監修 齋藤 徹(音楽家/コントラバス)
「いずるば」での竜太郎さんを交えた即興は、普通とはちょっと違います。言い方は難しいのですが、まず自己表現ではないのです。 「聴く」「待つ」「信じること」これが始まり。何を「聴く」「待つ」「 信じる」の? 「他者を」であり「自分を」です。言わば、自己表現を放棄して、 他者に思いっきり場所を与え、 時間を与えて、しかも自分も遠慮なく発揮するのです。そんな「 根を持つことと羽根を持つこと」 矛盾したものを同時に手にすることを目指しているのです。 他者が活きることで初めて自分も活きる、しかも自己表現を軽く超えた、思ってもみなかった自分が出てくるのです。それこそ即興の醍醐味だと信じています。
監督 近藤 真左典
例えば、勝ち組と負け組、使える人と使えない奴など、勝ち負けや優劣の評価などが価値観になっている社会、社会に根強く存在する差別、排除、分断。それらはいつしか個々の在り方、つながりを蝕んでいきます。私たちが考える、あるいは私たちに示されるバリアフリーや、ダイバーシティの考え方は、いつのまにか社会的立場の強い側から見下すような、弱いとレッテルを張った側への一方的なものになっていないでしょうか。私はハンディキャップのある人たちに実は私たちが助けられているのだということに気づいてもらえることを願っています。私たちはハンディキャップのある人を必要としているのです。
「ぼくのからだはこういうこと」制作実行委員会スタッフ
「頭で理解し合い、計画的に達成することを目標とし、効率や合理性を求め、競争し合う社会」から「お互いの存在を感じ合い、分かち合い、創造し合う社会」へ、そんなパラダイムシフトへのヒントが、矢萩竜太郎さんと彼に関わる表現者たちのやりとりの現場の中にあるように思います。 その現場ではダウン症という障がいはハンディキャップのようには映りません。 むしろ場を柔らかくなじませ自由な創造的な雰囲気をつくるための触媒になっているように思います。