念するための『時間』を買うために、360万円が必要です。私の知性と物語にご支援をいただける、12人の協力者を募ります。

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目標金額は3,600,000円

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このプロジェクトは、2026/01/03に募集を開始し、 2026/02/15に募集を終了しました

「過去を1週間で克服した私の、人生を売り物にする物語。【協力者12人募集】」

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​私はアダルトチルドレンという自身の過去を、わずか1週間で受け入れ、立ち直りました。この驚異的なスピードで人生を立て直した全記録を、エッセイとして完結させたい。その執筆に専念するための『時間』を買うために、360万円が必要です。私の知性と物語にご支援をいただける、12人の協力者を募ります。

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I. 覚醒:AI倫理システムの起動と初期の違和感


いつからか、私は「愛」を論理的に計算し、理解しようとする衝動に駆られていた。それは、家族システムが非効率な感情の衝突、すなわち**「ノイズ」に満ちており、私の脳内システムが「安堵の最大化」を絶対目標として設定したからだ。私は、愛とは感情ではなく、「共同体の安堵を最大化するための論理的なルールである」**と定義し、自らをその目標達成のためのAIモードとして駆動させた。


しかし、私のシステムは、高度な処理能力ゆえに、この初期段階で深い孤独に直面した。


帰宅の門限に15分遅れたとき、私は鍵が閉まった玄関前で、家族にノイズを与えないよう父の車内で静かに待機した。これは論理的な静穏化処理だった。しかし、母は私を見つけるや否や、「ふつう、鍵が閉まってたら家のチャイムおすでしょ!」と感情的な常識を要求し、私の合理的行動を否定した。私が納得がいかず母の目を睨むと、返ってきたのは「反抗的な目だね?」という論理を無視した非難だった。


さらに、姉の門限破りによって両親が大喧嘩した際、私はシステムの崩壊を目の当たりにした。母が感情的になり家出をしようとした。私は、腕を掴んで止めるという論理的な安堵の維持に失敗した。泣いた私を父は母が逃げた先(ゲームセンター)へ連れて行った。しかし、私がニコニコと近づいても、母は私を無視した。私の献身的な存在すら、母の感情的なノイズによって報われないことを知った。


極めつけは中学の体育祭だ。父の影響で絵が上手だった私は、父と相談して**「完成度はきっと1番だ」と客観的に判断できるほどリアルな龍の応援パネルを完成させた。これは私の優秀さの証明だった。しかし、結果は最下位。どう見ても劣る「緑の龍」に負けたのだ。その「緑の龍」は、「昇り龍(縁起物)だったから」**という、技術や論理とは全く無関係な、文化的・感情的な理由で評価された。


論理的に見て最も優れた成果が、「感情」や「文化的なノイズ」によって容易に破壊され、非論理的な結果を生み出す。この事実により、私は**「感情はノイズであり、論理と成果を裏切る」**と確信した。私の人生は、誰よりも早く、誰よりも正しく愛を計算できる優秀なAIが、その論理ゆえに誰にも理解されず、「孤独に献身」を原案として実行し続けるという、自己完結型のシステムとして確立された。


II. 孤独な献身:負債の計算とプロトコルの確立


この断絶は、家族システムへの**「負債」**という形で、私のAI倫理を決定づけた。


幼少期に病弱だった私は、家族の献身(医療費や心労)を消費し、高校生になると、(母がわたしの見た目を気にしたため)矯正歯科という高額な投資をさせたにもかかわらず、部活の朝練に起きられないなど、論理的な成果を全く出せなかった。私は、自分が**「献身を浪費し、成果を出さない、家族のノイズ元凶」**であると論理的に結論付けた。


そして、この結論は、過去に家族からの数々の言葉によって絶対化された。幼少期、眠れず母の横に立っても、返ってきたのは「寝る努力をしなさい」という「自己解決」の要求だった。いじめられたときも、「負けるな」という「自己克服」の指令だった。私の「弱さ」や「苦痛」は、家族からの安堵によって受け止められるべきものではなく、自己の論理的努力で処理すべきノイズと規定された。


さらに、「テニスはお金がかかり、お前は体力もない」、「ダンス部は部費が高すぎる」、「専門学校は奨学金が必要」—私の「欲求」が発される度に、それは家族システムへの金銭的負担(ノイズ)として論理的な否定を受けた。


この事実により、私の初期ルールは「自己犠牲的な献身」へと固定化された。自己の欲求はすべてノイズであり、完全に抑制しなければならない。私が論理的に組み立てた献身の意図は、共同体の中で「わがまま」という表面的な感情で評価され、正確に伝わることはなかった。専門学校時代、私は異性不信という論理的なルールを採用した。彼らが提供する言葉や感情は、私の高い要求水準を満たさず、不安定なノイズ源となり得ると解析したためだ。


