"奇跡の”有機JAS認証パイン農園存続・未来へ!世界自然遺産・沖縄西表島から挑戦

西表島がある沖縄県八重山地方は、国産ブランドパインの約50%を生産しています。しかし現状、農家の高齢化や外国産パインの圧倒的な価格競争力により、国産ブランドパインは押し負けています。極上の有機栽培パインで国産ブランドパインの競争力を高め、パイン農家が安心して生産できる環境と後世育成の土台を作ります。

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

1,435,500

143%

ネクストゴールは1,600,000円

支援者数

89

募集終了まで残り

17

"奇跡の”有機JAS認証パイン農園存続・未来へ!世界自然遺産・沖縄西表島から挑戦

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

1,435,500

初期目標100%突破

あと 17
143%

ネクストゴールは1,600,000

支援者数89

西表島がある沖縄県八重山地方は、国産ブランドパインの約50%を生産しています。しかし現状、農家の高齢化や外国産パインの圧倒的な価格競争力により、国産ブランドパインは押し負けています。極上の有機栽培パインで国産ブランドパインの競争力を高め、パイン農家が安心して生産できる環境と後世育成の土台を作ります。

今日は今年初めての「冠芽(かんが)」の芯止め作業を行いました。冠芽とは、パイナップルの実の上についている葉っぱの部分のことです。ピーチパインはそのままにしておくと冠芽がかなり大きく育ちます。今日はピーチパインと相談しながら「今ほじって〜」って、言ってる子だけホジホジ。これから少し実が大きくなることも考えて、見た目からも美味しそうに見えるバランスになるようタイミングを見ながら作業しています。多くの農園では同じ列を一度で全部終わらせるやり方もありますが、私は同じ列に何度も入り、ピーチパインの状態を見ながら何度も畑へ入り一番いいバランスになるよう少しずつ手入れしています。こうした細かな作業を重ねながら、有機JASオーガニックのピーチパインを大切に育てています。美味しくな〜~~れ!収穫開始まで、あと1か月ほど。美味しいピーチパインを皆さまにお届けできるよう頑張ります。西表島アナナス農園江袋正和


西表島のことも知っていただきたいと思い、パイナップルのことだけでなく島の暮らしや学校のことも少しずつ書かせていただけたらと思います。西表島には高校がありません。そのため高校へ進学する子どもたちは、中学校を卒業すると島を離れ、親元を離れて生活することになります。それが島の子どもたちにとっての「15の春」です。小さな島で地域のみんなに見守られて育ってきた子どもたちが、15歳で島を出てそれぞれの場所へ進んでいきます。そんな西表島で、3月8日(日)に次男が中学校を卒業しました。次男が通った西表中学校の卒業生は今年は4名。とても小さな学年ですが、地域のみんなに見守られながらここまで育ってきました。卒業式のあとにはみんなで 駅伝、そして 旗頭。そして夜には謝恩会が夜10時過ぎまで忙しい一日でしたが、島ならではのとても温かい卒業の日でした。息子も地域のみんなに見守られながら、中学校3年間でたくましく、大きく成長することができました。地域の皆さんには感謝しかありません。そして西表島では、高校受験の合格発表の日に地域の方々を招いて盛大にお祝いをします。その様子は、また改めてご紹介したいと思います。西表島アナナス農園江袋正和


【西表島のパイナップルの歴史③】―生食用パインへの転換とピーチパインの誕生―西表島のパイナップルは、やがて大きな転換期を迎えます。安い輸入パインの増加により、缶詰用パインの需要が減少。そして1970年代〜1980年代頃から、それまでの**缶詰用(加工用)**から、生のまま食べるパインへと少しずつ変わっていきました。それまで主流だった缶詰用の大量生産から、手間をかけて育てる完熟の生食用パインへと舵を切ったのです。当時、西表島で作られていた主なパイナップルはハワイ種(正式名:N67-10/スムースカイエン)その後、スナックパイン(ボゴールパイン)やソフトタッチといった品種が作られていました。このソフトタッチは小ぶりなため売るのが難しいパインでした。しかし桃のような甘い香りがすることから、西表島の農家が**「ピーチパイン」**と名付け、販売を始めました。こうして西表島のパイナップルは、缶詰用から生食用へと姿を変え、今では島を代表する特産品として多くの人に親しまれるようになりました。そして今も西表島では、多くの農家がパイナップルを育て続けています。私自身もこの西表島のパイナップルに惚れ込み、農家として日々畑に向き合っています。これからもこのパイナップルの魅力を多くの人に届けていきたいと思っています。西表島アナナス農園江袋正和


【西表島のパイナップルの歴史②】 ― 缶詰工場の時代(後編)―1960年代、西表島ではパイナップル栽培がさらに広がり、島の暮らしを支える大切な作物になっていきます。当時、缶詰用パインの買取価格は1kgあたり4〜6円ほど大学卒の初任給が1〜2万円ほどの時代だったことを考えると、このころはパイナップルが農家にとって大きな現金収入だったと言われています。当時主流だった品種はスムースカイエン(ハワイ種)。このころは生食用ではなく、缶詰用のパイナップルだったため、皮が割れていても、味があまり良くなくても問題はなく、とにかく大きく、重いパイナップルを作ることに力が注がれていました。肥料を多く使い、2〜3kgもある大きなパインを作り、馬車やトラックに山のように積んで工場へ運び込んだそうです。その後、海外から安価な缶詰が輸入されるようになり、西表島のパイン産業は少しずつ影響を受け始めます。さらに1971年の輸入自由化によって、海外から安価な生食用パイナップルも大量に入ってくるようになりました。こうして西表島のパイン産業は大きな転換期を迎えることになります。そして西表島のパイナップルは、缶詰工場の時代が終わるとともに、缶詰用から生食用へと少しずつ変わっていくことになります。その話は、また次回。お楽しみに。西表島アナナス農園江袋 正和


【ネクストゴール130万円達成しました!】皆さまの温かいご支援のおかげで、ネクストゴールとして掲げていた130万円を達成することができました。本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます。最初の目標である100万円を達成することができ、さらにこうしてネクストゴールまで到達できたことに、正直とても驚いています。このプロジェクトを通して、西表島のパイナップルや有機栽培のことに関心を持ってくださる方がこんなにもいるのだと感じ、とても大きな励みになっています。皆さまからいただく応援やメッセージ一つひとつが、これからも前に進んでいく力になっています。クラウドファンディングはまだ続いています。最後まで見守っていただけたらとても嬉しいです。そしてこの挑戦を通して、西表島のパイナップルの魅力や、有機栽培の価値をこれからも多くの方に伝えていきたいと思っています。もしよろしければ、SNSでのシェアなどでこのプロジェクトを広めるお手伝いをしていただけたら嬉しいです。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 西表島アナナス農園江袋正和


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