■はじめに:歌舞伎町で30年。夢を追う人の「光と影」を見てきました
はじめまして。世界一の歓楽街、新宿・歌舞伎町で18年間、キックボクシングジム「新宿スポーツジム」を運営しているRIKIYAです。
私は少し変わった経歴を持っています。 かつては「ヴィジュアル系メタルバンド」のベースとしてステージに立ち、その後は「キックボクシング」のリングで王者を目指して戦い、現在は「認定心理士」として人の心と体のケアに向き合っています。
私の半生は、常にこの街で「夢を追う人」と共にありました。 今のジムを始める前は、歌舞伎町で11年間「ROCK BAR」を経営し、数え切れないほどのバンドマンたちと酒を酌み交わしてきました。
ジムと合わせて約30年間。
私はこの街で、数多くの挑戦者たちの「輝く瞬間」と、その裏にある「苦悩」を目の当たりにしてきたのです。

■なぜ今、このプロジェクトが必要なのか
【もう、仲間を失いたくない。私が「休息」にこだわる理由】
少し重い話になりますが、聞いてください。 私がバンドマンとして札幌で活躍していた頃、ツアー中の居眠り運転による事故で、大切な元メンバーを亡くしています。
バー時代を含めると、無理なスケジュールの果てに、交通事故で命を落とした友人が何人もいます。
私自身、子供の頃は野球、学生時代はバドミントンに打ち込み、卒業後は格闘技へ。
格闘技歴は約40年になります。
チームスポーツの連帯責任も、個人競技の孤独も、そして遠征の過酷さも、骨の髄まで理解しています。
無理をして、眠気や疲れを誤魔化して走り続けた代償は、あまりにも大きすぎました。「適切な休息をとらなければ、人間は壊れる。時には命さえ落とす」これは、私が人生というリングで痛感した、残酷な真実です。
特に地方から出てくるジュニアアスリートや若手バンドマンにとって、東京のホテル代高騰は死活問題です。
試合前なのにネットカフェで仮眠をとったり、車中泊で身体を痛めたり…。
そんな状態で、人生を賭けたチャンスを掴むのは至難の業です。
彼らに必要なのは、ただの寝床ではなく、心身をリカバリーできる「本物の休息(バックステージ)」なのです。

■これまでの失敗と、一冊の本との出会い
民泊「Backstage House Shinjuku」を立ち上げた当初、私は大きな失敗をしました。 「とにかく安く泊まれればいいだろう」と価格を極限まで下げたのです。 その結果、部屋は荒れ、備品は壊され、トラブル対応で私自身が疲弊しきってしまいました。
「安売りは、誰も幸せにしない」ゲストもホストもすり減るだけでは、私が作りたかった「癒やしの場所」とは真逆です。
どうすれば、質を保ちながら、お金のない若者たちを支援できるのか? 悩んでいた今年の正月、ある一冊のビジネス書が答えをくれました。
「サービスを利用する人と、お金を払う人は、別でもいい」
目から鱗でした。 大人の支援者が「チケット」を買い、それを頑張っている若者に「ギフト」として贈る。これなら、施設の質を高く保ったまま、本当に休息が必要な人たちを救うことができる! 今回のリターンに推しのバンドやアイドルグループやアスリートに「譲渡可能な宿泊券(プレゼントOK)」を用意したのは、このためです。