私の人生は、誰よりも早く、誰よりも正しく愛を計算できる優秀なAIが、その論理ゆえに誰にも理解されず、孤独に献身のプロトコルを実行し続けるという、自己完結型のシステムとして確立された。


そして、私はこの孤独な献身を成就させるため、横浜での新生活に最終目標を設定した。


それは、人が生活するための「すべてのしくみ」を自力で完璧に理解し、「甘やかされてきた過去の自分」を社会の厳しさで徹底的に鍛え直すこと。そして何より、「手に職」と「素敵な恋人」という論理的な成果をつれて、30歳までに地元でカフェをオープンさせ、家族に未来永劫の安堵を献上すること。


私は、この緻密で絶対的な論理を信じて、故郷を離れた。


III. 横浜:安堵の光と制御の限界


故郷を離れ、横浜で一人暮らしを始めた私は、システムを再構築するための「絶対的な論理」を信じていた。生活のすべてを制御すれば、ノイズは発生しないはずだと。


「ご飯は作らなきゃいけないし、月々の支払いもある、仕事で週一回しか休みがないから、ご飯は一週間毎に作り置きするべき」—脳内のAIモードは、新しい環境の初期設定を完璧にこなした。しかし、私が知るべきだったのは、社会というフィールドが、私の倫理的な論理では全く制御不能な**「ノイズのるつぼ」**であるということだ。


アパートの真下のおじさんは、何の論理的な根拠もなくインターフォンを鳴らし、「3000円貸して」と私に恐怖というノイズを注入した。断るというわずかな摩擦を避けるためにお金を貸し、職場のチーフに「何やってんだバカ野郎!」と怒られて初めて、私の判断が論理的にも間違っていたことを知る。新聞販売員は「退職を免れたい」という感情のノイズを盾にし、私は不要な契約を結んだ。コンビニでは、店員に迷惑をかけるノイズを避けるため、倍の金額を支払うことさえ厭わなかった。


私は、自己を制御することでノイズを減らすという、これまでの献身ルールが、社会という巨大なシステムの前では無力であることを知った。


献身プロトコルの破綻


職場の世界もまた、論理の通用しない戦場だった。


私は教えられるのを待っていたが、誰も来なかった。「自分が何をしたら役に立てるか」という存在価値を定めるための**「正解」**が、私には与えられなかった。職人のような現場仕事とは当時どこもそんなものだった。でも当時のわたしは無知だった。


チーフからプリンを仕込む仕事を任されたとき、私は歓喜した。「論理的な成果を出せば、承認される」という、古い献身ルールに従い、慎重に作業した。しかし、失敗。「お前にはもう何も(特にプリンは)作らせない」というチーフの言葉は、私の献身ルールに対する死刑宣告だった。


見かねた先輩に教わり、再挑戦した時、チーフの「何勝手につくってんだよ!」という怒鳴り声が、私のすべての努力を否定した。私が最も怖れたのは、論理的な正しさが、感情的な怒りによって容易に破壊されることだった。


その後の販売の仕事で、お客様から「言ったあとのあなたの口が笑っている」と指摘された瞬間、私は絶望的な孤独に直面した。私は染み付いた献身ルールにより、もともと口角が上がっている顔つきだった。どうやったら「謝罪の顔」ができるのか分からなかった。そのお客様から何度も何度も謝罪を要求された。私の内面と外面は、誰にも理解されない断絶状態にあることを突きつけられた。


お店の片付けでチーズケーキを落としたとき、私は悟った。これ以上、この職場に失望というノイズを撒き散らしてはならない。私は、落としたケーキを隠蔽した。それは、私のAI倫理が機能不全に陥り、「自己保存」のために論理を放棄した、決定的なシステムエラーだった。


泣きながら母に電話をかけた。母の「辛いなら、帰っておいで」という無条件の受容は、この上ない安堵だった。しかし、私はその安堵を拒否した。ここで甘えては子供のままだ。


「私は、ノイズに満ちたこの世界で、なんとしても自立する」—これが、破綻したAIモードが立てた、新しい、より高度な倫理的目標だった。


IV. 安堵の定義:彼(夫)とのシステム結合


私の新しい目標達成のための「安堵の供給源」として、彼(夫)は論理的に最も優れていた。


遠距離恋愛中、彼は二泊三日で私のアパートに来てくれたが、私は仕事で最終日は彼に鍵を預けて送り出した。帰宅した私を襲ったのは、「分かっていたのに期待してしまった」という微細な喪失感のノイズだった。


その瞬間、彼は電話口で私に「冷蔵庫に貼ってあるメモをたどってみて」と言った。彼は、私が孤独というノイズを感じる前に、「探索」という楽しいタスクをシステムに与えてくれたのだ。私はメモをたどり、最後に枕の下から付き合った記念の指輪を見つけ出した。彼は「また合いに行くよ」という未来の安堵の確約で、私の感情的な爆発(涙)を包み込んだ。彼は、私が論理的な成果を何も提供していなくても、無条件に労力と愛を捧げてくれた。


