1人の音楽家の半生を貴重な記録として未来につなぎたい。

大分育ちの野球少年が明治大学マンドリン倶楽部と出会い、周囲の反対をよそに突き進んだ音楽の道。これまで歩んできた山あり谷ありの人生を貴重な記録として未来につなぎたい。そんな教え子やファンの思いを1冊の半生記(兼 反省記!?)にします。皆さまのご声援に応えFINAL GOALに挑戦します!

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大分育ちの野球少年が明治大学マンドリン倶楽部と出会い、周囲の反対をよそに突き進んだ音楽の道。これまで歩んできた山あり谷ありの人生を貴重な記録として未来につなぎたい。そんな教え子やファンの思いを1冊の半生記(兼 反省記!?)にします。皆さまのご声援に応えFINAL GOALに挑戦します!

本プロジェクトの最終日まで残すところ後7日となりましたが、皆さまのお陰でFINAL GOALに着実に近づいています。ご支援いただいた皆さまに心より感謝申し上げます。

 さて、一昨日の日本対チュニジア戦はFIFAワールドカップの記念すべき1000試合目でした。第1回大会は1930年(昭和5年)だそうです。この年は「影を慕いて/日本橋から」が佐藤千夜子さんの歌唱で発売された、古賀先生の作曲家としてのデビューの年でした。この時は売れ行きは芳しくありませんでしたが、翌1931年(昭和6年)に先生は日本コロムビアの専属となり、歌手の藤山一郎さんと出会ったことで、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」と次々にヒット曲を生み出していくことになります。まさに音楽人生のターゲットとなった頃ですね。

 一方、マンドリン倶楽部はというと、大正12年創設後、古賀先生の指導のもと活動は活発化しており、同年には第16回・第17回の定期演奏会を開催しています。その当時の写真が明治大学の創立50周年の記念に出版された「明大グラフ」に写真つきで紹介されています。当時の明治大学では卒業生が運営する「校友会」に対し、学生が運営する「学友会」という組織があり、その中の音楽部傘下にマンドリン倶楽部、ハーモニカソサエティ、管弦楽団がありました。紹介文には「今夏中国、九州、沖縄方面に出で、今や都下6大学随一との称がある」と記されており、写真を見ても多くのお客様が来場されているのが見て取れます。ここから古賀先生の名声と共にマンドリン倶楽部が知られていくようになります。


昭和6年12月 明治大学発行「明大グラフ」

改めて、学生音楽団体が現在まで歴史を紡ぎ続けていることがすごいことですね。指導者として導いてこられた古賀先生と甲斐先生のお陰です。

このプロジェクトも最後まで頑張ります。皆さま引き続きご支援ご声援のほどよろしくお願い申し上げます。


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