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【西表島のパイナップルの歴史①】
― 缶詰工場の時代(前編)―
今回の活動報告では、
西表島のパイナップルの歴史について
少し書いてみたいと思います。
これは、僕がまだ生まれる前の話。
もちろん、僕の知らない時代のことです。
島の先輩方から聞いた話も交えながら、
書いてみたいと思います。
西表島でパイナップルの栽培が始まったのは、
昭和31年(1956年)頃といわれています。
最初は大富集落を中心に
島の東部で栽培が始まり、
その後、上原を中心に
西部地区にも広がっていったとされています。
台風や干ばつにも比較的強いパイナップルは、
島の自然環境に合った作物として
多くの農家が栽培するようになります。
当時の沖縄はまだ
アメリカ統治の時代。
パイナップルは
西表島の農家にとって
貴重な現金収入になる作物でした。
昭和35年(1960年)には
中野集落にパイナップル缶詰工場が完成します。
それ以前は大原の方に加工施設があり、
上原など西部で収穫したパイナップルを
船で大原まで運んでいたそうです。
上原港から大原港までは
海を回っておよそ35〜40km。
当時の船で収穫したパインを運ぶのは
とても大変な仕事だったといいます。
島の方から聞いた話では、
子どもの頃、父親に連れられて
そのパイナップルを船で運ぶ手伝いをし、
大原でアメリカ人に
遊んでもらった思い出があるそうです。
当時の西表島には、
そんな時代の空気が流れていました。
そしてこのあと、
西表島のパイナップルは
さらに広がっていくことになります。
その続きは、
また次の投稿で書きたいと思います。
西表島アナナス農園
江袋正和