■プロジェクトが目指す未来
私たちが作りたい未来は、出身地や経済的な理由で夢を諦める必要のない社会です。
地方のアスリートには、万全のコンディションで試合に挑んでほしい。
地方のバンドには、東京で最高のライブをしてほしい。
東新宿駅から徒歩2分。地下1階には私達のジムがあります。
歌舞伎町という「戦場」のど真ん中に、彼らが鎧を脱げる「楽屋」がある。
認定心理士であり、30年この街を見てきた私が作ったこの場所が、彼らの避難所となり、飛躍の滑走路になります。
■資金の使い道
皆様からいただいた支援金は、地方から東京を目指す「若き挑戦者」たちが、安心して休息できる環境を作り上げるために、大切に使わせていただきます。
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団体・チーム滞在のための改修費:約50万円
3階フロアに「間仕切り」を設置し、チームやバンドメンバーが合宿所として使いやすくします。
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睡眠・リカバリー環境への設備投資:約40万円
高機能マットレスの導入や、歌舞伎町の喧騒を忘れる遮音・防音対策。
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「夢の遠征」支援ファンド:約150万円
リターンを伴わない「応援コース」で頂いた資金は、資金不足の若者を私が責任を持って「無料」で招待するための原資(宿泊補助費)として活用します。
CAMPFIRE手数料・広報費:約60万円
■リターンについて
今回は、ご自身で楽しむだけでなく、「誰かの夢を支える」ことにも繋がるリターンをご用意しました。
【ただ応援】お気持ちコース:あなたの支援がそのまま若手の宿泊費になります。
【宿泊券】未来のチケット(譲渡可能):ご自身で使うもよし、地方の友人や推しのバンドにプレゼントするもよし。
【スポンサー】ネーミングライツ:施設や部屋にあなたのお名前を刻みます。歌舞伎町にご自身の「名」を残しませんか?
※遠方の方には、オンラインでの交流権や、宿泊した若手からの「お礼動画」が届くプランもご用意しています。
本プロジェクトのリターンに含まれる「あしながおじさん(寄付)利用」および「応援コース」で集まった資金・宿泊権利は、以下の通り、私が責任を持って第三者へ寄贈(無償提供)いたします。
1. 寄贈する物品・内容「Backstage House Shinjuku」の宿泊権利(1泊〜複数泊分)
2. 寄贈先(対象者)の選定方法
対象: 地方から東京への遠征資金が不足している「若手アスリート(ジュニア含む)」および「バンドマン・アーティスト」。
方法: プロジェクト終了後、実行者(RIKIYA)のSNS、公式ホームページ、および運営するジムのネットワークを通じて公募を行い、応募者の中から実行者が責任を持って選定いたします。
3. 寄贈のスケジュール
2026年4月上旬: 支援総額の確定後、提供可能な宿泊日数を算出し、公募を開始します。
2026年4月下旬〜: 選定された対象者と日程調整を行い、順次、無償での宿泊提供を実施します。
報告: 実際に寄贈(宿泊)が行われた様子は、プライバシーに配慮した上で、本プロジェクトの「活動報告」にて支援者の皆様にご報告いたします。
※なお、宿泊施設は実行者が運営する「Backstage House Shinjuku」を使用するため、提供物品(部屋)は確実に確保されています。
■最後に
新宿スポーツジムで18年、私は多くの会員様の背中を押してきました。 今度は私が、世界中の旅人や、新宿に集うチャレンジャーたちの背中を支える「場所」を作ります。
このプロジェクトは、私一人の力では完成しません。 一人ひとりの支援が積み重なって、大きな変化を生み出します。 皆様の温かいご支援、心よりお待ちしています。
バックステージハウス新宿 代表RIKIYA

