
「エピソード3.5~東日本大震災、人生最大の絶望、それでも俺たちはプロレスを届ける~」
2011年3月11日、14時46分。
当たり前が当たり前じゃなくなったあの日。
あれから15年経過しました。
もう15年?まだ15年?それは人それぞれの感じ方があると思いますが、
あの震災は岩手県の人間からすると忘れる事は決して出来ない、大袈裟ではなく「この世の終わり」を感じさせた震災でした。
5年前なにしてたかはもう覚えてないけど、15年前の震災はいまでも鮮明にハッキリと覚えています。
あの日は仕事が遅番で15時からだったので会社近くのコンビニで買い物していました。
ケータイから聞いた事の無いアラート音が鳴り間も無く今まで経験したことのない揺れがすぐにきました。
岩手は昔から地震が多いので、正直震度5程度なら岩手の人はあまり驚きません。震度5でも十分危険なんですけど、良くも悪くも地震に慣れているんです。
しかしこの日の地震は過去のものとレベルがまったく違いました。
目の前のビルの窓ガラスが粉々に割れ頭に降ってくる、道路がひび割れて大きく開閉して近くの建物がコンニャクのようにぐにゃぐにゃと揺れていました。天井が落ちて中にもう入れない建物もたくさんありました。
数分起きに襲いかかる震度6の余震の中びくびくしながら車を運転して会社に着くともう建物の中には入れませんでした。
当然県内全域が停電になり情報が全く入ってこない、ケータイも使えないから何もわからない、わからないという恐怖はいまだに思い出すと震えますね。
でもあの時なにもわからない中で確信的な嫌な予感が頭に浮かびました。
「一関(内陸部)でこの揺れってことは三陸やばいんじゃないか?」と。
つづく



