沖縄を救った男『比嘉太郎物語』を音楽で未来へ。サントラCD制作プロジェクト

「沖縄を救った男が、私たちの村にいた。」沖縄戦から80年、通訳兵・比嘉太郎の生き様を描いた村民劇の主題歌『ガジュマルの花』をCD化し、平和への願いを後世へ届けます。

現在の支援総額

483,000

96%

目標金額は500,000円

支援者数

57

募集終了まで残り

20

沖縄を救った男『比嘉太郎物語』を音楽で未来へ。サントラCD制作プロジェクト

現在の支援総額

483,000

96%達成

あと 20

目標金額500,000

支援者数57

「沖縄を救った男が、私たちの村にいた。」沖縄戦から80年、通訳兵・比嘉太郎の生き様を描いた村民劇の主題歌『ガジュマルの花』をCD化し、平和への願いを後世へ届けます。

こんにちは!ピアノのユイカです。


先日、私の祖父のいとこにあたり、比嘉太郎さんと同じハワイ移民二世である タケジロウ・ヒガさん について少しご紹介させていただきました。

今日は、タケジロウさんのことをもう少し詳しく書いてみようと思います♪


前回ご紹介した通り、タケジロウさんはハワイに生まれ、2歳から少年期までを北中城村島袋で過ごしました。

1936年にハワイへ戻りますが、1941年の真珠湾攻撃後、ハワイでも日系兵の募集が始まり、日系人への風当たりも強まります。

そのような状況の中で葛藤を抱えながらも、タケジロウさんはアメリカ軍への志願を決意しました。


沖縄戦では、沖縄育ちで日本語にも堪能であったことから、アメリカ陸軍情報部隊の一員として任務に就きます。

捕虜や住民への聞き取りや尋問を通して得られた沖縄の情報を軍へ伝える役割を担いました。


こうしてタケジロウさんは、故郷である日本、そして沖縄を敵に回さざるを得ない立場となります。


タケジロウさんは、避難している住民たちにうちなーぐちで投降を呼びかけ、多くの県民の命を救いました。

また、尋問を命じられた捕虜の中には、小学校時代の恩師や同級生がいたとも伝えられています。


なんだか、比嘉太郎さんのエピソードととてもよく似ていますよね。


当時、日系兵たちの呼びかけを信じることができず命を落とした住民も多く、沖縄戦で亡くなった民間人は10万人以上とも言われています。

しかし、アメリカ陸軍情報部の日系兵の存在がなければ、その犠牲はさらに増えていたとも言われています。


日系兵の方々の働きによって救われた命が数多くあったことを思うと、改めてご先祖様たちの歩みに感謝の気持ちが湧いてきます。


太郎さんやタケジロウさんをはじめ、多くの日系兵が民間人の救出に大きく貢献しました。

しかし、日米両方のアイデンティティを持ちながら、どちらにも完全には属することができず、さらにはゆかりある沖縄を敵に回さざるを得なかった彼らの心情は、想像することさえ難しいものです。


舞台、比嘉太郎物語の劇中では、戦後の荒廃した沖縄に、ハワイから物資を送るシーンが描かれていましたが、タケジロウさんも協力していたようです。親戚の方から聞いたお話ですが、豚だけでなく、ヤギも送ったそうです(ヒージャー汁はうちなーんちゅのソウルフードですからね笑)

そして沖縄に向かう船の中で、子ヤギが生まれ、行く時よりも増えていたとも言っていました笑

タケジロウさんは2017年、94歳でお亡くなりになりました。

戦後は何度も沖縄を訪れ、戦争体験を語る授業や平和についての講演を行い、生涯を通して平和を伝える活動を続けられました。


実は、私も小さい頃に何度かお会いしているのですが、その記憶がなく……。

舞台をきっかけにするまでは深く知ることもなく、今となっては少し恥ずかしく思っています。



ちなみに、こちらの写真は沖縄を訪れた際のもので、左が私の祖父、右がタケジロウさんです。


さて本日は、比嘉太郎さんと並ぶハワイ移民もう一人の重要な人物、タケジロウ・ヒガさんについてご紹介しました。


今後もこのプロジェクトの応援、どうぞよろしくお願いします!



シェアしてプロジェクトをもっと応援!

新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!