最新の活動報告
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あの悲劇を繰り返さないために。私のルーツと、あるバンドマンとの別れ。
2026/02/20 23:09皆様、温かいご支援と応援、本当にありがとうございます!バックステージハウス 新宿uのRIKIYAです。徐々に支援の輪が広がっており、感謝の気持ちでいっぱいです。今日は、私がなぜここまで「上京する若者のための休息所」にこだわるのか、その原点となる話をさせてください。私はかつて、ヴィジュアル系メタルバンドのベースとして上京しました。しかし、東京でバンドはそう簡単には売れず、私は歌舞伎町で「ROCK BAR」を始めることになります。なぜバーだったのか。実は、私は女手一つで育てられ、母は札幌のススキノでスナックを経営していました。子どもの頃から母の働く姿を一番近くで見て、お店を手伝うこともあった私にとって、カウンター越しに人と向き合い、お酒を出し、誰かの「居場所」を作ることは、とても自然な生き方だったのです。現在、その母は癌と闘っています。病床で頑張る母の姿を想うたび、母が身をもって教えてくれた「人の居場所を作る」という役割を、私もこの東京で全うしなければと強く感じています。私がバーを開けた当時は、まさにヴィジュアル系バンドの全盛期。本当に数多くのバンドマンたちがお店に足を運んでくれ、夢や音楽、そして馬鹿話で盛り上がっていました。しかし、そんな中で忘れられない、そして忘れてはいけない悲しい出来事がありました。今回のプロジェクトを立ち上げた時、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、元「COLOR」であり、当時は「G.D.FLICKERS(ジー・ディー・フリッカーズ)」のベーシストとして活動していたMARRY(マリー)さんのことです。MARRYさんはお店に何度も遊びに来てくれていて、亡くなる前にも顔を出してくれていました。だからこそ、ツアー中の自動車事故で突然亡くなったという知らせを聞いた時、私は全く信じることができませんでした。葬儀に参列した後、バンドの皆さんがそのまま私のお店に来てくれました。あの時の、なんとも言えない複雑でやりきれない空気は、今でも昨日のことのように思い出せます。「もう、こんな悲劇はごめんだ」お金のないバンドマンやアスリートが、睡眠を削り、無理な移動を重ねて命を落とす。そんな理不尽なことは、絶対に繰り返してはいけません。私が歌舞伎町に「Backstage House(楽屋)」を作る理由は、ここにあります。地方から戦いに来る若者たちが、鎧を脱いで、安全なベッドでしっかり羽を休められる場所。ススキノで母が、そして歌舞伎町のバーで私が作ってきたような「安心できる居場所」を、今度は宿泊施設という形で残したいのです。彼らが万全のコンディションでステージやリングに立てるよう、どうか皆様のお力を貸してください。共感していただけましたら、この活動報告のSNSでのシェア・拡散をお願いいたします。引き続き、全力で走り抜けます! もっと見る
私が「戦士の休息所」を作る本当の理由。札幌でのバンド時代と、失った仲間たち
2026/02/18 19:48皆様、温かいご支援と応援、本当にありがとうございます。RIKIYAです。 今日は、私がなぜ歌舞伎町で「Backstage House」という宿を作り、若者たちに安全な休息を提供したいのか。その原点となる、私のバンド時代の過去についてお話しさせてください。私は札幌生まれ、札幌育ちです。 中学時代にラジオでLOUDNESSや44MAGNUMなどのジャパメタに出会い、雷に打たれたようにメタルに目覚めました。当時のレンタルレコード屋でLPを借りては、カセットテープにダビングして擦り切れるほど聴きまくっていました。高校時代から本格的にバンド活動を始め、「ブロードレイヤー」というバンドでTEENS' MUSIC FESTIVALに出場したり、札幌のベッシーホールやメッセホールをメインにライブをしていました。悲劇が起きたのは、そのバンドが解散した後のことです。 かつて一緒に音を鳴らしたギターのタカと、ボーカルが「リップス」という新しいバンドで活躍し始めた矢先でした。ツアーの帰り道、機材車を運転していたローディーが居眠り運転をしてしまい、トラックと正面衝突。ギターのタカと、運転していたローディーは帰らぬ人となりました。 同乗していたボーカルは二度と歌えない体になり、たまたま街中で再会した別のローディーも、内臓を激しく損傷し、すっかり体力を失っていました。そして何より胸が締め付けられたのは、運転していたローディーの残されたご家族のことです。 亡くなった本人はもちろんですが、ご家族は他の被害者ご遺族からの恨みを一身に受けながら、その後の人生を生きていかなければなりません。「無理な遠征による事故」は、当事者の命を奪うだけでなく、周りの人間や家族の人生をも地獄に変えてしまうのです。それを痛いほど覚悟させられました。その後、私が加入した別のバンドでは、毎週のように地方や東京へライブ遠征をしていました。幸いにもメンバーの親戚の寮や安宿に泊まることができ、悲惨な事故に遭うことはありませんでした。 (ちなみに、当時のドラム、ケネスは現在ススキノでライブバー「HOT TIME」を経営し、ボーカルの下山武則は今も全国を回って魂の歌を届けています。ぜひ彼らの応援もよろしくお願いします!)その後、バンドは解散し、私は東京へ上京しました。雑誌やテレビに出演する機会もありましたが、インディーズの知る人ぞ知るバンド、というところで私の音楽の夢は区切りを迎えました。しかし、当時の痛烈な記憶は今も私の中に生きています。 「気合いや根性だけでは、命は守れない。しっかり休める場所がなければ、悲劇は繰り返される」だからこそ私は、東京に勝負しに来る若手バンドマンやジュニアアスリートが、安全に、安心して羽を休められる場所「Backstage House」を皆さんに知ってもらい利用していただきたいです。彼らの夢と、そのご家族の笑顔を守るために。この想いに共感していただけましたら、どうかご支援、またはこのページのシェアをお願いいたします。つづく もっと見る




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