
皆様、温かいご支援と応援、本当にありがとうございます。
RIKIYAです。
今日は、私がなぜ歌舞伎町で「Backstage House」という宿を作り、若者たちに安全な休息を提供したいのか。
その原点となる、私のバンド時代の過去についてお話しさせてください。
私は札幌生まれ、札幌育ちです。
中学時代にラジオでLOUDNESSや44MAGNUMなどのジャパメタに出会い、雷に打たれたようにメタルに目覚めました。
当時のレンタルレコード屋でLPを借りては、カセットテープにダビングして擦り切れるほど聴きまくっていました。
高校時代から本格的にバンド活動を始め、「ブロードレイヤー」というバンドでTEENS' MUSIC FESTIVALに出場したり、札幌のベッシーホールやメッセホールをメインにライブをしていました。
悲劇が起きたのは、そのバンドが解散した後のことです。 かつて一緒に音を鳴らしたギターのタカと、ボーカルが「リップス」という新しいバンドで活躍し始めた矢先でした。ツアーの帰り道、機材車を運転していたローディーが居眠り運転をしてしまい、トラックと正面衝突。
ギターのタカと、運転していたローディーは帰らぬ人となりました。 同乗していたボーカルは二度と歌えない体になり、たまたま街中で再会した別のローディーも、内臓を激しく損傷し、すっかり体力を失っていました。
そして何より胸が締め付けられたのは、運転していたローディーの残されたご家族のことです。 亡くなった本人はもちろんですが、ご家族は他の被害者ご遺族からの恨みを一身に受けながら、その後の人生を生きていかなければなりません。「無理な遠征による事故」は、当事者の命を奪うだけでなく、周りの人間や家族の人生をも地獄に変えてしまうのです。それを痛いほど覚悟させられました。
その後、私が加入した別のバンドでは、毎週のように地方や東京へライブ遠征をしていました。幸いにもメンバーの親戚の寮や安宿に泊まることができ、悲惨な事故に遭うことはありませんでした。 (ちなみに、当時のドラム、ケネスは現在ススキノでライブバー「HOT TIME」を経営し、ボーカルの下山武則は今も全国を回って魂の歌を届けています。ぜひ彼らの応援もよろしくお願いします!)
その後、バンドは解散し、私は東京へ上京しました。雑誌やテレビに出演する機会もありましたが、インディーズの知る人ぞ知るバンド、というところで私の音楽の夢は区切りを迎えました。
しかし、当時の痛烈な記憶は今も私の中に生きています。 「気合いや根性だけでは、命は守れない。しっかり休める場所がなければ、悲劇は繰り返される」
だからこそ私は、東京に勝負しに来る若手バンドマンやジュニアアスリートが、安全に、安心して羽を休められる場所「Backstage House」を皆さんに知ってもらい利用していただきたいです。
彼らの夢と、そのご家族の笑顔を守るために。
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つづく