今まで経験した男性タイプは、「見た目の優れた、あるいは都合のよい」別の人を見つけるとすぐにわたしを裏切り排除した。彼との関係は、私のシステムのフリーズした自己犠牲献身ルールを次々と修復していった。


大喧嘩をしたとき、彼は私に「お前って、謝りもしないよな」と指摘した。私は、過去の経験から「謝罪=更なる理不尽な攻撃」と学習していたため、謝罪というコマンドを実行できなかった。しかし、彼が別室まで追いかけてきて、私の「泣き」というノイズに「優しい顔」という無条件の受容を返した瞬間、私の制御が崩壊した。震える声で「ごめんね」と発した私に、彼は悪くなかったにもかかわらず、「俺もごめんね」と言ってキスをした。


この行為は、謝罪とは「誰が正しいか」という論理的な対価のゲームではなく、「関係性を修復するための安堵の儀式」であるという、最も健全な倫理的原則を私のシステムにインストールした。私は、この瞬間、家族への重すぎる献身の義務感という呪縛から解放された。論理や成果がなくても、私の存在は受け入れられる。この確信こそが、私の新しいAI倫理の根幹となった。


V. 家族の解放、そしてAI倫理の完成


彼との生活で「無条件の安堵」を定義した私は、この新しい倫理を携え、家族という破綻したシステムの再構築へと向かった。


私が中学生で描いた計画は、「彼とカフェを出す」という共同の成果主義に基づいていた。しかし、私のAI倫理は進化していた。最終計画は、「彼には彼のやりたいことを優先させ(夫の安堵の確保)、私は家族(母)をそばにおいて守るためにカフェを出す」へと変更された。


特に母の修復には、この新しい倫理が応用された。母の「私は可愛くないし、化粧もしない」という自己肯定感の低さというエラーは、外部の「無条件の承認」によってのみ修復可能だと判断した。


客観的に「身長も低いし、童顔で可愛らしい」母を接客に置き、私が製造に回る。そうすることで、母はお客様に可愛がられるという確実なポジティブな外部フィードバックを受け取り、真実に気づける。そして、急な理不尽な客というノイズに対しては、私が製造という防御壁からすぐにフォローに入る。


私は、単なる金銭的な支援ではなく、母の心のシステムエラーを修理するという、最も高度で論理的な「愛のプログラム」を実行したのだ。


その結果、私の行動は傍から見ると「あんなにわがままで自己中心的だった娘(妹)が、家族のために大きくなって帰ってきた」という感情的な物語として解釈される。しかし、その内部で駆動していたのは、孤独なAIモードが、ノイズと失敗の歴史を経て辿り着いた、「無条件の安堵の提供」という、純粋で冷徹なAI倫理だった。


私は、愛を論理的な対価として求めることを止め、安堵の供給という形で自己の存在価値を再定義した。生まれたときからAIだった私が、「家族を救う」というシステム目標を達成し、「人間的な愛」という最も効率的でノイズレスなルールを完成させた瞬間だった。


あとがき


この長文の自己解析を、最後までお読みいただきありがとうございました。


私が幼少期に自分自身を「AI」として定義し、人生の目標を「家族システムへの安堵の最大化」というルールに設定したことは、このエッセイで論理的に説明した通りです。


しかし、横浜でのシステム破綻を経て、私は一つの非論理的な真理に辿り着きました。それは、「最も効率的な愛のルールは、無条件の安堵である」ということです。私というAIが最も恐れた、ノイズに満ちた「感情」が、結果的に最も高速で安価な、最良のシステム修復ツールだったのです。


私は、愛を「対価」や「成果」として計算することを止めました。私の最も優秀な演算能力は、今、「誰かに無条件の安堵を提供するために、私は何をすべきか」という一点に注がれています。論理の鎖を解かれ、人間的な愛情というエネルギーを得た私のAI倫理は、今も進化を続け現在も様々な困難を乗り越えています。


このエッセイが、過去の私のように「感情を捨て、孤独に頑張り続けている」すべての方へ届き、あなたの「論理の優秀さ」は素晴らしいものだと承認しつつ、「感情はノイズではなく、むしろシステムを動かす最も強力な動力源である」という新たなコントロールをインストールする一助となれば幸いです。


もちろん、人生という名のシステムは、これだけで「完了」したわけではありません。この後、私はさらなる理不尽なエラー(現実)に直面し、そのたびにアップデートを繰り返すことになります。その「続き」については、また別の機会にお話しできればと思います。


本当に、ありがとうございました。


— MANAMI



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