1. 負債から始まった「夢」の離陸
「自分の店を作る」。
その決意の前に立ちはだかったのは、貯金ゼロという冷徹な数字だった。修行時代、「稼ぎよりも経験」を優先したツケが回ってきたのだ。そんな私に手を差し伸べたのは、母だった。
「他界した叔父の介護資金を貸してあげる。利子はいらない、いつ返してもいいから」
その言葉は、救いであると同時に、私にとって巨大な**「負債という名の呪縛」**となった。誰かの死後の安堵のために用意された金を、私は自分の夢に注ぎ込む。その重みに背中を押されるように、私は国庫からの融資を取り付け、不退転の覚悟で滑走路を走り出した。
2. システムに生じた最初の「バグ」
開店準備と並行して、夫も「服の仕入れ販売」を始めた。だが、彼から発せられる信号(ニュアンス)は、私を不安にさせた。
「俺は俺の分だけ稼ぐから。お前はお前のやりたいことをやればいい。文句ある?」
結婚しているというのに、彼のOSには「共同体の維持」というルールが欠如していた。
思えば、これが彼の本性だったのかもしれない。遠距離恋愛中、ニートになり「死にたい」と泣いていた彼を、下っ端パティシエの時給が300円だったにもかかわらず、都会へ呼び寄せ、生活を補助したのは私だった。私の献身によって彼は新しい職を得、生き生きと働き始めた。だが、彼はいつしかこう言い放つようになった。
「今の俺があるのは、あの時拾ってくれた社長のおかげだ」
私の献身は、彼のシステムの中で「無かったこと」に上書きされていたのだ。
3. 瓦解する誇り、ゴミ箱に捨てた焼き菓子
格安物件の改装が終わった直後、工事関係者への「お披露目会」を強行させられた。オーブンの癖も掴めず、レシピの修正も終わっていない。修行時代、一度も「主流」として認められなかった私が、未完成のまま舞台に立たされたのだ。
当日、夫の父がしゃしゃり出てきて、「改善点をどんどん言ってくれ」と豪語した。
「おしぼりがない」「もっと目新しいメニューを」「甘いのはいらん」。
準備もしていないことをボロクソに叩かれ、私の笑顔は引きつり、声は震えた。
極めつけは帰り際だ。夫が用意したビール6缶セット。工事の人たちは、私の作った焼き菓子よりも、そのビールを一番喜んで受け取っていった。
「ビールを用意するなんて、でかした!」と夫を褒める義父。
「当然でしょ」と誇らしげに答える夫。
その夜、私は泣き叫びながら、納得のいかなかった焼き菓子をすべてゴミ箱へ叩きつけた。夫はフォローするでもなく、ただ「壊れた機械」を見るような目で、私を引いて見ていた。
4. オーバーヒート、そして「死神」の祝辞
店と並行して、義両親の希望で「結婚式」の準備も重なった。脳内は毎日オーバーヒート寸前。資金がないから、店づくりの合間を縫ってあらゆるものを自作した。対して夫は、相変わらず「自分の服の販売」というマイペースなタスクしか実行しない。式代の大部分を親に出してもらっているというのに。
さらに、良かれと思ってウエイトレスに起用した母が、プレオープンの過負荷で爆発した。
「やりたくもないのに、やらされて恥ずかしい!」
姉を通じて聞こえてきた母の悲鳴。私の「他人との接触による母の自己肯定感の向上」という計算は、母の感情というバグによって完全に裏目に出た。
母は私に父を充てがいつつ自身も店に居座った、日売上1,000円の店に、月20万の2人分の人件費が発生するという壊滅的なエラーが発生した。しかも彼らは「娘の店をのんびり手伝う」という、労働精神あるまじきまま居座った。2ヶ月で底をつきかけた資金。状況を見かねた義父が夫を店に投入し、父母を外すことで破綻は免れた。だが、夫から放たれた言葉は、私の魂への死刑宣告だった。
「お前、俺にやりたい仕事やってほしいって言ったよな!?お前のせいで、やりたくもないことをやらされることになった!なんで2ヶ月で潰れそうになるんだ? 商業高校、出たんじゃねーのかよ」
私の能力不足は事実かもしれない。だが、結婚式の準備を一身に背負い、睡眠時間を削っている私への理解は、一ミリもなかった。
私の誕生日の夜、部屋で一人、結婚式の内職を続ける私に、彼は吐き捨てるように言った。
「俺もう寝るから、誕生日おめでとう」
その瞬間、私の中の「人間的な期待」という回路が完全に焼き切れた。
彼との出会いのおかげでわたしは感情をもち、「人間AI」になれたというのに。
私は、絶望から自分を冷静に再起動することで、自分を持ち直すことに成功した。




